2012年10月23日火曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」17章の翻訳(私訳)


マタイによる福音書 

17章


1.六日の後、イエスは、ペトロとヤコブと彼の兄弟ヨハネとを連れて、ひそかに高い山に登られた。2.すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔が太陽のように輝き、また、その衣が光のように白くなった。3.すると見よ、モーセとエリヤが彼らに現れ、イエスと語り合っていた。4.そこでペトロが答えてイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは尊いことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたの為に、一つはモーセの為に、一つはエリヤの為に」。5.ペトロがまだ話していると、見よ、輝いた雲がその人たちをおおった。そして、見よ、雲の中から、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。これに聞け」と言う声がした。6.弟子たちはそれを聞いて非常に恐れ、その人たちの前に倒れた。7.すると、イエスが近寄って来て彼らに触れて言われた。「起き上りなさい。恐がるな」。8.彼らが目を上げたが、イエスお一人のほか誰も見えなかった。
9.そして、彼らが山を下りているとき、イエスは弟子たちに、「人の子が死者たちの中から復活するまでは、見たことを誰にも話してはならない」とお命じになった。10.弟子たちはイエスに、「ではどうして律法学者たちは、『エリヤが最初に必ず来ることになっている』と言っているのですか」と言って尋ねた。11.イエスは答えて言われた。「確かにエリヤが来て、すべてを元通りに直すだろう。12.しかし、わたしはあなたがたに言う。エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めようとしないばかりか、したい放題のことを彼におこなった。人の子も同じように、彼らから苦しみを受けようとしている」。13.その時、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
14.一行が群衆のところに戻ると、一人の人がイエスに近づき、ひざまずいて、15.言った。「主よ、わたしの息子を憐れんでください。てんかんを患いひどく苦しんでいます。たびたび火の中、水の中に倒れるのです。16.あなたのお弟子さんたちのもとに、息子を運んで来たのですが、治してはいただけませんでした」。17.そこで、イエスは答えて言われた。「ああ、なんという不信仰で曲がった時代だろうか。いつまでわたしはあなたがたと一緒にいられようか。いつまであなたがたに我慢できようか。その子をここへ、わたしのもとに連れて来なさい」。18.そして、イエスがその子にお命じになると、悪霊はその子から出て行き、子供はその時から癒された。
19.その時、弟子たちがひそかにイエスのみもとに来て言った。「どうして、わたしたちに悪霊を追い出せなかったのですか」。20.イエスは彼らに言われた。「あなたがたの信仰が足りないからだ。よくあなたがたに言っておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここからあそこへ移れ』と言えば、移るだろう。あなたがたに出来ないことは何もない」。
22.一行がガリラヤに集まった時、イエスは彼らに言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。23.そして、人々は彼を殺すだろう。そして彼は三日目に復活させられるだろう」。弟子たちは非常に悲しんだ。
24.一行がカファルナウムに来た時、神殿税を集める人たちがペトロのところに近寄って来て言った。「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか」。25.彼は「はい、納めておられます」と言って家に入ると、イエスはペトロの先を越して言われた。「シモンよ、あなたはどう思うか。この地上の王たちは通行税や人頭税を誰から得ているか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか」。26.そこでペトロが「ほかの人々からです」と言うと、イエスが彼に言われた。「では子供たちはその束縛を受けないで済むわけである。27.しかし、彼らをつまずかせない為に、あなたは湖へ行って釣り針を垂れなさい。そして最初にかかった魚を引き上げなさい。その口を開けるとスタテル金貨一枚《4デナリオン、労働者4日分の賃金で、二人分の神殿税に相当》が見つかるだろう。それを取って、わたしとあなたのために彼らに納めなさい」。

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 17章










2012年10月12日金曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」16章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 

16章


1.ファリサイ派の人々と、サドカイ派の人々がイエスに近づいて来て、イエスを試そうとして、「天からのしるしを自分たちに見せていただきたい」と願った。2.そこで、イエスは答えて彼らに言われた。[「あなたがたは、夕方となって空が真っ赤だと『晴れだ』と言い、3.早朝に空が赤く曇っていると『今日は嵐だ』と言う。あなたがたは、空模様を見分けられるのに、時のしるしを見分けられないのか。]4.邪悪で背信の時代はしるしを求める。しかし、ヨナのしるし以外には、この時代にしるしは与えられないだろう」。そして、イエスは彼らを残して立ち去られた。
5.弟子たちも(湖の)向こう岸へ行ったが、パンを持って来るのを忘れた。6.そこでイエスは弟子たちに言われた。「ファリサイ派の人々と、サドカイ派の人々のパン種に注意し警戒しなさい」。7.弟子たちは、「これは、自分たちがパンを持って来なかったからだ」と言って、互いに論じ始めた。8.イエスはそれに気づいて言われた。「信仰のうすい者たちよ、パンを持っていないことで、なぜ論じ合っているのか。9.まだ分からないのか。五つのパンを五千人に配って、(余ったかけらを)いく籠集めたか思い出さないのか。10.また、七つのパンを四千人に配って、(余ったかけらを)いく籠集めたか思い出さないのか。11.わたしがパンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。しかし、あなたがたはファリサイ派の人々とサドカイ派の人々のパン種に警戒しなさい」。12.その時、弟子たちはイエスがパンの種のことを警戒するように言われたのではなく、「ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えに警戒しなさい」と言われたのだと悟った。
13.さて、イエスはフィリポ・カイサリア地方へ行かれたとき、弟子たちに、「人々は人の子を誰だと言っているか」と言ってお尋ねになった。14.そこで彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人々、ほかにエリヤだと言う人々、またほかにエレミヤ又は預言者の一人だと言う人々もいます」。15.イエスは、彼らに言われた。「それでは、あなたがたはわたしを誰だと言うか」。16.シモン・ペトロが答えて言った。「あなたは生ける神の子キリストです」。17.イエスは答えて彼に言われた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに現わされたのは、肉と血ではなく、天におられるわたしの父である。18.わたしもあなたに言う。あなたはペトロである。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てよう。ハデスの扉も彼女に打ち勝つことはできない。19.わたしはあなたに天の国の鍵を与えよう。あなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれるだろう」。20.その時イエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることを、誰にも言わないようにとお命じになった。
21.この時から、イエスは、ご自分が必ずエルサレムへ行き、長老たちや祭司長たち、律法学者たちからも多くの苦しみを受け、そして殺され、三日目に甦るべきことを、弟子たちに示し始められた。22.すると、ペトロがイエスを脇に引き寄せ、いさめ始めて、「主よ、とんでもないことです。そんなことは決してありません」と言った。23.しかし、イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタンよ、引きさがれ。わたしを躓かせる者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。

24.それからイエスは、ご自分の弟子たちに言われた。「誰でも、わたしについて来たいと思うなら、自分を否定し、自分の十字架を負うてわたしに従いなさい。25.自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしの為に自分の命を失う者は、それを得るだろう。26.たとえ人が全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得になるだろうか。あるいは、人は自分の命を買い戻すのに、どんな代価を払えるだろうか。27.人の子は、その父の栄光の内に天使たちと共に来ようとしているが、その時、その行いに応じてそれぞれに報いるだろう。28.あなたがたによく言っておくが、ここに立っている者たちの中に、人の子が王として来るのを見るまでは、決して死を経験しない者たちがいる。」

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 16章



πόσους κοφίνους ἐλάβετε; (9)   「(余ったかけらを)幾籠集めたか」    
     πόσας σπυρίδας ἐλάβετε; (10)   「(余ったかけらを)大籠でいくつ集めたか」
  9節の κοφίνους も、10節の σπυρίδας も「籠」という意味では同じであるが、10節の σπυρίδας は9節の κοφίνους に比べ大型の籠を意味する。      

ἠρώτα τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ λέγων· τίνα λέγουσιν οἱ ἄνθρωποι εἶναι τὸν υἱὸν τοῦ ἀνθρώπου; (13) 
イエスはご自分の弟子たちに繰り返し尋ねて(尋ね始めて)言った。「人々は人の子について誰だと言っているか」     上記はイエスが弟子たちと共にフィリポ・カイザリア地方へ行かれた時に、弟子たちに尋ねられた質問である。しかしこの問いかけが何度か繰り返して行われたか、または尋ね始められた事が、ἠρώτα(エーロータ・ἐρωτάω ”尋ねる”の未完了過去形)が使われていることから分かる。ギリシア語で未完了過去は、過去における動作の継続、反復、または開始を意味するからである。
       
σὺ εἶ Πέτρος, καὶ ἐπὶ ταύτῃ τῇ πέτρᾳ οἰκοδομήσω μου τὴν ἐκκλησίαν καὶ πύλαι ᾅδου οὐ κατισχύσουσιν αὐτῆς(18)
「あなたはペトロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てよう。ハデスの扉も彼女に打ち勝てないだろう」

18節は鍵を与えられたペトロの「権威」の問題に関して、これまで論争を生じさせる部分となって来た。Πέτρος(ペトロス) は確かに「岩」を意味するが、これは明らかに男性名詞としての岩である。次の ταύτῃ τῇ πέτρᾳ (ペトラ)「この岩」は女性名詞の岩であって、文法上、ペトロを指し示すものではない事は明白である。では女性名詞として、「この岩」が特定された使い方をしているのは、その上に建てられることになっている τὴν ἐκκλησίαν (教会)が女性名詞であることによるのかも知れない。従って、
ταύτῃ τῇ πέτρᾳ (ペトラ)「この岩」は教会の頭であり土台であるキリストを意味すると考えられる。これは16節のペトロの告白 「あなたこそ生ける神の子キリストです」という文脈の中で理解しなければならない。なお、「ハデスの扉」または「死の世界の扉」という表現は、「生」から断絶する「死」の拘束力を指すヘブライ的比喩的表現か(ヨブ38:17、イザヤ38:10参照)。

οἵτινες οὐ μὴ γεύσωνται (28)
「決して死を経験しない人たちが…いる」

上記は明らかに死を経験(ヘブライ的表現)しない人たちが一人ではなく、複数いる事を示している。キリストによって永遠の命が約束された者たちのことであろうか。
 



 

2012年10月1日月曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」15章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 

15章


1.そのような時に、ファリサイ派の人々と律法学者たちがエルサレムからイエスのもとに来て言った。2.「あなたの弟子たちはなぜ、先祖たちの言い伝えに違反するのですか」。それは弟子たちが、パンを食べる時に[自分たちの]手を洗わなかったからである。3.イエスは答えて彼らに言われた。「ではなぜ、あなたがたも自分たちの言い伝えのために、神の戒めに違反するのか。4.神は『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は必ず死ぬべきである』と言われたのだから。5.しかし、あなたがたは、父または母に対して、『あなたがわたしから受けて益となるはずのものを、(神への)献げ物にします』と言う者は、6.『自分の父を敬まってはならない』と言っている。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えによって神の言葉を無にしたのだ。7.偽善者たちよ、イザヤはあなたがたについて、よくぞ預言したものだ。こう言っている。
8.『この民は唇ではわたしを敬うが、
彼らの心は遠くわたしから離れている。
9.彼らは無意味にわたしを拝み、
人間の決まりごとを、教えとして教えている。』」
10.そして、イエスは群衆を呼び寄せて、彼らに言われた。「聞いて、悟りなさい。11.口に入ったものが人を汚すのではなく、むしろ口から出て来るものこそが、人を汚すのである」。
12.その時、弟子たちが近寄って来てイエスに言った。「お言葉を聞いたファリサイ派の人たちがつまずいたのをご存知ですか」。13.イエスは答えて言われた。「わたしの天の父が植えられなかった草木は、すべて抜き去られるだろう。14.彼らをそのままにさせておきなさい。彼らは[盲人を]道案内する盲人なのだ。盲人が盲人を道案内すれば、両方とも穴に落ち込む」。
15.するとペトロが答えてイエスに言った。「わたしたちに[その]譬えを説明してください」。16.イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。17.口に入るものはみな腹に入って出て行き、外に捨てられることがわからないのか。18.口から出るものは心から出て来るので、それが人を汚すのである。19.心から出て来るのは、論争、悪意、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、冒瀆などである。20.これらが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事をしても、それが人を汚すのではない」。
21.さて、イエスはそこを出てティルスとシドンの地方へ行かれた。22.すると、見よ、その地方出身のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダヴィデの子よ、私を憐れんでください。私の娘が悪霊にひどく苦しめられています」と言って叫んだ。23.しかし、イエスは彼女にお言葉を返されなかった。すると弟子たちがイエスに近寄って来て、「彼女を追い払ってください。わたしたちの後ろで叫び続けていますから」と言って懇願した。24.そこで、イエスは答えて言われた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たちのほかには遣わされていない」。25.しかし、女はイエスのもとに来て、ひれ伏し、「主よ、私をお助けください」と言った。26.しかし、イエスは答えて言われた。「子供たちのパンを取り上げて、小犬たちに投げてやるのは良くない」。27.しかし、女は言った。「主よ、そうです。でも小犬たちも、その主人たちの食卓から落ちるパンくずはいただきます」。28.その時イエスは答えて彼女に言われた。「おお!女よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」。こうして、彼女の娘はその時から癒された。
29.さて、イエスはそこを去って、ガリラヤ湖畔へ行かれ、山に登られてそこに座っておられた。30.すると、大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の不自由な人たち、体の曲がった人たち、口の利けない人たち、そのほか大勢の人たちをイエスのところに連れて来て、その足元に横たえた。そこで、イエスは彼らを癒された。31.群衆は、口の利けない人たちが話し、体の曲がった人たちが治り、歩けない人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神をほめたたえた。
32.イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。すでに三日もわたしと一緒にいるのに、何も食べものがないのだから。彼らを空腹のまま解散させたくない。途中で疲れきってしまうといけないから」。33.すると弟子たちがイエスに言った。「こんな人里離れた場所で、これほどの大勢の群衆に充分食べさせるだけのパンを、どこから(手に入れるのですか)」。34.イエスは弟子たちに、「パンはいくつあるか」と言われた。彼らは「七つと少しの小魚です」と言った。35.イエスは、群衆に地面に座るようにお命じになり、36.七つのパンと少しの魚を取り、感謝して裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。37.みんなは食べて満腹になった。裂いたかけらの余りを寄せ集めると、七つのかごにいっぱいになった。38.食べた人は女と子供以外に、男の人が四千人であった。
39.群衆を解散させてから、イエスは舟に乗ってマガダンの地方へ行かれた。 

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 15章


 οὐ μὴ τιμήσει τὸν πατέρα αὐτοῦ
「決して自分の父を敬ってはならない」6

οὐ μὴ は強い禁止の言葉で「決して~してはならない」を意味する。イエスはユダヤ人たちが神の言葉(律法)を無視して、自分たちの律法を厳しく制定した点を指摘された。

ὅτι κράζει ὄπισθεν ἡμῶν.
「私たちの後ろで叫び続けていますから」23
ἡ δὲ ἐλθοῦσα προσεκύνει αὐτῷ λέγουσα· κύριε, βοήθει μοι.(25)

「女はイエスのもとに来て、”主よ、私をお助けください”と言って何度もひれ伏していた

23と25節をよく読むと、このカナンの女がいかに本気で、真剣にイエスに願ったかがわかる。23の動詞 κράζει は現在形が使われており、彼女が今何度もくりかえし叫び続けているということ。25の動詞 προσεκύνει は未完了過去形が使われていて、これは過去の動作(行為)が何度も繰り返されていたことを示している。