2011年3月31日木曜日

新約聖書原典「マルコによる福音書」1章の翻訳(私訳)

マルコによる福音書 



1.[神の子]イエス・キリストの福音のはじめ。
2.預言者イザヤの書に、
『見よ、わたしは、わたしの使いをあなたの先に遣わし、これがあなたの道を整えるであろう。』
3.『荒野で叫ぶ声がする。
主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ。』
と書かれているように、4.バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しを得るための、悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた。5.ヨハネのもとには、ユダヤ全土と、エルサレムの住民たちが皆来て、自分たちの罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。6.ヨハネはらくだの毛を身にまとい、腰には皮の帯をしめ、いなごと野密を食べていた。7.彼は宣べ伝えて言っていた。「わたしのあとに、わたしより力のある方が来られる。わたしはかがんで、その方の履物のひもを解く資格もない者。8.わたしは水であなたがたにバプテスマを授けたが、彼は聖霊によってあなたがたにバプテスマをお授けになるだろう」。
9.数日がたち、イエスはガリラヤのナザレから来られて、ヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになられた。10.そして、水から上がられるとすぐに天が裂けて、御霊が鳩のようにご自分に降りるのをご覧になられた。11.すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」
12.するとすぐに、御霊がイエスを荒野に送り出した。13.そして、サタンによって試みられながら、四十日の間、荒野におられた。野獣たちと一緒におられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
14.ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15.「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
16.さて、イエスはガリラヤ湖のほとりを通られ、シモンと、シモンの兄弟のアンデレが湖で網を打っているのをご覧になられた。彼らは漁師であった。17.イエスは彼らに言われた。「わたしに従ってきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。18.するとすぐに、彼らは網を捨ててイエスに従った。19.しばらく行くと、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのをご覧になり、20.さっそく彼らを呼ばれると、彼らの父ゼベダイを、雇い人たちと一緒に舟に残し、イエスに従った。
21.それから彼らはカファルナウムへ行き、安息日にさっそくイエスは会堂に入って教えておられた。22.人々はイエスの教えに驚かされていた。律法学者たちの様にではなく、権威ある者の様に彼らを教えておられたからである。
23するとすぐ、彼らの会堂の中に汚れた霊にとりつかれた人がいて、叫んで、24言った。「我々と、あなたと何の関わりがありますか、ナザレのイエスよ。われわれを滅ぼすために来られたのですか。あなたが誰だかわかっています。神の聖者です」。25イエスは彼に命じて言われた。「黙れ、この人から出て行け」。26すると汚れた霊は彼をけいれんさせ、大声を張り上げて彼から出て行った。27人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはいったいどういうことだろう。新しい権威ある教えだ。汚れた霊どもに命じると、その人に従うとは」。28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方全体、いたるところに広まった。
 29それからすぐに彼らは会堂を出て、ヤコブ、ヨハネと一緒に、シモンとアンデレの家に行った。30しかし、シモンのしゅうとめが熱病で寝ていたので、彼らはすぐに彼女のことをイエスに話した。31するとイエスは近寄って、手をつかんで彼女を起こされると、熱が引き、彼女は彼らをもてなした。
32さて、夕方となり、日が沈むと、人々は多くの病人や、悪霊にとりつかれた者たちをイエスのもとに連れて来た。33戸口には町中の人々が集まっていた。34イエスはさまざまな悪い病気にかかっている大勢の人たちを癒され、また多くの悪霊どもを追い出し、また悪霊どもが語ることをお許しにならなかった。なぜなら彼らはイエスを知っていたからである。
35夜が明けるずっと前に、イエスは起きて出かけ、さびしい場所へ行かれ、そこで祈っておられた。36シモンとその仲間たちは、イエスの後を追った。37彼らはイエスを見つけ、「みんながあなたを探しています」と言った。38イエスは彼らに言われた。「ほかの付近の町々へ行こう。そこにも宣べ伝えようと、そのためにわたしは出て来たのだから」。

39そして、イエスはガリラヤ中の彼らの会堂に行って宣べ伝えながら、悪霊どもを追い出された。40さて、ひとりの重い皮膚病を患っている人がイエスのもとに来て、[ひざまずき]願って、「御心なら、わたしを清めることがお出来になります」とイエスに言った。41するとイエスは深く同情され、手をのばしてその人に触れ、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われた。42すると直ちに重い皮膚病がその人から去り、その人は清められた。43そこでイエスはすぐに彼を送り出されたが、厳しく命じて、44.彼に言われた。「だれにも何も話さないように注意しなさい。ただ、行って自分の体を祭司に見せ、あなたが清くなったことを人々に証明するため、モーセが命じたものをささげなさい」。45ところがその人は立ち去ると、大々的に告げ知らせ始め、言い広め始めた。そのためイエスはもはや公然と町に入って行くことが出来ず、町の外の人里離れた所におられた。それでも人々は方々からイエスのもとに集まって来ていた。


●自然の中で聴く聖書 / マルコによる福音書 1章

ἐσθίων ἀκρίδας καὶ μέλι ἄγριον. (6)
「イナゴマメの実と野密を食べていた」

 これは6節の一部分で、バプテスマのヨハネが食物としていたものについての記述である。ἀκρίδας は(虫)いなご、バッタを意味するが、他方 (植)イナゴマメの木(実)を意味することもあり、どれをとっても訳としては可能。しかし「イナゴマメの実」とされる解釈では、この植物が、地中海地方原産のジャケツイバラ科(マメ科)の常緑高木(高さは10m以上にもなる)で地中海東部で古代から食用や飼料に利用されてきたこと。地中海沿岸のような温暖な土地でよく育ち、乾燥に耐える植物であること。これらのことから、ヨハネが荒野にいてこのイナゴマメの実を常食としていたことは大いに考えられる事である。イエスの「放蕩息子」の譬え話(ルカによる福音書15:16)では、放蕩息子が豚の餌の「いなご豆(さや)」κεράτιον を食べて飢えをしのごうとしたことが記されている。

πεπλήρωται ὁ καιρὸς καὶ ἤγγικεν ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ·(15)

「時は満ちた。神の国は近づいた」。πεπλήρωταιἤγγικεν はいずれも完了形が使われている。
従って正確な意味は次のようになる。「時はすでに満ちて今も満ちている。神の国はすでに近づいて今も近づいている」。
しかもπεπλήρωται は受動態であるから、「時の到来は(神によって)実現された…」の意味。

◆「我々とあなたと、何の関わりがありますか」(24)は、「わたしたちに構わないでください」とも。どちらも意訳。