2010年9月23日木曜日

新約聖書原典「ヨハネによる福音書」16章の翻訳(私訳)

ヨハネによる福音書 

16章


1.「あなたがたにこれらのことを話したのは、あなたがたがつまずくことのないためである。2.人々はあなたがたを会堂から追い出すだろう。それのみか、あなたがたを殺そうとする者がみな、これは神に犠牲を捧げるためだと考える時が来る。3.彼らがこれらのことをするのは、父をも、わたしをも知らないからである。4.しかし、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、彼らの時が来たとき、わたしがあなたがたに話した彼らのことを、あなたがたが思い出すためである。また、わたしがこれらのことを始めからあなたがたに話さなかったのは、わたしがあなたがたと共にいたからである。5.しかし、わたしは今、わたしを遣わされたかたのもとに行こうとしている。しかも、あなたがたの誰もわたしに『どこへ行こうとしているのか』と尋ねない。6.それどころか、わたしがこれらのことをあなたがたに話したので、あなたがたの心は悲しみでいっぱいなのだ。7.しかしわたしはあなたがたに真実を言おう。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。もしわたしが去って行かなければ、助け主はあなたがたのもとには来ない。もし行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わそう。8.その方が来られるとき、罪について、義について、裁きについて世に誤りを認めさせる。9.罪についてとは、人々がわたしを信じないから。10.義についてとは、わたしが父のもとに行くので、あなたがたがもうわたしを見ることがないから。11.裁きについてとは、この世の支配者がすでに裁かれているからである。
12.あなたがたに言っておきたいことはまだ多くある。しかし、今はあなたがたには耐えられない。13.しかし、その方、すなわち真理の御霊が来られる時、その方はあらゆる真理によってあなたがたを導いてくださる。なぜならその方は自分から語るのではなく、聞くままに語り、これから起ころうとすることを、あなたがたに知らせるからである。14.その方はわたしに栄光を帰される。なぜならわたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからである。15.父が持っておられるものは、全てわたしのものである。だから『わたしのものを受けて、あなたがたに知らせる』とわたしは言ったのである。
16.もうすぐ、あなたがたはわたしを見なくなる。そしてしばらくすると、またわたしを見ることになる」。17.すると、イエスの弟子たちの中のある者が互いに言った。「『もうすぐ、あなたがたはわたしを見なくなる。そしてしばらくすると、またわたしを見ることになる』と我々に言われることとはいったい何のことだろう。また、『わたしが父のもとへ行く』とはどういうことだろう」。18.それに対して(他の)人々も「『もうすぐ』と[言われたこと]は何のことだろうか。何のことを話しておられるのか、わたしたちにはわからない」と言った。
19.イエスは、彼らがご自分に尋ねたがっているのを知って、彼らに言われた。「『もうすぐ、あなたがたはわたしを見なくなるが、しばらくすると、またわたしを見ることになる』とわたしが言ったそのことで、あなたがたは互いに論じ合っているのか。20.よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、世は喜ぶ。あなたがたは苦しめられるが、あなたがたの苦しみは喜びとなる。21.女が子を生む時には、苦しみがある。自分の時が来たからである。しかし、子を産んでしまうと、人がこの世に生まれたことの喜びのゆえに、その苦痛をもう心に留めない。22.だからあなたがたも、今は悲しんでいるが、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたの心は喜ぶ。そして誰もあなたがたからその喜びを奪わない。
23.またその日には、あなたがたは何もわたしに願わないだろう。わたしは心をこめてあなたがたに言う。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださる。24.今まで、あなたがたは何もわたしの名によって求めなかった。求めなさい。そうすれば与えられる。それはあなたがたの喜びが満たされるようになるためである。
25.わたしはこれらのことを比喩によってあなたがたに話してきた。もう比喩で話すのではなく、むしろあからさまに父についてあなたがたに知らせる時が来る。26.その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるだろう。また、わたしはあなたがたに『わたしはあなたがたのために父にお願いしよう』とは言わない。27.父ご自身があなたがたを愛して下さるのは、あなたがたがわたしを愛していて、わたしが父のもとから出てきたことを信じているからである。28.わたしは父のもとから出て、世に来た。ふたたび世を去って、父のみもとに行こうとしているのである」。

29.イエスの弟子たちが言った。「ご覧なさい。今、あなたはあからさまにお話しになり、もう何も比喩でお話しになりません。30.あなたはすべてをご存知で、何もあなたにお尋ねする必要がないことが、今わかりました。これでわたしたちは、あなたが神から出て来られたのだと信じます」。31.イエスは彼らに答えられた。「今、信じたのか。32.見よ、あなたがたは、わたし一人を残して、それぞれ自分のところに散らされる時が来る。いやすでに来ている。しかし、わたしは一人ではない。父がわたしと共におられるからである。33.これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって、あなたがたが平安を得るためである。この世では苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。


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●「自然の中で聴く聖書」ヨハネによる福音書 16章


★「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来られる時、その方はあらゆる真理によってあなたがたを導いてくださる。」(13)

下線をつけた部分のギリシア語は 
ὅταν δὲ ἔλθῃ ἐκεῖνος, τὸ πνεῦμα τῆς ἀληθείας, ὁδηγήσει ὑμᾶς ἐν τῇ ἀληθείᾳ πάσῃ (13)
である。下線の部分は少し前のギリシア語原典では、後半がεις  την  αλήθειαν  πασαν  となっていて「あなたがたをあらゆる真理導いてくれるであろう」(口語訳)であったが、ネストレ27版からは、上記のように「ἐν τῇ ἀληθείᾳ πάσῃ・あらゆる真理によって」と変わっていることに注意。この真理とは、キリストによって語られた「教え」のことであり、したがって「あらゆる教えによって」と訳すこともできる。真理の御霊はキリストの語られた教えを思い起こさせ、その教えによって人々を導かれるのである。

★πάντα ὅσα ἔχει ὁ πατὴρ ἐμά ἐστιν·(15)
上記は15節の冒頭の言葉である。「父が持っておられるものは、すべてわたしのものである」(新共同訳)と訳されているが、ὅσα は、単に「もの」というより、「どんなもの」(複数対格の代名詞)を意味する。したがって「父が持っておられるどんなものも、すべてはわたしのものである」という意味となる。



2010年9月13日月曜日

新約聖書原典「ヨハネによる福音書」15章の翻訳(私訳)

ヨハネによる福音書 

15章


1.「わたしはまことのぶどうの木、また、わたしの父は農夫である。2.わたしにつながっている枝で、実を結ばないものは、すべて父がこれを取り除かれる。また、実を結ぶものは、さらに多くの実を結ばせるために、すべて父がこれをせん定なさる。3.あなたがたは、わたしが話した言葉によって、すでに清くなっている。4.わたしにつながっていなさい。わたしも、あなたがたにつながっている。枝がもし、ぶどうの木につながっていなければ、自分からは実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5.わたしはぶどうの木、あなたがたは枝である。わたしにつながっている人は、わたしもまたその人につながっており、その人は多くの実を結ぶ。わたしから離れては、あなたがたは何もすることができないからである。6.だれでもわたしにつながっていなければ、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そしてそれらは集められ、火に投げ込まれて焼かれる。7.もし、あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にとどまっていれば、あなたがたが望むものを求めなさい。そうすれば、かなえられる。8.あなたがたがわたしの弟子となり、多くの実を結ぶことによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
9.父がわたしを愛してくださったように、わたしも、あなたがたを愛した。わたしの愛の内にとどまりなさい。10.わたしが、父の戒めを守り、父の愛の内にとどまっているように、あなたがたが、わたしのこれらの戒めを守るならば、あなたがたはわたしの愛の内にとどまることになろう。11.わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあって、あなたがたの喜びが満たされるようになるためである。
12.わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うように。これがわたしの戒めである。13.人がその友のために自分の命を投げ出すこと、これ以上の大きな愛はない。14.わたしがあなたがたに命じるこれらのことを行うなら、あなたがたはわたしの友である。15.わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。なぜなら、僕は自分の主人が何をしているか知らないからである。しかし、わたしはあなたがたを友と呼んだ。なぜなら、わたしは自分の父から聞いたことをすべて、あなたがたに知らせたからである。16.あなたがたがわたしを選んだのではなく、むしろ、わたしがあなたがたを選んで、あなたがたを任命した。それは、あなたがたが行って実を結び、あなたがたの実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に願うものは何でも、父があなたがたにくださるようになるためである。17.これらのことをあなたがたに命じるのは、あなたがたが互いに愛し合うようになるためである。
18.もし、世があなたがたを憎むようなら、あなたがたより先にわたしを憎んだことを知りなさい。19.あなたがたが世に属するものであったなら、世はあなたがたを自分のことのように愛しただろう。しかし、あなたがたはこの世に属するものではない。むしろ、わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。20.『僕はその主人より、優ってはいない』と、わたしがあなたがたに言った言葉を思い出しなさい。もし、世の者たちがわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するだろう。もし、彼らがわたしの言葉を守ったのなら、あなたがたの言葉をも守るだろう。21.しかし、彼らはわたしの名のゆえに、これらすべてのことをあなたがたに行うだろう。彼らは、わたしを遣わされた方を知らないからである。22.わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかっただろう。しかし今は、自分たちの罪について言いわけができない。23.わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。24.もし、ほかの誰も行わなかった業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかっただろう。しかし今、彼らは(業を)見たにも関わらず、わたしとわたしの父とを憎んでいる。25.しかし、それは、『人々は、理由もなくわたしを憎んだ』と、彼らの律法に書かれてある言葉が成就するためである。

26.わたしが父のみもとから、あなたがたに遣わそうとしている助け主、父のみもとから出て来られる真理の御霊が来られる時、その方は、わたしについて証ししてくださる。27.あなたがたも証しする。あなたがたは始めからわたしと一緒にいたからである」。


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●「自然の中で聴く聖書」ヨハネによる福音書 15章


★12節、13節は、ギリシア語文法の  ίνα+接続法で書かれている。命令法では書かれていない。ゆえに「互いに愛し合うこと」(12)、「自分の命を捨てること」(13)と訳すのが原典に一番近い。ただ、「互いに愛し合いなさい」「自分の命を捨てなさい」と訳しかえることも許されるであろう。それがイエスのお与えになった「戒め」(12)だからである。「戒め」は「命令」とも訳すことができるからである。

★27節の動詞「証しする」「一緒にいた」はいずれも現在形で書かれている。ゆえにそのまま訳すと「証しする」は「現に証ししている」と、「一緒にいた」は「現に一緒にいる」と訳さなければならない。ゆえに27節は、『あなたがたは(現に)証ししている。あなたがたは初めからわたしと一緒にいるのだから』となる。「あなたがたも証しする」は、『今、現に証している』現在の行為なのか、『やがて証することになる』将来の行為なのか、あいまいさを残す。26節の「真理の御霊が来られる時、その方はわたしについて証しなさるだろう」は未来形である。そのつながりで解釈すれば、27節は「あなたがたも証しするだろう」である。27節を将来のこととして解釈しているのは、kjvで、and ye shall bear witness,because ye have been with me from the beginning.