2017年6月30日金曜日

新約聖書原典「ヤコブの手紙」2章の翻訳(私訳)

ヤコブの手紙 

2章


1.わたしの兄弟たち、わたしたちの栄光の主、イエス・キリストを信じるのに、分け隔てをしてはいけません。2.例えば、あなたがたの会堂に華やかな衣服を着、金の指輪をはめた人が入って来たとし、またそこに、よごれた衣服を着た貧しい人が入って来たとします。3.すると、あなたがたは、華やかな衣服を着ている人を見上げて、「あなたは、どうぞこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っているか、それとも、わたしの足もとのそこに座っていなさい」と言ったとしたら、4.あなたがたは、自分たちの間で差別をして、邪悪な思いで(人を)裁いたことになるのではないでしょうか。5.わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世における貧しい人々を選んで信仰に富ませ、ご自分を愛する人々に約束された御国を受け継ぐ者となさったのではありませんか。6.しかし、あなたがたは貧しい人を辱めたのです。あなたがたに対し権力をふるい、あなたがたを裁判所にひいて行くのは、これら富める者たちではありませんか。7.あなたがたにつけられた尊い名を汚すのは、彼らではありませんか。
8.それでも、もし、ほんとうに、あなたがたが聖書にしたがって、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という最も重要な律法を守っているなら、それは良いことです。9.しかし、もし、分け隔てをしているのなら、あなたがたは罪を働いていることになり、律法によってあなたがたは違反者として非難されるのです。10.だれでも、律法の全てを守ったとしても、一つの点でも落度があれば、全体を犯したことになるのです。11.『姦淫するな』と言われた方は、また『殺すな』とも言われました。そこで、たとえ、あなたが姦淫をしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者となるのです。
12.自由の律法によって裁かれようとしている者らしく語り、また行いなさい。13.憐れみを示さなかった者に対しては、無慈悲な裁きが下され、憐れみは裁きに勝ち誇ります。
14.わたしの兄弟たち、「自分には信仰がある」と言う人がいても、もし、行いがなければ、それは何の役に立ちますか。その信仰は、彼を救うことができるでしょうか。15.もし、兄弟か姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いていて、16.あなたがたの内の誰かが、彼らに「安らかに行きなさい、温まって腹いっぱい食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ彼らに与えないとすれば、何の役に立ちますか。17.信仰もこれと同じです。もし、行いがなければ、それだけでは死んだものです。
18.しかし、ある人は、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言うでしょう。それでは、行いのないあなたの信仰を、わたしに示してください。そうすれば、わたしも、行いによるわたしの信仰をあなたに示してあげましょう。19.あなたは、「神は唯一である」と信じています。結構なことです。悪霊たちも、信じて震えおののいています。

20.ああ、愚かな者よ、行いのない信仰が無価値なものだということを知りたいのですか。21.わたしたちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇の上にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。22.あなたも知っているように、信仰が、彼の行いと共に働き、行いによって信仰が完成し、23.こうして、『アブラハムは神を信じた。そして、彼は義とみなされた』と言う聖書の言葉が成就され、彼は神の友と呼ばれたのです。24.人は行いによって義とされるのであって、信仰のみによるのではないことを知りなさい。25.同様に、娼婦ラハブも、使いの者たちを迎え入れ、彼らを別の道に送り出したとき、行いによって義とされたではありませんか。26.息のない肉体が死んだものであるように、行いのない信仰も死んだものなのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」ヤコブの手紙 2章1~13節
●「自然の中で聴く聖書」ヤコブの手紙 2章14~26節
https://www.youtube.com/watch?v=6hjaUWnO6Gg







2017年6月28日水曜日

新約聖書原典「ヤコブの手紙」1章の翻訳(私訳)

ヤコブの手紙 


1章


1.神と、主イエス・キリストの僕ヤコブが、離散した十二の部族の人々へ挨拶を送ります。
2.わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出合った場合、大きな喜びと思いなさい。3.なぜなら、あなたがたも知っているように、あなたがたの信仰が試されて、忍耐が生み出されるからです。4.何一つ欠けたところのない、充分成長し全くととのった者となるために、忍耐を最大限に働かせなさい。
5.もし、あなたがたの中の誰かが、知恵に不足しているなら、とがめることなく、すべての人に惜しみなくお与えになる神に求めなさい。そうすれば、その人に与えられるでしょう。6.何も疑わずに、信仰によって求めなさい。疑う人は、風に吹かれて巻き上がる海の荒波に似ています。7.そのような人は、主から何かをいただけると期待してはいけません。8.彼は、ふた心の者であって、生き方全般において定まりのない者です。
9.身分の低い兄弟は、自分が高くされたことを誇りに思いなさい。10.富んでいる人は、自分が低くされたことを誇りに思いなさい。なぜなら、富んでいる人は、草花のごとく消え去るからです。11.太陽が炎暑とともに昇ると、草は枯れ、花は散り、その美しい姿は滅び去ってしまいます。このように、富んでいる人も、その一生の旅の途中で消え失せてしまうでしょう。
12.試練を耐え忍ぶ人は、幸いです。なぜなら、その人は本物であることが証明され、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくようになるからです。13.誘惑に遭っているとき、だれも、「わたしは神から試みられている」と言ってはなりません。なぜなら、神は悪の誘惑をなさる方ではなく、誰をも誘惑なさらないからです。14.しかし、人はそれぞれ自分の欲望によって試みられ、引きずられ誘われます。15.更に、欲望がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生むのです。
16.わたしの愛する兄弟たち、誤解してはいけません。17.すべての良い贈り物、すべての完全な賜物は、上から、光の父から下って来ます。父には、変化とか、回転によって生じる影はありません。18.神は、わたしたちを、いわば、被造物の初穂とするために、真理の言葉によって、御心のままにわたしたちを生んでくださったのです。
19.わたしの愛する兄弟たち、このことをわきまえていてください。人はみな、聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅くありなさい。20.人の怒りは、神の義をもたらすものではないからです。21.ですから、すべてのけがれ、積もり積もった悪を素直に捨て去り、(心に)植えつけられた御言葉を受け入れなさい。御言葉には、あなたがたのたましいを救う力があります。
22.御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて聞くだけの者になってはいけません。23.もし、御言葉を聞くだけで行わない人がいれば、その人は、鏡の中の生まれつきの自分の顔を観察している人に似ています。24.自分を観察し、そこから立ち去ると、自分がどんな姿だったかすぐに忘れてしまいます。25.完全で自由の律法を、一心に見つめてそれに留まる人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、聞いて行う人です。こういう人は、その行いによって幸福になるでしょう。

26.もし、だれかが、自分は信心深い者だと思っても、自分の舌を制することをせず、自分の心を欺くなら、その人の信心は空虚なものとなります。27.父であられる神の御前にきよく、汚れのない信心とはこのことです。すなわち、苦しみの中にある孤児たち、やもめたちの世話をし、自分自身を世から守って汚れに染まらないことです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」/ ヤコブの手紙 1章1節~15節
●「自然の中で聴く聖書」/ ヤコブの手紙 1章16節~27節


2017年6月25日日曜日

新約聖書原典「ペトロの手紙二」3章の翻訳(私訳)

ペトロの手紙  

3章


1.愛する者たちよ、わたしはすでにこの第二の手紙をあなたがたに書いていて、これらの手紙によって、あなたがたの記憶の中の純粋な心を奮い立たせようとしているのです。2.それは、聖なる預言者たちによってあらかじめ語られた言葉と、あなたがたの使徒たちによって伝えられた救い主なる主の戒めを思い起こさせるためなのです。3.まず、このことを知るべきです。すなわち、終わりの時代には、あざける者たちがあざけりながら現れるでしょう。そして、自分たちの欲望の赴くままに生活し、4.「主の来臨の約束は、どうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは創造の始めからこのように存続している」と言います。5.それは彼らが、このことに気づこうとしないからです。すなわち、昔から天が存在し、また地は、水から、水によって、神の言葉により成り立ったのですが、6.その時の世界は、神の言葉により、洪水に覆われ滅んでしまいました。7.しかし、今の天と地は、同じ御言葉によって貯えられており、裁きの日に不信心な者たちが火によって滅ぼされるまで保たれているのです。
8.愛する者たち、このことを忘れてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようだということです。9.ある人々が遅いと思っているように、主は約束の実行を遅らせておられるのではありません。ただ、誰も滅びること望まれないで、すべての人が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対して忍耐をしておられるのです。
10.しかし、主の日は盗人のようにやって来るでしょう。その日には、天は大騒音をたてて消え去り、自然界のあらゆるものは焼け尽きて滅び、地とその中に造られたものも消え失せてしまうでしょう。11.このように、これらのものはみな滅びて行くものですから、あなたがたは、どれほどきよく、信心深い振る舞いをしていなければならないことでしょう。12.あなたがたは神の日の来るのを待ち望み、熱心に努めているのですから。その日、天は焼けて崩れ、自然界のあらゆるものは燃え尽き溶けてしまいます。13.しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む『新しい天と、新しい地』を待ち望んでいるのです。
14.愛する者たちよ、あなたがたはこれらのことを待ち望んでいるのですから、汚点がなく、非難されるところもなく、平和のうちに神に見出していただけるように熱心に努めなさい。15.わたしたちの主の忍耐は、(わたしたちの)救いのためだと思いなさい。わたしたちの愛する兄弟パウロも、彼に与えられた知恵によってあなたがたに書いたとおりです。16.彼は、どの手紙の中でも、これらのことについて述べています。それらの手紙には、ところどころ分かりにくい箇所もあって、無知で(心の)定まらない人々は、ほかの聖書に対してもしているように、(真理を)ねじ曲げ、自分たちの滅びをその身に招いているのです。

17.愛する者たちよ、あなたがたは(これらのことを)かねてから知っているのですから、無法な者たちの誤った考えに誘い込まれて、自分の堅固さから流されないように注意していなさい。18.わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も、そして永遠に至るまでもありますように。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」Ⅱ ペトロの手紙 3章


★「あざける者たち」(3)、「心の定まらない者たち」(16)、「不道徳な者たち」(17)は、いずれも、2章で現れる「偽教師たち」を意味することは明らか。



2017年6月23日金曜日

新約聖書原典「ペトロの手紙二」2章の翻訳(私訳)

ペトロの手紙  

2章


1.かつて、民の中に、偽預言者たちが現れましたが、また、あなたがたの中にも、同じように、偽教師たちが現れるでしょう。彼らは破滅的異端を秘かに持ち込み、彼らを買い取ってくださった主人を拒んで、自分自身に、すみやかな滅亡を招いています。2.そして、大勢の人々が彼らの放縦な生活に倣い、彼らのゆえに、真理の道が汚されるでしょう。3.彼らは貪欲と虚偽の言葉とによって、あなたがたを餌食にするでしょう。彼らに対する裁きは昔から怠りなく行われてきており、彼らの滅びも遅れることはありません。
4.神は、罪を犯した天使たちを容赦しないで、むしろ暗黒の下界の縄につなぎ、裁きのために閉じ込められました。5.また神は、昔の世界を容赦しないで、むしろ不敬神な者たちの世界に洪水をもたらし、ただ、義の布告者ノアたち八人を保護されました。6.また神は、ソドムとゴモラの町を焼いて灰にして滅ぼし、罪に定めて、不敬神に陥ろうとする者たちの見せしめとされました。7.また神は、放縦な世にあって、不道徳な者たちの振る舞いによって虐待されていた正しいロトを救出されました。8.なぜなら、この正しい人は、彼らの間に住んで見聞きしては、その不法な行いに、日々、正しい心を痛めていたからです。9.主がご存知ですが、主は神を畏れ敬う人々を試みの中から救い出されますが、不義な者たちを罰して、裁きの日まで監視されます。10.特に、汚れた欲望の中で肉に従って歩み、主の権威を軽んじる者たちを(そのようにされます)。彼らは大胆不敵で、横柄であり、栄光ある者たちを恐れず、神を汚す者たちです。11.天使たちは、権能にも力にも、はるかに優っているにもかかわらず、主の御前で彼らに反対してののしったり裁きを求めたりはしません。

12.この者たちは、捕らえられて滅びるよう、本能に支配されるために生まれついている理性のない生きもののようなもので、彼らは無知によって(神を)冒涜しているのです。これらの動物たちが滅びるように、彼らもいずれ滅ぼされて行くでしょう。13.彼らは不義を行い、不義の報酬を受けます。彼らは昼間から、ぜいたくを快楽と考えます。彼らは傷やしみのような者たちであって、自ら快楽にふけり、あなたがたを宴会に同席させ、彼らの快楽に引きこみます。14.彼らは、淫行に満ちた目を持ち、罪を犯すことをやめようとはせず、心の定まらない人々を誘惑する、心が貪欲で鍛えられた呪いの子たちなのです。15.彼らはまっすぐな道を離れて迷い、ボソルの子バラムの道に倣ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、16.自分が律法にそむいたことの譴責を受けました。ものが言えないロバが人間の声で語って、預言者の狂気な振る舞いを止めたのです。17.これらの者たちは、水のない泉、突風によって吹き払われる霧であって、彼らには暗い闇が残されています。18.なぜなら、彼らはごう慢で無駄口をたたき、迷いの中で生活してそこから逃れてくる人々を、肉欲とみだらな生活によって誘惑するからです。19.彼らは人々に自由を約束しますが、彼ら自身が破滅の奴隷なのです。人は征服されることで、その者の奴隷となります。20.主であり、救い主であるイエス・キリストを知って、この世の汚れから逃れても、また再びそれらのことに巻き込まれ征服されるなら、彼らの後の状態は初めの状態よりさらに悪くなります。21.義の道を知りながら、自分たちに与えられた聖なる戒めを離れるよりは、むしろ、義の道を知らなかった方が、彼らにとってはよかったのです。22.「犬は自分の吐き出したもののところに戻って来る」、また、「豚は洗っても、汚物の中に転がって行く」という真実のことわざが、彼らの身にふりかかっているのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」Ⅱ ペトロの手紙 2章




2017年6月21日水曜日

新約聖書原典「ペトロの手紙二」1章の翻訳(私訳)

ペトロの手紙 二 


1章


1.イエス・キリストの僕、また使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を獲得した人々へ、
2.恵みと平安が、神とわたしたちの主イエスを知ることによって、増し加えられますように。
3.命と敬神に関わることは、すべて主イエスの神的な力によって、わたしたちに与えられていて、それはご自分の栄光と卓越した力によって、わたしたちを召してくださった方を知ることにより与えられます。4.その栄光と卓越した力によって、わたしたちに尊くすばらしい約束が与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲で腐敗したこの世における本性から逃れ、神的な性質にあずかるようになるためです。5.ですから、あなたがたは力の限りを尽くして、あなたがたの信仰に徳を、徳に知識を、6.知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に敬神を、7.敬神に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えみたしなさい。8.これらのものがあなたがたに備わり、増し加わるとき、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるのです。9.これらを持ち合わせていない者は目の見えない者、近視の者、以前の自分の罪が清められたことを忘れている者です。10.ですから、兄弟たちよ、あなたがたの召しと選びとを確かなものとし、さらに熱心に行うよう努めなさい。これらのことを行う人々は、決して過ちを犯すことがありません。11.というのは、こうして、わたしたちの主であり、救い主であられるイエス・キリストの永遠の御国に入る道があなたがたに豊かに与えられるからです。
12.ですから、わたしは、あなたがたが、すでに知り、今、持っている真理に固く立ってはいるけれど、これらのことについて、あなたがたに思い起こさせようとしているのです。13.わたしがこの幕屋にいる限りは、あなたがたを思い起こさせて奮い立たせることが正しいことであると考えます。14.わたしたちの主イエス・キリストもわたしに示してくださったように、わたしのこの幕屋を脱ぎ去るときが近いことをわたしは知っています。15.わたしが(世を)去った後も、あなたがたがこれらのことをいつも思い起こせるよう、わたしはこれからも努めましょう。

16.わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とをあなたがたに知らせたとき、わたしたちは巧みな作り話に倣うことはしませんでした。わたしたちは、かの荘厳な出来事の目撃者だからです。17.イエスが、父である神から誉れと栄光をお受けになられたとき、荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する我が子、わたしの喜ぶ者」と、このような声が彼にもたらされました。18.わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天からもたらされたこの同じ声を聞いたのです。19.また、わたしたちは、いっそう確実な預言の言葉を持っています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るまでは、この預言の言葉を暗い場所を照らす灯として、それにしっかり目をとめていなさい。20.はじめに、このことを知っておくべきです。すなわち、聖書の預言は、すべて(預言者)自身の解釈により成ったものではないということです。21.なぜなら、預言は、決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊によって導かれ、神からのことばを語ったものだからです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」Ⅱペトロの手紙 1章


★『聖書の預言は、すべて(預言者)自身の解釈により成ったものではないということです。』20節

この読み方は、ギリシア語原典の釈義にかなっている。今日の多くの訳では、預言の解釈においては、それを読み解くのに、読者の自由な解釈をそこに持ち込んではならない、といういわば二次的な意味での「何人もー解釈してはならない」に重点が置かれたものとなっている。しかし、本来の意味は、それを書いた預言者が、神から受けた預言を、預言者自身の解釈を加えて書いたものではないという大前提を語っているのである。今日の二次的な読み方は、キリスト教歴史の中で、中世の教会において、「聖書の解釈は教会が下した解釈に従うべき」という考えを継承してきた教会の影響がいまだ残っているのかもしれない。



2017年6月19日月曜日

新約聖書原典「ペトロの手紙一」5章の翻訳(私訳)

ペトロの手紙  

5章


1.わたしは、長老仲間の一人、キリストの諸苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたの中の長老たちに勧めます。2.あなたがたの中にいる神の羊の群れに気を配り、彼らを牧しなさい。強制されてではなく、むしろ、神のために自発的にそうしなさい。卑しい利益のためにではなく、むしろ喜んでしなさい。3.ゆだねられた人々の上に権力を振るうのではなく、むしろ羊の群れの模範となりなさい。4.そうすれば、大牧者が現れるとき、あなたがたは朽ちることのない栄光の冠を受けることになるでしょう。5.同じように、青年たちよ、長老たちに従いなさい。皆、互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、神は、『高慢な者たちに敵対されるが、謙遜な者たちに恵みを与えられる』からです。
6.ですから、神の力強い御手のもとで、謙遜になりなさい。そうすれば、神はその時になると、あなたがたを高めてくださるでしょう。7.神があなたがたのことを気にかけてくださるのですから、あなたがたの思い煩いを、すべて神にゆだねなさい。8.節制し、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、『吠えたける獅子のように』食い尽すものを探して、歩き回っています。9.悪魔に抵抗し、信仰にしっかり踏みとどまりなさい。あなたがたも知っているとおり、世にいるあなたがたの兄弟たちも、これらの同じ苦しみに定められているのです。10.しかし、キリストによって、あなたがたをご自分の永遠の栄光に招き入れてくださった恵みあふれる神は、しばらくの苦しみの後、ご自身があなたがたをあるべき姿に戻し、強め、力づけ、揺るぎない者としてくださるでしょう。11.力が神に世々限りなくありますように、アーメン。
12.わたしは、忠実な兄弟と見なしているシルワノによって、あなたがたに少しばかりこの手紙を書いて、これこそが神の真実な恵みであり、その恵みに固く立つようにと勧め、証ししたのです。13.バビロンにある共に選ばれた教会と、わたしの子マルコが、あなたがたによろしくと言っています。14.愛の接吻をもって、互いに挨拶を交わしなさい。

キリストにあるあなたがた一同に、平安がありますように。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」Ⅰ ペトロの手紙 5章

★『節制をし』(8節)
  νήψατε(ネープサーテ)は、本来の意味は『飲酒を控えなさい』。
★『あなたがたの敵である悪魔が、』
  ここで『敵』と訳されるギリシア語は αντίδικος(アンティディコス)で、「敵対者」とも訳し、訴訟における敵対者、訴訟相手を法廷で訴える者を意味する。



  

2017年6月18日日曜日

新約聖書原典「ペトロの手紙一」4章の翻訳(私訳)

ペトロの手紙  

4章


1.キリストは肉において苦しまれたのですから、あなたがたも同じ思いで武装しなさい。肉において苦しんだ人は、罪を絶ち切っているのですから。2.それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲望によってではなく、神の御心によって過ごすようになるためです。3.というのは、あなたがたは、過ぎ去った時代には、異邦人たちが好むことを行い、放縦、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、禁じられている偶像礼拝の中で生活していましたが、もう十分です。4.あなたがたが、同じような過度な乱行に加わらないので、彼らは、そのことで不思議に思い、ののしっているのです。5.彼らは、生きている者たちと、死んだ者たちを裁く準備をされている方に、申し開きをすることになるでしょう。6.すなわち、死んだ者たちにも福音が宣べ伝えられたのは、彼らが、肉においては人として裁かれますが、霊においては神に従って生きるようになるためなのです。
7.万物の終わりが近づいています。ですから、思慮深く、節制し、努めて祈るようにしなさい。8.何よりもまず、互いに熱い愛を抱きなさい。『愛は多くの罪を覆う』からです。9.不平を言わず、互いにもてなし合いなさい。10.それぞれは賜物をいただいたのですから、神の恵みのさまざまな良い管理者として、互いに仕え合いなさい。11.語る者は、神のみ言葉を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神がお与えになった力を用いるにふさわしい者として奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストをとおして、神が栄光をお受けになるためです。この神に、栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。

12.愛する者たちよ、あなたがたを試みるために、あなたがたの内に生じる火ような試練を、思いがけないことが起こったかのように不思議に思ってはいけません。13.むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるとき、あなたがたが喜びに満たされるためです。14.キリストの名によってののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の霊、すなわち『神の霊』が、あなたがたの上に留まるからです。15.あなたがたのうち誰も、人殺し、盗み、悪事をなす者、他人に干渉する者として苦しまないようにしなさい。16.しかし、クリスチャンとして苦しむのなら、恥じることはありません。かえって、キリストの体の一部として、神を讃えなさい。17.裁きが、神の家から始まる時が来ています。初めにわたしたちから始まるとすれば、神の福音に従わない人々の結末はどうなるのでしょうか。18.『もし、正しい人が、かろうじて救われるとすれば、不信心な者、罪深い者はどう見られるのか。』19.だから、神の御心に従って苦しみを受けている人々は、良い行いをすることによって、真実な創造主に自分たちの魂を委ねなさい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」Ⅰペトロの手紙 4章1~11節
●「自然の中で聴く聖書」Ⅰペトロの手紙 4章12~19節



2017年6月15日木曜日

新約聖書原典「ペトロの手紙一」3章の翻訳(私訳)

ペトロの手紙  

3章


1.同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。そうすれば、たとい御言葉に従わない夫たちであっても、妻たちの無言の振る舞いによって救いに入れられるでしょう。2.あなたがたの(神を)畏れる清い振る舞いを、彼らが注意して見るからです。3.あなたがたの装いは、髪を編んだり、金で身を飾ったり、装飾を施した衣服を身に着けたりなどの外面的な飾りではなく、4.隠れた内面の人、柔和で静かな霊という朽ちない飾りを身につけるべきで、これこそが神の御前に非常に価値のあることなのです。5.かつては、神に望みを置く聖なる女たちも、このように自らを着飾って、自分たちの夫に従ったのです。6.アブラハムを主と呼んで従ったサラのように、あなたがたも何事をも恐れず怖がらないで良いことを行えば、サラの娘たちとされるのです。
7.同じように、夫たちよ、女は自分よりも弱い器であることを理解して共に生活し、あなたがたの祈りが妨げられないように、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬を与えなさい。
8.最後に、皆、同じ思いで同情し合い、兄弟愛をもち、憐れみ深く、謙虚でありなさい。9.悪に対して悪で報いず、悪口に対して悪口で報いず、かえって祝福しなさい。なぜなら、あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのですから。
10.『命を愛し、
幸いな日々を見たいと願う者は、
悪から舌と唇を制して、
偽りを語らず、
11.悪を避けて、善を行い、
平和を尋ね求め、それを追い求めよ。
12.主の目は正しい者たちに注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられるからである。
しかし、主の顔は、
悪を行う者たちに向けられる。』
13.あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに危害を加えるでしょうか。14.むしろ、義のために苦しむのなら、あなたがたはさいわいです。『彼らの怖さを恐れても心を乱されてもなりません』。15.あなたがたの心の中で『キリストを主と崇めなさい』。あなたがたの内にある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明ができる用意をしていなさい。16.ただし、柔和と畏れとともに、正しい良心を持って弁明しなさい。そうすれば、キリストにあって正しい生活をしているあなたがたをののしる人々は、悪口を言ったことを恥じ入るでしょう。17.善を行って苦しむことのほうが、もしそれが神の御心ならば、悪を行って苦しむよりは優っています。
18.なぜなら、キリストも、一度だけ(人々の)罪のために苦しまれたからです。
正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。すなわち、あなたがたを神のもとに連れて行くために、肉においては死なれましたが、霊においては生きる者とされたのです。
19.この霊において、キリストは獄に捕らわれている霊たちのもとへ行って宣べ伝えられました。

20.この霊たちとは、かつて、ノアの時代に、箱舟が造られていたとき、神が忍耐をもって待っておられた間、聞き従わなかった者たちのことです。その箱舟に入って、水を経て救われた人々は、わずか八人でした。21.この水は、バプテスマを象徴し、今や、イエス・キリストの復活により、あなたがたをも救うものです。バプテスマは、肉の汚れを取り除くものではなく、正しい良心を神に切に願い求めるものです。22.キリストは、天に行かれて神の右におられ、天使たちと、もろもろの権威と力を、ご自分に従えておられるのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」Ⅰペトロの手紙 3章1~12節
●「自然の中で聴く聖書」Ⅰペトロの手紙 3章13~22節