2013年7月25日木曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」9章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

9章


1.イエスは十二人を呼び寄せ、彼らにあらゆる悪霊どもに対して、病気を癒す力と権能とをお授けになった。2.そして彼らに神の国を宣べ伝え、また[病気の人々を]癒すために遣わされた。3.そして彼らに言われた。「旅には何も持って行くな。杖も旅の袋もパンもお金も二枚の下着も持って行くな。4.またある家に入ったら、そこに滞在し、そこから出掛けなさい。5.また、誰もあなたがたを歓迎しないなら、その町から出ていく時、彼らに対する証明のため、あなたの足から埃を払い落としなさい」。6.そこで彼らは出掛けて行き、村ごとを巡って福音を宣べ伝え、至る所で癒しを行った。
7.領主ヘロデは、あらゆる出来事を聞いて途方にくれていた。それはある人々が「ヨハネが死者たちの中から生き返ったのだ」と言い、8.またある人々が「エリヤが現れたのだ」と言い、また他の人々が「誰か昔の預言者がよみがえったのだ」と言っていたからである。9.そこでヘロデが言った。「わたしがヨハネの首を切ったのだ。では、わたしがいろいろと聞いているこの者は一体誰か」。ヘロデはイエスに会って見たくなった。
10.使徒たちは戻って来て、自分たちが行ったことをみなイエスに語って聞かせた。それから、イエスは彼らを連れて、秘かにベトサイダと呼ばれる町へ退かれた。11.しかし、群衆がそれを知ってイエスについて来た。イエスは彼らを受け入れ、彼らに神の国について語られ、癒しを必要とする人々を癒しておられた。
12.日が暮れかかったので、十二人の弟子たちがイエスに近寄って来て言った。「群衆を解散させて、彼らに付近の村々や集落へ行かせて宿をとらせ、また何か食べ物を手に入れさせてください。わたしたちはこんな人里離れたところにいるのですから」。13.ところがイエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」。彼らは言った。「わたしたちには、五つのパンと二匹の魚以外に何もありません。わたしたちがこの全ての人々のために、食べ物を買いに行くのでなければ」。14.そこには男が五千人ほどいたからである。しかし、イエスは弟子たちに言われた。「彼らをそれぞれ五十人ごとの組にして座らせなさい」。15.弟子たちはそのようにみんなを座らせた。16.そこでイエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げそれらを祝福して裂き、群衆に配るために弟子たちに渡された。17.みんなは食べて満腹した。裂いたかけらの余りが寄せ集められたが、十二のかごがそれらのものでいっぱいになった。
18.イエスが一人で祈っておられると、弟子たちがイエスのもとに集まって来たので、イエスは彼らに、「人々は、わたしを誰だと言っているか」とお尋ねになった。19.それで弟子たちは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言う者、またエリヤだと言う者、また昔の預言者が生き返ったのだという者もいます」。20.そこでイエスは彼らに言われた。「では、あなたがたはわたしを誰だと言うか」。ペトロが答えて言った。「神の(子)キリストです」。21.するとイエスは彼らを諭し、「このことを誰にも言わないように」とお命じになって、22.人の子は多くの苦しみを受けなければならず、長老たちや祭司長たち、律法学者たちからも拒絶されて殺され、三日目によみがえるべきことをお話しになった。
23.そして皆の者たちに言われた。「誰でも、わたしについて来たいと思うなら、自分を否定し、自分の十字架を日々背負ってわたしに従いなさい。24.自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失くそうとする者こそ、それを救うことになる。25.人が全世界を手に入れても、自分自身を滅ぼしたり、損害を受けたりしたら何の得になるだろうか。26.わたしと、わたしたちのこれらの言葉を恥じる者は、人の子がその栄光と、父と聖なる天使たちの栄光の内に来る時、その者を恥じるだろう。27.まことにあなたがたに言うが、神の国を見るまでは、決して死を経験しない者たちが、ここに立っている者たちの中にいる」。
28.これらの言葉を語られたのち八日ほど経って、イエスはペトロとヨハネとヤコブを連れて、祈るために山に登られた。29.イエスが祈っておられると、その姿かたちが変わり、その衣が電光のように白く輝いた。30.すると見よ、二人の人がイエスと話をしていた。彼らはモーセとエリヤであった。31.二人は栄光の内に現れ、イエスがエルサレムで成就しようとしておられるご自身の最期について話しをしていた。32.ペトロと彼と一緒にいた弟子たちは、眠りに落ち入りそうであったが、イエスの栄光とイエスと一緒に立っている二人の人を、目を凝らしながら見た。33.二人の人がイエスから離れ去ろうとした時、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは尊いことです。ですから仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。ペトロは自分でも何を言っているのか、わからなかった。34.ペトロがそう言っていると、雲が現われてその人たちをおおいはじめた。その人たちが雲の中に入って行くので弟子たちは恐ろしくなった。35.すると雲の中から声がして言った。「これはわたしの選ばれた子、これに聞け」。36.その声がした時、そこにはイエスだけがおられた。三人の弟子たちは口を閉ざして、その頃は彼らが見た事を誰にも何も知らせなかった。
37.翌日、一行が山から下ると、多くの群衆がイエスを迎えた。38.すると見よ、群衆の中から一人の男の人が叫んで言った。「先生、お願いですからわたしの息子に目を留めてやってください。わたしにとってただ一人の息子なのです。39.霊がこの子に取りつくと、この子は突然叫び出し、泡を吹いてけいれんを起こさせ、この子を打ちのめしてなかなか離れないのです。40.そこで、あなたのお弟子さんたちに、霊を追い出してくださるようお願いしましたが、できませんでした」。41.そこでイエスは答えて言われた。「ああ、なんと不信仰で曲がった時代だろう。わたしはいつまであなたがたのもとにいられようか。またいつまであなたがたに我慢できようか。あなたの息子をここに連れて来なさい」。42.息子が来る間にも、悪霊はその子を引き倒し、けいれんさせた。そこでイエスは汚れた霊を叱り、その子を癒して父親にお返しになった。43.人々は皆、神の偉大さにびっくりしていた。
皆がイエスのなされたすべての業に驚いているとき、イエスは弟子たちに言われた。44.「これらの言葉をあなたがたの耳に留めなさい。人の子が人々の手に渡されようとしているからである」。45.しかし、彼らにはその言葉の意味がわからなかった。それがわからないように、彼らには隠されていたのである。彼らは、その言葉についてイエスに尋ねることを恐れていた。
46.さて、弟子たちの間で、自分たちのうち誰が一番偉いかと論争が生じた。47.イエスは彼らの心の論争を見抜いて、幼子の手をとり、ご自分のそばに立たせて、48.彼らに言われた。「わたしの名のゆえに、このような幼子を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。だから、あなたがたみんなの中で最も小さい者こそ、最も偉いのである」。
49.ヨハネが答えて言った。「先生、わたしたちは、あなたの名によって悪霊を追い出している人を見かけましたが、わたしたちの仲間ではないので、やめさせました」。50.イエスは彼に言われた。「止めてはいけない。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。
51.イエスの(天に)上げられるまでの日数が満ちてきたので、イエスはエルサレムへ行こうと顔を向けられ、52.ご自分より先に使者たちを遣わされた。そして、彼らがイエスのために準備をしようと歩いて行き、サマリア人たちの村に入った。53.しかし、村人たちはイエスを歓迎しなかった。イエスのみ顔がエルサレムに向いて進んでいたからである。54.弟子のヤコブとヨハネがそれを見て言った。「主よ、いかがでしょう。天から火を降らせて、彼らを焼き払いましょうか」。55.イエスは振り向いて二人を戒められた。56.それから一行は他の村へ行った。

57.一行が旅を続ける途中で、ある人がイエスに言った。「あなたが行かれるところなら、どこへでも従ってまいります」。58.イエスは彼に言われた。「狐たちには穴があり、空の鳥たちには巣がある。しかし、人の子には頭を横たえる場所もない」。59.また他の人に言われた。「わたしに従いなさい」。その人が言った。「[主よ、]先ずわたしの父を葬りに行くのをお許しください」。60.イエスは彼に言われた。「死人たちに、自分たちの死人を葬らせなさい。しかし、あなたは行って、神の国を宣べ伝えなさい」。61.また、他の人も言った。「主よ、あなたにお従いします。でも、その前にわたしの家の者たちに、別れを言いに行くのをお許しください」。62.そこでイエスは[彼に向って]言われた。「だれでも、手を鋤にかけてから後ろを見る者は、神の国にふさわしくない」。






  αὐτὸς τὸ πρόσωπον ἐστήρισεν τοῦ πορεύεσθαι εἰς Ἰερουσαλήμ (51)
「イエスの(天に)上げられるまでの日数が満ちてきたので、イエスはエルサレムへ行く決意を固められた」(51)

ὅτι τὸ πρόσωπον αὐτοῦ ἦν πορευόμενον εἰς Ἰερουσαλήμ (53)
「しかし、村人たちはイエスを歓迎しなかった。イエスのみ顔がエルサレムに向いて進んでいたからである」 (53)

上の2節は十字架に向かってのイエスの並々ならぬ決意を示すものである。51節の「イエスはエルサレムへ行く決意を固められた」の『決意を固められた』は、原文の直訳では、『み顔を(エルサレムに向け)しっかり据えられた』である。 53節でサマリヤ人たちがイエスを歓迎しなかったのは、『イエスのみ顔がエルサレムに向いて進んでいたからだ』とルカは表現した。

ἄφες τοὺς νεκροὺς θάψαι τοὺς ἑαυτῶν νεκρούς (60)
「死人たちに、自分たちの死人(複数)を葬らせなさい」(60)

νεκρούς は「死人たち」を意味する名詞(複数形)。60節で二度使われている。前者は肉体的死人ではなく、霊的に死んだ状態にある人、もしくは埋葬を仕事とする人たちと解すべきであろう。イエスがここでこのような言い回しで話されたのは、まさに今、イエスに従うと決めた人たちは霊的にイエスによって生かされている人たちなのであり、「死んだ人々」とは区別されているのである。 




2013年7月12日金曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」8章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

8章


1.その後すぐ、イエスは町ごとに村ごとに、神の国を告げ知らせ、宣べ伝えながら巡回しておられた。十二人の弟子たちも一緒であった。2.またある婦人たち、すなわち悪霊どもや病気などから癒された人たちで、七つの悪霊を追い出されたマグダラと呼ばれるマリア、3.またヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、それにスサンナ、そのほか大勢の婦人たちもいた。彼女たちはみな自分たちの持ち物によって彼らに仕えていた。
4.方々の町から大勢の群衆が集まってきたので、イエスは譬えでお話しになった。5.種をまく人が種まきに出掛けた。種をまいていると、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥たちがそれを食べてしまった。6.またほかの種は岩地に落ちた。すると生え出たが、水分がないために枯れてしまった。7.またほかの種は茨の中に落ちた。すると茨も一緒に成長しそれをふさいで枯らしてしまった。8.またほかの種は良い地に落ち、成長して百倍の実を結んだ」。こう言って大声で言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい」。
9.そこで弟子たちがイエスに、「この譬えはどういう意味ですか」と尋ねると、10.イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されている。しかし、ほかの人々には譬えで語る。
『彼らは見ているけれど見ようとせず、
聞いているけれど知ろうとしない』
からだ。
11.譬えの意味はこうである。種は神の言葉である。12.道端にまかれたものとは、(御言葉を)聞く人たちのことであるが、そのあと悪魔が来て、彼らが信じて救われないように、彼らの心から御言葉を取り上げてしまう。13.岩地に落ちたものとは、御言葉を聞くとそれを喜んで受け入れる人たちのことであるが、根がないので、しばらくの間は信じていても、試練の時が来ると離れ去ってしまう。14.茨の中に落ちたものとは、(御言葉を)聞く人たちのことであるが、富の心配と快楽の生活によって歩んでいるので(御言葉が)覆いふさがれ、実を結ぶまでには至らない。15.他方、良い地に落ちたものとは、きれいな良い心で御言葉を聞く人たちのことで、それをしっかりと守り忍耐をもって実を結ぶのである。
16.だれも明かりをともして、器具でそれを覆ったり寝台の下に置いたりする人はいない。むしろ(家に)入って来る人々に光が見えるように、燭台の上に置くのである。17.だから、隠れているもので明らかにならないものはなく、秘密にされているもので知られず、明るみに出ないものはない。
18.だから、あなたがたはどのように聞くのか注意を払いなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思うものまでもその人から取り上げられるからである」。
19.さて、イエスのところに母と兄弟たちがやって来たが、群衆のため彼らはイエスに近寄ることができなかった。20.そこでイエスに、「あなたの母上と兄弟たちがあなたに会いたいと、外に立っておられます」と伝えられた。21.しかし、イエスは答えて彼らに言われた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神の言葉を聞いて行う者たちのことである」。
22.ある日のこと、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、彼らに「湖の向こう側へ行こう」と言われたので、彼らは出発した。23.一行が舟で渡っているとき、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹き降りて来て、舟が水浸しになり危険になった。24.弟子たちはイエスに近寄って起こし、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは目を覚まし、風と荒波とを叱られた。すると止んで凪になった。25.イエスは彼らに言われた。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」。彼らは驚き恐れて互いに言った。「この方は一体どなただろう。風にも水にもお命じになると、この方に従うとは」。
26.そして彼らは、ガリラヤの反対側にあるゲラサの地へ渡った。27.イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊にとりつかれている男に出会われた。この男は長い間、衣服を着ず、また家にも住まず、墓場に住んでいた。28.しかしイエスを見て叫びながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエスよ、わたしとあなたと何の関わりがありますか。お願いだから、わたしを苦しめないでください」。29.それはイエスが汚れた霊に「この人から出るように」と命じられたからである。度々、汚れた霊が彼を捕らえていたので、彼は鎖や足かせにつながれて監視されていたが、鎖を引きちぎり悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。30.イエスが彼に、「名前は何と言うのか」とお尋ねになると、彼は「レギオンです」と言った。大勢の悪霊が彼の中に入り込んでいたからである。31.そして悪霊どもはイエスに、自分たちを「底なしの淵へ行けと命じないでください」と懇願した。32.ところで、そのあたりには山で飼われている多くの豚の群れがいた。悪霊どもはイエスに、それらの中に入って行くことを許してくださるようにと願ったので、イエスはそれを許された。33.悪霊どもはその人から出て行き、それらの豚の中へ入った。すると、豚の群れは崖に沿って湖に向かってなだれ込み、水死してしまった。
34.飼育人たちはこの出来事を見て逃げて行き、町や村々に行って知らせた。35.人々はこの出来事を見ようと出て来てイエスのところに来たが、悪霊どもを出された人が衣服を着て正気になってイエスの足もとに座っているのを見て恐れた。36.これを見た人たちは、悪霊にとりつかれた人がどのように救われたかを人々に知らせた。37.ゲラサ地方の住民はみな、自分たちの所から出て行ってほしいとイエスに懇願した。なぜなら、彼らは非常な恐れを抱いていたからである。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。38.ところが、悪霊どもを追い出してもらった男の人が、イエスにお供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。39.「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをなしてくださったかを語って聞かせなさい」。そこで彼は町中に出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを告げ知らせた。

40.イエスが帰られると、群衆は喜んでイエスを迎えた。彼らは皆、イエスを待ち望んでいたからである。41.すると、見よ、ヤイロという名の男の人が来た。この人は会堂司であった。彼はイエスの足もとにひれ伏し、イエスに自分の家に来ていただきたいと懇願した。42.なぜなら、彼に十二歳位の一人娘がいたが、この少女が死にかけていたからである。しかし、イエスがそこに向かわれる途中、群衆がイエスに押し寄せ、息もできないほどであった。43.さて、ここに十二年間も血の流出を患っている婦人がいた。彼女は[医者たちに全財産を使い果たしたが]誰からも治してもらうことができなかった。44.彼女は後ろからイエスに近づき、その衣の裾のふさに触れた。するとすぐに、彼女の出血が止まった。45.するとイエスは言われた。「わたしに触れたのは誰か」。みんなの者が否定すると、ペトロが言った。「先生、群衆があなたに押し迫って、ひしめき合っているのです」。46.しかしイエスは言われた。「誰かがわたしに触れた。わたしから力が出て行くのがわかったからだ」。47.婦人は隠れていることができないと分かって、震えながら出てきてイエスにひれ伏し、イエスに触れた訳と、たちどころに癒されたこととを全ての民衆の前で告白した。48.そこでイエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのだ。安心して行きなさい」。49.イエスがまだ話しておられると、会堂司の家から人が来て、「あなたのお嬢様は亡くなられました。先生を煩わせるには及びません」と言った。50.イエスはこれを聞いて、会堂司に言われた。「恐れてはならない、ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。51.イエスは家に行かれたが、ペトロとヨハネとヤコブ、そして少女の父と母の他は、誰もご自分と一緒に家に入るのをお許しにならなかった。52.皆は、娘のことで泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな、娘は死んだのではなく、眠っているのだ」。53.人々は娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。54.イエスは娘の手をしっかりと握り、声を上げて言われた。「少女よ、起きなさい」。55.すると娘の息が戻り、すぐに起き上がった。イエスは娘に食事を与えるようにお命じになった。56.娘の両親は大いに驚いた。しかしイエスは、この事を誰にも言わないようにと両親にお命じになった。






ὃς ἂν γὰρ ἔχῃ, δοθήσεται αὐτῷ· καὶ ὃς ἂν μὴ ἔχῃ, καὶ ὃ δοκεῖ ἔχειν ἀρθήσεται ἀπʼ αὐτοῦ (18)

持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思うものまでその人から取り上げられるだろう」(18)

イエスは種まきの譬えを使って「神の国の奥義」を話された。18節はその譬えの解き明かしの最後の結論と言うべき言葉である。神の国の真理の種は「どのように聞くか」で結果が違ってくる。実際持っている者と、持っていると思う者の違いは大きい。

★「イエスがそこに向かわれる途中、群衆がイエスに押し寄せ、息もできないほどであった」(42)
  「押し寄せ、息もできないほどであった」を意味する原語は συμπνίγω(シュンプニゴー)。一種の誇張表現で「押し合いへし合い」の意味があり、ため息もできないありさまを表現したもの(新約聖書ギリシア語小辞典ー織田 昭 編)

καὶ ἐπέστρεψεν τὸ πνεῦμα αὐτῆς (55)
すると娘の息が戻り」(55)

多くの訳では「娘の霊が戻り」となっているが、τὸ πνεῦμα はそれ以外にも「いのち」とか「息」という意味がある。例えばマタイ27:50では、同じ言葉を「イエスは息を引き取られた」(口語訳、新共同訳、新改訳)、のように「息」と訳しており、「いのち」と同義である。55節も上記のように「息が戻り」または「いのちが戻り」と訳すべきであろう。




2013年7月4日木曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」7章の翻訳(私訳)


ルカによる福音書 

7章


1.イエスは、聴衆にこれらの言葉をすべて話し終えると、カファルナウムへ入って行かれた。2.さて、ある百人隊長が誇りにしていた僕が病気で死にかけていた。3.百人隊長はイエスのことを聞き、ユダヤ人の長老たちをイエスのもとに遣わし、自分の僕を助けに来てくださるようにと頼んだ。4.イエスのもとにやって来た人々は熱心に懇願して、「あの方はそうして頂くに値する方です。5.わたしたちの国民を愛して、自らわたしたちのために会堂を建ててくれたのです」と言った。6.そこでイエスは彼らと一緒に行かれた。百人隊長の家からそう遠く離れていないところまで来ると、百人隊長は友人を送ってイエスに言った。「主よ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格はわたしにはありません。7.ですからわたし自身、あなたのところへお伺いすることさえふさわしくないと考えたのです。ただお言葉をおっしゃってください。そして、わたしの僕を治してください。8.わたし自身も権威の下に置かれている者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、その者に『行け』と言えば行きますし、ほかの者に『来い』と言えば来ますし、僕に『これをせよ』と言えばしてくれるのです」。9.イエスはこれらのことを聞いて驚かれ、ご自分に従って来ている群衆に振り向いて言われた。「あなたがたに言うが、イスラエルの内に、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。10.使いの人たちが家に戻って見ると、僕は元気になっていた。
11.それから間もなくして、イエスはナインという町へ行かれた。イエスの弟子たちも大勢の群衆も一緒に行った。12.町の門に近づいたとき、見よ、ある母親の一人息子が死んで、(その棺が町から)運び出されるところであった。彼女はやもめであった。町の大勢の人たちが彼女に付き添っていた。13.主は彼女をご覧になり、深く憐れんで彼女に言われた。「泣かなくともよい」。14.そして近づいて行って棺にお触れになった。担いでいる人たちが立ち止ったので、イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起き上りなさい」。15.すると死人は上半身を起こして話し始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。16.すると、みんなの者は畏れを抱き、神を賛美して、「大いなる預言者が我々の中に現れた。神はその民を顧みてくださった」と言った。17.そして、イエスについてのこの評判は、ユダヤ全土とその周辺一帯に広まった。
18.ヨハネの弟子たちは、これら全ての事をヨハネに報告した。ヨハネは自分の二人の弟子を呼び出し、19.主に遣わして、「来るべき方はあなたですか。それとも、ほかの人を待ち望むべきでしょうか」と言った。20.彼らはイエスのもとに来て、「バプテスマのヨハネがわたしたちをあなたに遣わして『来るべき方はあなたですか。それとも、ほかの人を待ち望むべきでしょうか』と尋ねています」と言った。21.その時、イエスは病気の者たちや打ちひしがれている者たち、また悪霊にとりつかれている者たちを大勢お癒しになり、また大勢の目の見えない人々を見えるようにされた。22.そして彼らに答えて言われた。「行ってヨハネに、あなたがたが見たり聞いたりしたことを報告しなさい。
『目の見えない人々は見えるようになり、
足の不自由な人々は歩いている。
重い皮膚病の人々は清くされ、
耳の聞こえない人々は聞いており、
死人は生き返り、
貧しい人々は福音を告げ知らされている。』
23.わたしに躓かない者は幸いである」と。
24.ヨハネから遣わされた人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野へ出てきたのか。風に揺らぐ葦か。25.ほかに何を見るために出てきたのか。柔らかな衣服を着た人か。見よ、高価な衣服を着て贅沢に暮らす人々なら宮殿にいる。26.ではほかに何を見に出てきたのか。預言者か。そうだ、わたしは言う。預言者以上の者だ。
27.『見よ、わたしはわたしの使者をあなたより前に遣わす。彼はあなたの前に、あなたの道を備えるであろう』
と書かれているのは、この人のことである。28.わたしはあなたがたに言う。女たちが産んだ者の中で、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国においては、最も小さい者も彼よりは大きい」。
29.これを聞いた民衆と徴税人たちはみな神を義と認め、ヨハネのバプテスマを受けた。30.しかし、ファリサイ派の人々と律法の専門家たちはヨハネからバプテスマを受けないで、自分自身に対する神の御心を拒んだのである。
31.「だからこの時代の人々を何に譬えようか。何に似ているだろうか。32.彼らは広場に座って、互いにこう呼び合っている子供たちに似ている。
『私たちが笛を吹いたのに、
あなたたちは踊ってくれなかった。
弔いの歌をうたったのに、
あなたたちは泣いてくれなかった。』
33.バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まないと、あなたがたは『あれは悪霊にとりつかれている』と言い、34.人の子が来て、食べたり飲んだりしていると、『見よ、あれは大食漢で大酒飲みだ、徴税人や罪人たちの仲間だ』と言う。35.しかし知恵は、その全ての子供たちによって正しいことが証明される」。
36.さて、あるファリサイ派の人が、イエスに一緒に食事をしたいと願い出たので、イエスはそのファリサイ派の人の家に入って食事の席に着かれた。37.すると見よ、その町に一人の罪深い女がいた。彼女はイエスがファリサイ派の人の家で食事の席に着いておられると知って、香油の入った瓶を持って来て、38.イエスの御足のそばで後ろに立ち、泣きながら涙でイエスの御足をぬらし始めた。そして自分の頭の髪で拭いて、その御足に接吻し香油を塗った。39.イエスを招待したこのファリサイ派の人がこれを見て心の中で言った。「この人が預言者なら、自分に触れている者がどんな女かわかっているはずだ。罪深い女なのだから」。40.イエスは答えて彼に「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、彼は、「先生、おっしゃってください」と言った。そこでイエスは言われた。41.「二人の人が、ある金貸しから金を借りていた。一人は五百デナリオンを、ほかの人は五十デナリオンを借りていた。42.彼らは借金を返すことができなかったので、金貸しは二人共に赦してやった。では、二人の内どちらの人がこの金貸しをより多く愛すだろうか」。43.シモンは答えて言った。「多く赦された方だと思います」。そこでイエスは彼に言われた。「あなたは正しい判断をした」。44.そして、婦人の方を向いてシモンに言われた。「この婦人を見ないか。わたしがあなたの家に入ってきたとき、あなたはわたしに足を洗うための水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの両足を濡らし、その髪で拭いてくれた。45.あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家に入ってから、わたしの両足に接吻して止まなかった。46.あなたはわたしの頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの両足に香油を塗ってくれた。47.だからあなたに言うが、彼女の多くの罪は赦されている。なぜなら、彼女は多く愛したからである。しかし、少ししか愛さない者は、少ししか赦されない」。48.そして彼女に言われた。「あなたの数々の罪は赦されている」。49.すると、食事の席に着いていた人々が心の内でつぶやき始めた。「罪も赦すこの人はいったい何者だろうか」。50.イエスは婦人に言われた。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。






★前半1~10節は百人隊長の「僕」の癒しの話しである。ルカはこの僕のことを2,3節では δοῦλος (ドゥーロス・僕、奴隷)、7節では παῖς (パイス・子供、少年)という言葉を使っている。故にこの「僕」と訳されているのは、若くて百人隊長に信頼の厚かった(2節)若者(少年)であったことが推測される。

φίλημά μοι οὐκ ἔδωκας· αὕτη δὲ ἀφʼ ἧς εἰσῆλθον οὐ διέλιπεν καταφιλοῦσά μου τοὺς πόδας(45)
「あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女は、わたしが家に入って来てからわたしの両足に接吻をして止まなかった」(45節)

διέλιπεν καταφιλοῦσά は「激しい接吻をして止まなかった」の意。彼女がいかに自身の罪を真剣に悔い改めていたかを証しするものである。

ἀφέωνται αἱ ἁμαρτίαι αὐτῆς 「彼女の罪は赦されている」(47節)
 ἀφέωνταί σου αἱ ἁμαρτίαι 「あなたの罪は赦されている」(48節)
ἀφέωνταί(アフェオーンタイ)の時制は完了形、態は受動態。新約聖書ギリシア語では、「完了」は過去に起こった出来事の結果が現在も続いているときに使用される。出来事は終わっているが、出来事によって生じた結果は終わらないで現在も続いているというのが「完了」(正しくは現在完了)の意味である。従がって、彼女の罪が赦されたのは過去のことだが、赦されたという事実は現在も変わらず続いており、「赦されている」と訳すのがより正しいのである。イエスは二度この完了受動態を使って彼女の罪の完全な赦しを宣言されたのである。なおここで「罪」が複数になっていることに注意。