2017年3月29日水曜日

新約聖書原典「ヘブライの人々への手紙」2章の翻訳(私訳)

ヘブライの人々への手紙 

2章


1.ですから、わたしたちは決して押し流されることのないように、聞いたことに対し、もっと注意を払わなくてはなりません。2.もし、天使たちを通して語られた言葉が有効なものとなり、すべての違反と不従順が当然の報いを受けたとすれば、3.わたしたちは、こんなにも尊い救いを軽んじて、どうして報いを逃れることができるでしょうか。この救いは、最初に主によって受けて語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確実なものとされ、4.神も、しるしと不思議と、さまざまな力により、また、御心に従って聖霊を分け与えて共に証ししてくださっているのです。
5.わたしたちが語っている来たるべき世界について、神はその世界を、天使たちに従わせることはなさらなかったのです。6.ある場所で、こう厳かに証しされています。
『人は何者なので、
あなたはこれを御心に留められるのですか。
または、人の子は何者なので、
あなたはこれを顧みられるのですか。
7.あなたは彼をしばらくの間、
天使たちよりも低い者とし、
栄光と誉れの冠を彼に与え、
8.万物を彼の足の下に従わされた』と。
「万物を[彼に]従わされた」わけですから、彼に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちは今もなお、万物がこの方に従わされているのを見ていません。9.しかし、「しばらくの間、天使たちより低くされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と誉れの冠を授けられた」のを、わたしたちは見ています。それは、彼が、神の恵みにより、すべての人のために死を経験するためでありました。
10.というのは、万物は彼のためにあり、万物は彼によって造られたのですが、神は、多くの子らを栄光に導こうと、彼らの救い(の業)を始められた方を、苦難を通して(その目的を)実現されたのは、彼にはふさわしいことだったからです。11.聖となさる方も、聖とされる者たちも、すべては一人の方から出ています。そういうわけで、彼は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とはされず、
12.『わたしは、あなたの名をわたしの兄弟たちに知らせ、教会の中で、あなたを讃美する』
と言い、
13.また、さらに、
『わたしは彼に信頼する』、
また、さらに、
『見よ、わたしと、神がわたしに賜った子たちは』
と言っているのです。

14.そこで、子たちが血と肉とにあずかっているので、彼自身もまた同様にそれらを備えておられました。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を(ご自分の)死によって滅ぼし、15.死の恐怖によって生涯、奴隷として縛られていた者たちすべてを解放するためでありました。16.確かに、彼は天使たちを助けるのではなく、アブラハムの子孫を助けてくださっているのです。17.それゆえに彼は、神の御前に憐れみ深い忠実な大祭司となって民の罪を贖うために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。18.主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にいる者たちを助けることがお出来になるのです。


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2017年3月28日火曜日

新約聖書原典「ヘブライの人々への手紙」1章の翻訳(私訳)

ヘブライの人々への手紙 



1章


1.昔、神はいろいろな機会に、いろいろな方法で、預言者たちによって先祖たちに語られましたが、2.この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を全てのものの相続者と定め、御子によってこの世を造られました。
3.御子は神の栄光の輝き、神の本質の真のかたちであり、万物をご自分の力ある言葉によって生じさせ、罪の清めを行い、天の高い所において大能者の右の座につかれました。4.彼はそれほど天使たちより優った者となられたので、彼らの名より優った名を受け継がれました。5.いったい、神は、天使たちの誰に、
『あなたはわたしの子、
今日、わたしはあなたを生んだ』
と言い、また、
『わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となるであろう』
と言われたでしょうか。
6.さらに、神は、長子をこの世界に送るとき、
『神の天使たちはみな、彼を礼拝せよ』
と言われました。
7.また、一方で、天使たちに対しては、
『神はご自分の天使たちを風とし、
ご自分に仕える者たちを火の炎とされる』
と言われ、
8.他方で、御子に対しては、
『神よ、あなたの玉座は世々限りなく続き、
あなたの支配の杖は、公正の杖。
9.あなたは義を愛し、不法を憎まれた。
それゆえ、神よ、あなたの神は、溢れるばかりの喜びの油を、あなたの仲間たちに注ぐよりも多くあなたに注がれた』
と言われました。
10.また、こうも言われています。
『主よ、あなたは、はじめに地の基を据えられた。
もろもろの天は、あなたの御手の業。
11.これらのものはやがて滅びる。
しかし、あなたはいつまでもとどまる。
すべては衣のように古くなる。
12.あなたは、これらを外套のように巻かれるので、
これらは衣のように変わる。
しかし、あなた自身は変わることなく、
あなたの年は尽きることがない』と。
13.では、かつて、天使たちの誰に対して、
『あなたの敵たちを、あなたの足台に置くまで、
わたしの右に座していなさい』
と言われたでしょうか。

14.天使たちはみな、仕える霊であって、救いを受け継ぐことになっている者たちに奉仕するため遣わされている者たちではないでしょうか。


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ὃς ὢν ἀπαύγασμα τῆς δόξης καὶ χαρακτὴρ τῆς ὑποστάσεως αὐτοῦ,

φέρων τε τὰ πάντα τῷ ῥήματι τῆς δυνάμεως αὐτοῦ,(1:3前半)

ἀπαύγασμα は「輝き」のほか「反映」という意味があり、「御子は、神の栄光の反映であり」とも訳せる。また、ὑποστάσεως は「本質」のほか「実体」の意味がある。ゆえに

「御子は、神の栄光の反映、神の実体の真のかたちであり」とも訳すことができる。

なお、φέρων(フェローン)は「生じる」「生み出す」「もたらす」のほか「担う」「運ぶ」「携える」などの意味もあり、「ご自分の力ある言葉によって、万物を担い」とも訳し得る。しかし本訳では「ご自分の力ある言葉によって、万物を生じさせ」とした。それは、「御子によってこの世を造られました」(2節)や、「もろもろの天は、あなたの御手の業」(10)の文脈に沿うからである。多くの他の訳では「ご自分の力ある言葉によって保ち」と訳しているのは、φέρωνが現在、分詞形であることから、現在の継続的意味を持たせるためであると思われる。




2017年3月24日金曜日

新約聖書原典「フィレモンへの手紙」の翻訳(私訳) 

フィレモンへの手紙



1.キリスト・イエスの囚人パウロと、兄弟テモテから、わたしたちの愛する同労者フィレモン、2.および、姉妹アフィアと、わたしたちの戦友アルキポと、あなたの家の教会へ。3.わたしたちの父であられる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。
4.わたしが祈りをするとき、いつもあなたのことを覚え、わたしの神に感謝しています。5.それは、主イエスと、すべての聖徒たちに対して抱いているあなたの愛と信仰を、わたしは聞いているからです。6.どうか、あなたの信仰の交わりが、キリストのために、あらゆる良き知識によってわたしたちの間で活発に行われますように。7.わたしはあなたの愛のことで、多くの喜びと励ましをいただきました。なぜなら、兄弟よ、聖徒たちの憐みの心は、あなたによって力づけられているからです。
8.ですから、わたしは、キリストにあって、あなたがなすべきことを率直に命じようと思います。9.むしろ、愛のゆえにお願いします。このような老人となり、今ではキリスト・イエスの囚人ともなっているこのパウロが、10.わたしの子、わたしが捕らわれの身で生んだオネシモのことで、あなたにお願いします。11.彼は、かつてはあなたには無益な者でしたが、今では、あなたにとって[も]、わたしにとっても有益な者となっています。12.彼をあなたのもとへ送り返します。これはわたしの心です。13.わたしは、彼を自分のもとに引き止めて、わたしが福音のために捕らわれている間、あなたに代わってわたしに仕えてもらいたいと思っていました。14.しかし、わたしはあなたの承諾なしには何もしたくありません。あなたの善意が強制されてではなく、自発的に行われることを願うからです。
15.こういうわけで、彼がしばらくの間、引き離されていたのは、おそらく、あなたが彼をいつまでも留めておくためであったのかもしれません。16.もう奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟として、です。わたしにとっては特にそうですが、あなたにとっては、肉にあっても主にあっても更にそれ以上でしょう。17.そこで、あなたがわたしを仲間と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受け入れてあげなさい。18.もし、何か、彼があなたに損害を与えたり、あるいは負債があったりすれば、それをわたしの借りにしてください。19.わたしパウロが自ら、自分の手でこれを書いています。わたし自身がこれを支払いましょう。この際、あなた自身がわたしに負っている負債のことは、何もあなたに言わないでおきましょう。20.そうです、兄弟よ、主にあって、このわたしもあなたから益を得たいものです。わたしの憐みの心をキリストにあって元気づけてください。
21.あなたの従順を確信して、あなたに(この手紙を)書きました。わたしが言う以上に、あなたがしてくれるのをわたしは知っています。22.同時に、わたしのために宿を用意しておいてください。わたしはあなたがたの祈りによって恩赦が与えられて、あなたがたのところへ行けるようにと希望しているのですから。
23.キリスト・イエスにあって、わたしと共に捕らわれの身となっているエパフラスが、あなたによろしく、と。24.わたしの同労者マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも、よろしく、と。

25.主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように。



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★「なぜなら、兄弟よ、聖徒たちのは、あなたによって勇気づけられているからです」(7)
  ここで使われている「心」は、「慈悲心」つまり、愛情、憐れみなどの感情の座と考えられる場所を意味する。すなわち「憐みの心」。一般的に使われるカルディアとは異なる。

★「彼をあなたのもとへ送り帰します」(12)、「わたしパウロ自ら、自分の手でこれを書いています」(19)

 太字の部分の動詞はギリシア語原典では、いずれも過去形で書かれている。直訳は「送り帰しました」「書きました」である。手紙の書き手が、このように過去形で表現するのは、当時の習慣からで、読み手が読む時点では、それが過去のことであることを配慮してのことである。しかし、パウロがこの手紙を書いている時点では、現在のことなので、ここは現在形のように訳す。



2017年3月19日日曜日

新約聖書原典「フィリピの人々への手紙」4章の翻訳(私訳)

フィリピの人々への手紙 

4章


1.だから、わたしの愛し慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり冠である愛する人々よ、このように、主にあって堅く立ちなさい。
2.わたしはエボディアに勧め、シンティケに勧めます。主にあって同じ思いとなってください。3.そうだ、真実な共労者、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。彼女たちは、命の書に名が記されているクレメンスや、わたしのその他の共労者たちと共に、福音のためにわたしと一緒に戦ってくれたのです。
4.あなたがたは、主にあっていつも喜んでいなさい。もう一度言います。喜んでいなさい。5.あなたがたの寛容を、すべての人々に示しなさい。主は近いのです。6.何事も思い煩わないで、すべてのことに感謝をもって祈りと願いをささげ、あなたがたの求めるものを神に知っていただきなさい。7.そうすれば、人知をはるかに超えた神の平安が、あなたがたの心とあなたがたの思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいます。
8.最後に、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて好評なこと、徳と言われるもの、称賛に値するものがあれば、それらを心にとめなさい。9.あなたがたがわたしから学び、受け入れ、聞いたこと、見たことは、これらを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共におられるでしょう。
10.さて、今やついに、あなたがたが、わたしを気にかける思いを再び開花させてくれたことを、主にあって大いに喜んでいます。それについては、あなたがたは気にはかけてくれていましたが、(それを表す)機会がこれまでなかったのです。11.わたしが乏しいからこう言うのではありません。わたしはそれらの境遇の中で、自分が満ち足りていることを学びました。12.わたしは貧に処する道も、富に処する道も知っています。飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する道を心得ています。13.わたしを強くしてくださる方によって、わたしはどんなことでもできます。14.それにしても、あなたがたは、よくぞわたしと苦しみを共にしてくれました。15.フィリピの人々よ、あなたがたも知っているように、福音を宣べ伝え始めたころ、わたしがマケドニアから出て行った時、物をやり取りしてわたしの仲間に加わった教会は、あなたがたのほかには誰もいませんでした。16.また、テサロニケにいた時も、一度ならず二度までも、わたしの欠乏を補うために物を送ってくれました。17.わたしは贈り物を求めているのではありません。ただ、わたしが求めているのは、あなたがたの勘定を増やす果実なのです。18.わたしは、これらすべてを受けて、あり余るほどです。あなたがたからの贈り物をエパフロディトから受け取って、わたしは満ち足りています。それは芳しい香り、神が喜んで受け入れてくださるささげものです。19.わたしの神は、ご自分の栄光による富に従って、キリスト・イエスにあって、あなたがたのすべての必要を満たしてくださるでしょう。20.わたしたちの父でもある神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
21.キリスト・イエスにあるすべての聖徒たちによろしく。わたしと一緒にいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと。22.すべての聖徒たちが、特に、カイサルの家の者たちから、あなたがたによろしくと。

23.主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように。

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●「自然の中で聴く聖書」フィリピの人々への手紙 4章1~9節
●「自然の中で聴く聖書」フィリピの人々への手紙 4章10節~23節




2017年3月18日土曜日

新約聖書原典「フィリピの人々への手紙」3章の翻訳(私訳)

フィリピの人々への手紙 

3章


1.最後に、わたしの兄弟たちよ、主にあって喜び続けなさい。同じことをあなたがたに書きますが、それはわたしにとって煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためです。
2.犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。割礼の傷がある者を警戒しなさい。3.わたしたちは(真の)割礼を受けた者であって、神の霊に仕える者、キリスト・イエスにあって誇る者たちです。肉を頼みとする者たちではありません。4.とは言え、わたしこそ肉を頼みとする者でもあります。もし、ほかに肉を頼みとしていると思う人がいるなら、わたしこそ、それ以上に頼みとしています。5.わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエル民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブライ人の中のヘブライ人、律法の上ではファリサイ派、6.熱心の上では教会の迫害者、律法による義の上では落度のない者です。7.[しかし]、わたしにとって益であったこれらのものをみな、キリストのゆえに不利益と思うようになりました。8.否、むしろ、わたしの主キリスト・イエスを知ることのこの上ない尊さのゆえに、すべてのものを不利益だと思っています。わたしはキリストのゆえに全てを失いましたが、それらのものをくずのように思っています。それは、わたしがキリストを得るためであり、9.律法による自分の義ではなく、キリストを信じるゆえに、信仰に基づく神からの義を受けて、キリストにあることが認められるようになるためです。10.すなわち、キリストとその復活の力を知り、キリストの[それらの]苦難にあずかり、キリストの死と同じ姿にされて、11.何とかして、死者たちからの復活に達したいのです。
12.それは、わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者にされているというのではなく、ただ、わたしもそれを自分のものにしようと追い求めているのです。そうするのは、わたしもキリスト・[イエス]によって捕らえられたからです。13.兄弟たちよ、わたし自身は、すでにそれを自分のものにしたとは思っていません。ただ、この一事を、すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしながら、14.目標を目指して走り、キリスト・イエスによって上に招いてくださる神の賞を得ようと追い求めているのです。15.ですから、充分に成長した人々はみな、そう考えるべきです。もしあなたがたが何か違ったように考えているなら、神がそのこともあなたがたに明らかにして示してくださるでしょう。16.いずれにしても、わたしたちは到達し得たところに従って歩むべきです。

17.兄弟たちよ、わたしに倣う者となりなさい。あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々のことに目をとめなさい。18.何度もあなたがたに言ってきましたが、今、わたしは涙ながらに言います。キリストの十字架に敵対して歩んでいる人々が多いからです。19.その人々の終わりは滅びです。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥の中に、彼らの思いは地上のことです。20.わたしたちの国籍は天にあります。そこから、救い主であられる主イエス・キリストが来られるのを、わたしたちは待ち望んでいます。21.キリストは、万物をご自分に従わせることの出来る御力によって、わたしたちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ姿に変えてくださるのです。

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●「自然の中で聴く聖書」フィリピの人々への手紙 3章1~11節
●「自然の中で聴く聖書」フィリピの人々への手紙 3章12~21節



★「ご自身の栄光の体と同じ姿に変えてくださるのです」(21)

   2:7の「似たような姿」(ομοίωμαホモイオーマ)に対して2:21は「同じ姿」σύμμόρφον・シュンモルフォン)が使用されていることに注意する必要がある。イエスは人間と同じではなく、(罪がないという意味において)「似たような姿」となられたが、人間はキリストによって「同じ姿」(罪がない姿)に変えられることができる。





2017年3月14日火曜日

新約聖書原典「フィリピの人々への手紙」2章の翻訳(私訳)

フィリピの人々への手紙 

2章


1.そこで、キリストにある慰め、愛の励まし、霊の交わり、同情と憐れみが幾らかでもあるなら、2.同じ思い、同じ愛を持ち、心を一つ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。3.党派心や虚栄心からするのではなく、謙虚な心で互いを自分より優ったものとみなしなさい。4.各自は、自分のことだけでなく、他の人たちのことに[も]目を向けなさい。5.キリスト・イエスにあるのと同じ思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
 6.キリスト・イエスは、神の姿でありましたが、
 神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、
 7.むしろ自分を無にして、僕のかたちをとり、
 人間と同じような姿になられました。
 その現れた外形は人と同様で、
 8.自分を低くし、死に至るまで、
 しかも、十字架の死に至るまで従順であられました。
 9.それゆえに、神は彼を最も高い位に引き上げ、
 彼にすべての名に優る名をお与えになりました。
 10.それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもの、
 すべてのものがイエスの御名によって膝をかがめ、
 11.すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、
 栄光を父なる神に帰すようになるためです。
12.わたしの愛するかたがた、こういうわけですから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいるときだけでなく、わたしのいない今は、なおいっそう従順で、畏れとおののきをもって自分たちの救いをなし遂げなさい。13.御心のために、あなたがたの内に働かれて願いごとを起こさせ、よしと思うことを行われるのは神だからです。14.すべてのことをつぶやかず、疑わないで行いなさい。15.それは、あなたがたが、欠点がなく純真な者となり、この曲がった邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。あなたがたはこの世にあって、彼らの中で星のように輝き、16.命のことばをしっかりと持ち続けているのです。わたしはキリストの日に、自分が走ったことが無駄ではなく、労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。17.しかし、たとえ、あなたがたの信仰の祭壇とその奉仕の務めに、わたしの血が注がれることがあっても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。18.あなたがたも同じく喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。
19.わたしは、テモテを急いであなたがたに遣わそうと、主イエスにあって希望しています。それは、あなたがたのことを知って、わたしも励まされたいからです。20.(テモテのように)わたしと同じ思いを抱いて、あなたがたのことを親身になって心配している者は他にいないからです。21.人はみな、自分のことを求めて、イエス・キリストのことを求めません。22.しかし、テモテの練達した品格は、あなたがたの認めるところです。すなわち、子が父に仕えるように、彼はわたしと共に、福音のために仕えてくれたのです。23.そこで、わたしの状況に見通しがつき次第、すぐにでも彼を遣わそうと希望しています。24.わたし自身も間もなく(そちらへ)行けると、主にあって確信しています。

25.さて、わたしは、わたしの兄弟、同労者であり戦友、また、あなたがたの使徒、わたしの窮乏に仕えてくれたエパフロディトをあなたがたに遣わすことが不可欠であると考えました。26.彼があなたがた一同にしきりに会いたがっていたからです。しかし、自分が病気であったことをあなたがたが聞いたので、そのことを彼は心苦しく思っていました。27.事実、彼はひん死の病気にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんでくださいました。こうして、わたしは悲しみの上に悲しみを重ねなくて済んだのです。28.ですから、大急ぎで彼を遣わします。そうすれば、あなたがたは彼と再び会って喜ぶでしょうし、わたしも、おお、これ以上、心配しなくて済むでしょう。29.だから大いに喜んで、主にあって彼を歓迎しなさい。また、こういう人たちを尊びなさい。30.なぜなら、彼は、わたしに対するあなたがたの援助の不足分を補おうと、キリストの働きのために自分の命を危険にさらし、死ぬほどの目に遭ったのですから。


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●「自然の中で聴く聖書」フィリピの人々への手紙 2章1~18節
「自然の中で聴く聖書」フィリピの人々への手紙 2章19~30節
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「人間と同じような姿になられました」(7)

ὁμοιώματιは「似ている」「類似」を意味する。「同じ」ではなく、「同じような」又は、「似た姿」「似た形」という意味。