2013年9月25日水曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」17章の翻訳(私訳)


ルカによる福音書 

17章


1.また、イエスはご自分の弟子たちに対して言われた。「つまずきが来るのは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸だ。2.その人にとっては、これらの小さな者たちの一人をつまずかせるより、ひきうすの石を首に掛けられて海に投げ込まれる方がましである。3.あなたがた自身も気をつけなさい。もし、あなたの兄弟が罪を犯すなら、彼に忠告しなさい。そしてもし悔い改めるなら、彼を赦してあげなさい。4.もし彼が、一日に七回あなたに罪を犯しても、七回『わたしは悔い改めます』と言って、あなたにところに戻ってくるなら、彼を赦してあげなさい」。
5.使徒たちが主に言った。「信仰をわたしたちに増し加えてください」。6.主は言われた。「もし、あなたがたに、からし種ほどの信仰があるなら、[この]桑の木に向かって『根こそぎ引き抜かれて、海に植われ』と言えば、そのとおりになるだろう。
7.あなたがたの誰かに、畑を耕すか羊を飼う僕がいて、その僕が農場から帰って来たとき、その人に『早くそばに来て食卓に座りなさい』と言うだろうか。8.むしろ彼に『夕食の準備をしてくれ。帯をしめ、わたしが食べたり飲んだりし終わるまで給仕をしてくれ。お前はそのあとで食べたり飲んだりしなさい』と言わないだろうか。9.命じられたことを行ったからとて、主人は僕に感謝するだろうか。10.このように、あなたがたも命じられたことを全て行ったとき、『わたしたちは、役に立たない僕です。しなければならないことを、したまでです』と言いなさい」。
11.イエスはエルサレムに向かわれる途中、サマリアとガリラヤの間を通って行かれた。
12.イエスがある村へ入って行かれると、十人の重い皮膚病を患う男の人たちがイエスに出会った。彼らは遠くに立ったまま、12.声を張り上げて「イエスさま、ご主人様、わたしたちを憐れんでください」と言った。14.イエスは彼らをご覧になって言われた。「行って自分の体を祭司たちに見せなさい」。すると、彼らはそこへ行く途中で清められた。15.しかし、彼らの中の一人が癒されたことを知り、大声で神を賛美しながら戻って来て、16.イエスの御前で足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17.そこでイエスは答えて言われた。「清められたのは十人ではなかったか。九人の人たちはどこにいるのか。18.この他国人のほかに、神に栄光を捧げるために戻って来た人はいないのか」。19.イエスは彼に言われた。「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。
20.ファリサイ派の人々から「神の国はいつ来るのか」と尋ねられたので、イエスは彼らに答えて言われた。「神の国は見える形で来るのではない。21.『見よ、ここに』また『見よ、あそこに』とも言えない。見よ、神の国はあなたがたの内側にあるのだから」。
22.それから弟子たちに対して言われた。「あなたがたは、人の子の日を一日でも見ようと欲するが、その日は来るだろうが、あなたがたは見ることはないだろう。23.人々はあなたがたに、『見よ、そこに』[あるいは]『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、あなたがたは(そこに)行ってもいけないし、追い求めてもいけない。24.稲妻が大空の端から大空の端にまでひらめき渡るように、[その日に]人の子が現れるのもちょうどそれと同じだろう。25.しかし、先ず彼は必ず多くの苦しみを受け、この時代の人々から拒まれ捨てられなければならない。26.また、ノアの時に起きたようなことが、人の子の時にも起きるだろう。27.ノアが箱舟に入り、洪水が襲って来て、全てのものが滅び去るその日まで、人々は食い、飲み、めとり、嫁ぎなどしていた。28.ロトの時にも同じようなことが起きた。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てたりなどしていた。29.しかし、ロトがソドムから出て行ったその日に、天から火と硫黄が降って、全てのものを滅ぼしてしまった。30.人の子が現われる日においても、これと同様だろう。31.その日、屋上にいる人は、家の中に家財があってもそれを取りに降りてはならない。同じく、畑にいる人もあとに戻ってはならない。32.ロトの妻のことを思い出しなさい。33.自分の命を自分のために得ようとする者はそれを失うが、自分の命を失うことをいとわない者はそれを保つだろう。34.わたしはあなたがたに言う。その夜、二人の者が一つの床に寝ていれば、一人は連れ去られ、他の者は取り残されるだろう。35.二人の女が同じ臼を挽いていれば、一人は連れ去られ、他の女は取り残されるだろう」。37.弟子たちが答えてイエスに「主よ、どこへですか」と言うと、イエスが彼らに言われた。「死体がある所には、はげ鷹たちも集まる」。




2013年9月19日木曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」16章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

16章


1.また、イエスは弟子たちに対しても言われた。「ある金持ちに一人の家令がいた。この家令が、主人の財産を浪費しているようだと主人に告げ口された。2.そこで主人は彼を呼んで言った。『わたしがあなたについて聞いているこの事は、どういうことか。あなたの会計報告書を渡しなさい。もう、家令をさせておくことが出来ないから』。3.そこで、家令は心の中で言った。『どうしようか、主人がわたしから家令の仕事を取り上げようとしている。もはや土を掘ることもできないし、物乞いするのも恥ずかしい。4.そうだ、こうしよう。そうすれば、わたしが家令の仕事を解かれた時、彼らはわたしを自分たちの家に迎えてくれるだろう』。5.そして、自分の主人の債務者を一人ずつ呼んで、最初の者に言った。『あなたは、わたしの主人にいくらの負債がありますか』。6.その人は言った。『オリーブ油百バトス《約2300リットル》です』。そこで、彼はその人に言った。『ここにあなたの証書がある。すぐ座って五十と書きなさい』。7.それから他の債務者に言った。『あなたはいくらの負債がありますか』。その人は言った。『麦百コロス《約39000リットル》です』。彼は言った。『ここにあなたの証書がある。八十と書きなさい』。8.主人はこの不正な家令を、その利口なやり方のゆえにほめた。なぜなら、この世の子らは、自分の同時代の人々に対しては、光の子らよりも利口だからだ。9.わたしもあなたがたに言う。不正の富によって、自分のために友を作りなさい。そうすれば(富が)無くなった時、人々はあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれるかも知れない。
10.小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。また、小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。11.だから、もし、あなたがたが、不正の富に忠実にならなければ、誰が本当のものをあなたがたに任せるだろうか。12.また、もし、あなたがたが他人のものに忠実にならなければ、誰があなたがたにあなたがたのものを与えるだろうか。
13.どんな召使いも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。
14.富を愛するファリサイ派の人々は、これらのことをすべて聞いてイエスをあざ笑った。15.するとイエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しく見せている。しかし、神はあなたがたの心を知っておられる。すなわち、人々の間で高ぶるものは、神の御前では忌み嫌われる。
16.律法と預言者たちはヨハネの時までである。その時から、神の国は告げ知らされており、皆がそこへ力ずくで入ろうとしている。17.しかし、律法の一点一画がすたれるよりも、天と地とが消え失せる方がずっと易しい。
18.だれでも自分の妻を離縁して、他の女と結婚する者は姦淫を犯すのである。また、夫から離縁された女と結婚する者も、姦淫を犯すのである。

19.ある金持ちがいた。紫の衣と亜麻布を着て、毎日を豪華に遊び暮らしていた。20.さて、その人の門前にラザロという名の、全身できもので苦しむ貧しい人が横たえられていた。21.彼は、金持ちの食卓から落ちる食べ物で腹を満たそうと切に望んでいたが、犬どもが来て彼のできものをなめていた。22.ところが、この貧しい人は死んで、天使たちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで埋葬された。23.そして、ハデスにおいて苦しみもだえながら彼の目を上げると、遠くにアブラハムとそのふところにラザロがいるのが見えた。24.そこで、彼は叫んで言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れみラザロを遣わしてその指先を水に浸し、わたしの舌を冷やしてください。わたしはこの炎の中で苦しんでいますから』。25.しかし、アブラハムが言った。『子よ、思い出すが良い。お前は生きている時に良いものを受け、ラザロは同様に悪いものを受けた。しかし、今ここでは、彼は慰められ、お前は苦痛を味わっている。26.その上、わたしたちとお前たちとの間には大きな深い淵が置かれている。ここからお前たちの方へ渡って行こうと思ってもできないし、そこからわたしたちの方へ渡って来ることもできない』。27.そこで金持ちは言った。『ではお願いです。父よ、ラザロをわたしの父の家に遣わしてください。28.わたしには五人の兄弟がいます。彼らまでもこんな苦しい場所に来ることがないように、彼らに厳しく警告してほしいのです』。29.しかしアブラハムは言った。『彼らにはモーセと預言者たちがいる。その人たちの言うことを聞きなさい』。30.しかし、金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし死人たちの中から誰かが彼らのもとへ行けば、彼らは悔い改めるでしょう』。31.しかし、アブラハムは彼に言った。『もし、モーセと預言者たちの言うことを聞かないなら、たとえ死人たちの中から誰かが生き返ったとしても、だれも勧告を受け入れないだろう』」。




Ὁ νόμος καὶ οἱ προφῆται μέχρι Ἰωάννου
律法と預言者たちはヨハネの時までです(16)

「預言者たち」は「諸預言書」とも訳し得る。「律法と諸預言書」とは旧約聖書のことであるが、上記の聖句を引用して、旧約聖書は(特にその中でも律法は)ヨハネの時代までで終わったのだと解釈してはならない。このことはその後に続く言葉で、イエスご自身がそれを強く否定しておられることである(17節)。イエスがここで言われたのは、「旧約聖書の時代」のことであって、旧約聖書それ自体ではない。16節後半に、「その時から」、つまりヨハネの時から、「神の国が告げ知らされている」と、ここでも時について新しい時代が始まったことを語られたのである。




2013年9月16日月曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」15章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

15章


1.さて、徴税人たちや罪人たちが皆、イエスの話を聞こうと近寄って来ていた。2.すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちが「この人は罪人たちを招いて一緒に食事をしている」と言って互いにつぶやき合った。
3.そこで、イエスは彼らにこの譬えを話された。4.「あなたがたのうちの誰かが百匹の羊を飼っていて、その内の一匹がいなくなれば、九十九匹の羊たちを荒野に残して、いなくなった羊のために、それを見つけるまで探しに行かないだろうか。5.そして、見つけると喜んで自分の肩に乗せ、6.家に帰り、友人や近所の人たちを呼び集め、彼らに『わたしと一緒に喜んでください。いなくなったわたしの羊が見つかりましたから』と言うだろう。7.わたしはあなたがたに言うが、このように、悔い改めを必要としない九十九人の正しい者たちより、悔い改めた一人の罪人のゆえに、天において喜びがあるだろう。
8.ドラクマ銀貨十枚を持っているある婦人が、もし、ドラクマ銀貨一枚《デナリオンと等価で労働者一日分の賃金》をなくしたら、彼女は灯りをともして家を掃除し、それを見つけるまで注意深く探さないだろうか。9.そして、見つけると友人や近所の人たちを呼び集め『私と一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨が見つかりましたから』と言うだろう。10.あなたがたに言うが、このように、悔い改めた一人の罪人のゆえに、神の天使たちのいるところで喜びが沸き起こる」。
11.また言われた。「ある人に二人の息子がいた。12.弟が父に言った。『お父さん、わたしに財産の取り分をください』。そこで父は、二人に財産を分け与えた。13.何日もたたないうちに、弟は全てを取りまとめて遠い所へ旅に出た。そして、そこで放蕩三昧に生活し、自分の財産を食いつぶしてしまった。14.彼が全てを使い果たしたとき、その地方にひどいききんがおこって、彼は(食べることにも)窮し始めた。15.そこで、その地方のある住民のところへ行って雇われたが、その人は彼を自分の農場へやって、豚の世話をさせた。16.そして、豚が食べていたいなご豆で飢えを満たしたいと切に望んだが、誰も彼に(食べ物を)与えてくれなかった。17.そこで、彼は我に返って言った。『わたしの父のところには雇い人たちが大勢いて、食べ物も有り余るほどあるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。18.立って、わたしの父の所へ行って、こう言おう。お父さん、わたしは天に対しても、あなたの御前にも罪を犯しました。19.もう、わたしはあなたの息子と呼ばれる資格はありません。わたしをあなたの雇い人の一人のようにしてください』。20.そして、立って自分の父の所へ行った。まだ遠く離れていたが、父は彼を見て憐れに思って駆け寄り、その首を抱いて接吻した。21.しかし、息子は父に言った。『お父さん、わたしは天に対しても、あなたの御前にも罪を犯しました。もう、わたしはあなたの息子と呼ばれる資格はありません』。22.しかし、父は自分の僕たちに言った。『急いで最上の衣を持ってきて彼に着せなさい。また、指輪を彼の指にはめ、靴を足にはかせなさい。23.また、肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて楽しもう。24.このわたしの息子が死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。そして、彼らは祝宴を始めた。25.しかし、その人の息子の兄は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽と踊りの音が聞こえた。26.そこで、僕の一人を呼んで『これはいったい何事か』と尋ねた。27.そこで、僕が兄に『あなたのご兄弟が帰って来ておられるのです。無事に帰られたので、あなたのお父上が肥えた子牛をほふられたのです』と言った。28.しかし兄は怒って家に入ろうとしなかったが、彼の父は出て来て彼をなだめた。29.すると、兄は答えて父に言った。『ご覧下さい、わたしは何年もあなたに仕えてきましたし、決してあなたの命令をなおざりにしたことはありません。それなのに、わたしが友人たちと一緒に楽しむのに、あなたはわたしに子やぎ一匹くださったことはありません。30.しかし、あなたの財産を、遊女どもと一緒に食いつぶしたあなたのこの息子が帰って来ると、彼の為に肥えた子牛をほふられました』。31.すると、父は兄に言った。『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、わたしのものは全てお前のものだ。32.あなたのこの兄弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び楽しむのは当然である』」。






  ★πάτερ, ἥμαρτον εἰς τὸν οὐρανὸν καὶ ἐνώπιόν σου,(18)
 οὐκέτι εἰμὶ ἄξιος κληθῆναι υἱός σου· ποίησόν με ὡς ἕνα τῶν μισθίων σου(19)

  「お父さん、わたしは天に対しても、あなたの御前にも罪を犯しました」(18) 「もう私はあなたの息子と呼ばれる資格はありません。わたしをあなたの雇い人の一人のようにしてください」(19)   18と19節はこの放蕩息子が困窮の末に我に帰り、故郷を思い出して父のもとへ帰る決心をした時のものです。彼は父のもとに帰って、改心の表明として上記の告白をしようと心に決めていた。しかし…21節、彼が準備していたこの言葉は、全てを言いきる前に途中で、22節の父の「急いで~」からの言葉に遮られてしまった。準備していた『雇い人の一人のようにしてください』の言葉は、息子がこの言葉を言う間もなく、憐れみ深い父親の言葉によって覆われてしまっているのである。




2013年9月12日木曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」14章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

14章


1.イエスは安息日に食事をするために、あるファリサイ派の役人の家に入られた。彼らはイエスの様子をうかがっていた。
2.すると見よ、イエスの前に水腫を患っている人がいた。3.そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人たちに質問して、「安息日に人を癒すのは良いことか、それとも良くないことか」と言われた。4.しかし、彼らは黙っていた。そこでイエスは、その人の手を取って癒し、お帰しになった。5.そして、彼らに言われた。「あなたがたの誰かが、安息日に自分の子供か牛が井戸に落ちたら、すぐに引き上げてやらないだろうか」。6.しかし、誰もこれに対して言い返すことができなかった。
7.イエスは招待者たちが上席をどう選ぶかを注意して見ておられ、彼らに譬えを語って言われた。8.「あなたが誰かから婚宴に招かれたときは、上席に着いてはならない。あなたより身分の高い人が招待を受けているといけないから。9.あなたやその人を招いた人が来て、あなたに『席をこの方にお譲りください』と言うだろう。するとその時、こんどはあなたが恥をかいて末席に留まることになる。10.あなたが招かれた時は、むしろ末席に行って座りなさい。すると、その時あなたを招いた人が来て、あなたに言うだろう。『友よ、もっと上席へお進みください』と。その時あなたは、参列者全員の前で称賛を得ることになる。11.だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるだろう」。
12.また、ご自分を招待してくれた人にも言われた。「午餐か晩餐をする時は、あなたの友人たち、兄弟たち、親戚、金持ちの隣人たちを招いてはならない。ひょっとして彼等もあなたを招き返し、返礼をすることになるかもしれないから。13.むしろ、宴会を行う時は、貧しい人たち、体の不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の不自由な人たちを招きなさい。14.彼らはあなたに返礼ができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報いを受けることになるからである」。
15.食事の席に着いていた中のある者が、これを聞いてイエスに言った。「だれでも神の国で食事をする人は幸いです」。
16.イエスは彼に言われた。「ある人が盛大な晩餐を催して、大勢の人々を招待した。17.晩餐の時間になったので、自分の僕を遣わして招かれた人々に言った。『どうぞおいで下さい。すでに準備が整いましたから』。18.すると、彼らは次々と断りはじめ、最初の人が彼に言った。『わたしは畑を買ったので、どうしてもそれを見に行かなければなりません。お願いです。どうか勘弁してください』。19.また、ほかの人が言った。『つがいの牛を五対、買いましたので、それを調べに行くところです。お願いです。どうか勘弁してください』。20.また、ほかの人が言った。『妻をめとりました。だから行くことができません』。21.僕は帰って来て、この事を自分の主人に報告した。すると、家の主人は怒って自分の僕に言った。『急いで、町の大通りや小道へ出て行って、貧しい人たちや体の不自由な人たち、また、目の不自由な人たち、足の不自由な人たちをここへ連れて来なさい』。22.僕は言った。『ご主人様、仰せの通りにいたしましたが、まだ席がございます』。23.そこで、主人は僕に言った。『通路や垣根に出て行って、わたしの家がいっぱいになるように無理にでも入らせなさい』。24.だからあなたがたに言っておくが、招かれたそれらの人たちの中で、わたしの晩餐にあずかる者は一人もいないだろう」。
25.大勢の群衆が一緒にイエスについて来ていたが、振り向いて彼らに言われた。26.「だれでもわたしのもとに来ようとする者は、自分の父、母、妻、子供たち、兄弟たち、姉妹たち、また、自分の命をも軽視するのでなければ、わたしの弟子となることはできない。27.誰でも、自分の十字架を背負って、わたしについて来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
28.あなたがたの誰かが、大きな邸宅を建てようとする場合、初めに腰を据えて、完成させるのに充分な資金があるかどうか、費用を計算しないだろうか。29.そうでないと、その人は土台を据えても完成させることができず、見ている人々は皆、彼をあざけって、30.『この人は建て始めたけれど、完成させることができなかった』と言いだすだろう。31.どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために行くのに、先ず腰を据えて、自分に向かって二万の兵を率いて来るのに対し、一万の兵で立ち向かうことができるかどうか考えてみないだろうか。32.もし、できなければ、まだ相手が遠くにいるうちに使者を送って、和合を求める。33.だから、このように、あなたがたの誰でも、自分の持ち物をすべて捨て去らない者は、わたしの弟子になることはできない。

34.塩は良いものである。しかし、もし、塩がその効き目を失ったら、何によって味をつけるのだろうか。35.地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられる。聞く耳のある者は聞きなさい」。





ἔξελθε εἰς τὰς ὁδοὺς καὶ φραγμοὺς καὶ ἀνάγκασον εἰσελθεῖν (23)
「道や小道に出て行って、無理にでも(家に)入らせなさい」(23)

14章は、ある家の主人が盛大な宴会を催して、人々がそれに招待されるという譬え話が中心となっている。しかし、招待された人々は皆、さまざまな理由をつけて招待を断るのであるが、主人はそれでもあきらめず、次の方法を考える。23節はこの主人がとった方法である。『道や小道』は21節の『町の大通りや路地』という表現より狭い『通路や垣根』と訳すこともできる。つまりどこへでも出掛けて行って、人々を無理にでも(強いてでも)宴会に連れて来なさいという命令である。

★「だから、このように、あなたがたの誰でも、自分の所有する財産をすべて捨て去らない者は、わたしの弟子となることはできない」(33)

 「わたしの弟子となることはできない」は、「わたしの弟子である(であり続ける)ことはできない」と訳すのがより正確である。



2013年9月3日火曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」13章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

13章


1.ちょうどその頃、ある人々がイエスのところに来て、ピラトがガリラヤ人たちの血を彼らの犠牲の捧げものに混ぜたことを知らせた。2.そこでイエスは彼らに答えて言われた。「これらのガリラヤ人たちがそのような目に会ったのは、ほかの全てのガリラヤ人たちより罪深い者たちだったからだと思うか。3.決してそうではない。わたしはあなたがたに言うが、あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅ぼされるだろう。4.また、シロアムにおいて塔が倒れて死んだかの十八人は、エルサレムに住むその他の全ての人々より罪の負債を多く負う者たちだったからだと思うか。5.決してそうではない。わたしはあなたがたに言うが、あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅ばされるだろう」。
6.そして、イエスはこの譬えを話された。「ある人が、自分のぶどう園にいちじくの木を植えた。そして、そのいちじくの木に実を探しに行ったが見つからなかった。7.そこでぶどう園の園丁に言った。『わたしは三年もこのいちじくの木に、実を探しに来ているが見つからない。[だから]これを切り倒せ。何のために土地を無駄にしておくのか』。8.しかし、園丁は答えてその人に言った。『ご主人様、今年もそのままにしておいてください。それまでに木の周りを掘って肥料をやってみます。9.そうすれば、来年、実がなるかもしれません。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。
10.さて、イエスは安息日にある会堂で教えておられた。11.すると、見よ、十八年も病の霊に取りつかれている婦人がいた。腰が折れ曲がっていて、真っ直ぐに立つことが全くできないでいた。12.イエスは彼女を見て呼びかけて言われた。「婦人よ、あなたの病は解かれた」。13.そして、彼女に手を置かれると、彼女はたちどころに真っ直ぐになり、神をほめたたえた。14.しかし、会堂長は、イエスが安息日に癒しを行ったことに憤慨して応答し、「働くべき日は六日ある。だから、あなたがたはその間に来て治してもらいなさい。安息日はいけない」と群衆に言った。15.しかし、主は答えて会堂長に言われた。「偽善者たちよ、あなたがたのうち誰でも、安息日に自分の牛やロバを家畜小屋から解き、引いて行って水を飲ませてやらないだろうか。16.この婦人はアブラハムの娘にもかかわらず、見よ、十八年もサタンは彼女を縛っていた。安息日に彼女がこの束縛から解かれるのは当然ではないか」。17.イエスはこう話されて、イエスに反対する人々は皆、恥入ったが、群衆は皆イエスによってなされる数々の素晴らしい業を喜んでいた。
18.そこでイエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。19.それはからし種に似ている。人がそれを取って自分の菜園にまくと成長して木となり、空の鳥たちがその枝に巣を作る」。
20.また言われた。「神の国を何にたとえようか。21.それはパン種に似ている。女がそれを取って三サトン(約38リットル)の小麦粉に混ぜると、全体がふくれる」。
22.イエスは町ごとに、村ごとに教えながら巡り歩き、エルサレムへの旅を続けておられた。23.すると、ある人がイエスに言った。「主よ、救われる人たちは少ないのですか」。そこでイエスは彼らに言われた。24.「狭い門から入る様に努めなさい。言っておくが、多くの人々が入ろうと求めるが、入れないからだ。25.家の主人が起き上がって門を閉めてから、あなたがたが外に立って門をたたき『ご主人様、開けてください』と言っても、主人はあなたがたに答えて言うだろう。『あなたがたがどこからの者か、わたしはあなたがたを知らない』。26.その時あなたがたは言い始めるだろう。『わたしたちはあなたの前で食べたり飲んだりし、あなたはわたしたちの大通りで教えられました』。27.すると、主人はあなたがたに言う。『あなたがたがどこからの者か、わたしは[あなたがたを]知らない。不正を働く者たちよ、皆わたしから離れ去れ』。28.神の国にアブラハム、イサク、ヤコブ、また全ての預言者たちがいるのを見ても、あなたがたは外に投げ出され、そこで泣き叫んだり歯ぎしりしたりするだろう。29.そして、人々が東から西から、また北から南から来て、神の国において食事の席に着くだろう。30.見よ、後の者たちが先になり、先の者たちが後になるだろう」。
31.ちょうどその時、あるファリサイ派の人々が近寄って来てイエスに言った。「ここから出て行ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしていますから」。32.イエスは彼らに言われた。「行ってその狐に言いなさい。『見よ、わたしは悪霊を追い出し、今日も明日も癒しを行い、三日目には成し終える』と。33.だから、わたしは、今日も明日も次の日も進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外で死ぬことは不可能だからである。
34.エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、彼女に遣わされた者たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、雌鶏が自分の雛を翼の下に集めるように、わたしは何度お前の子供たちを集めようとしたことか。それなのに、お前たちは応じようとしなかった。35.見よ、お前たちの家は見捨てられてしまう。[それで]わたしはお前たちに言っておく。
『主の御名によって来られる方に祝福があるように』

と、お前たちが言う[時が来る]までは、お前たちは決してわたしを見ることがない」。






★ 「ピラトがガリラヤ人たちの血を彼らの犠牲の捧げものに混ぜたことを報告した。」
    (1)
 犠牲の奉献中の人々(ガリラヤ人)をピラトが虐殺したため、犠牲の動物の血と同時に人々の血が流されたことを表現したもの。(新約聖書ギリシア語小辞典:織田 昭 編)

★  γύναι, ἀπολέλυσαι τῆς ἀσθενείας σου  (12)
「婦人よ、あなたの病は解かれた」(12)

上記は腰の折れ曲がった婦人を癒された時、イエスが婦人に言われた言葉です。この婦人は11節を見ると、十八年間も「病の霊に取りつかれていた」とある。イエスの時代、病は悪霊(サタン)が取りついたことから来ていると信じられていたし、イエスもそのように理解されておられたことは16節のイエスの言葉からもわかる。「サタンは彼女を十八年も縛っていた。安息日に彼女がこの束縛から解かれるのは必要なことではないか」(16)。故に、上記12節は、「婦人よ、あなたの病は治った(癒された)」と訳すより、原典どおり、「婦人よ、あなたの病は解かれた」と訳すのが文脈上からもより正確と言える。ついでに ἀπολέλυσαι は ἀπολύω 「解く」の完了、受動態であり、「あなたは解かれている」と訳すこともできる。