2012年4月27日金曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」1章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 


1章


1.アブラハムの子孫であるダヴィデの子孫、イエス・キリストの系図。
2.アブラハムはイサクを生み、イサクはヤコブを生み、ヤコブはユダとその兄弟たちを生み、3.ユダはタマルによってファレスとザラを生み、ファレスはヘスロムを生み、ヘスロムはアラムを生み、4.アラムはアミナダブを生み、アミナダブはナアソンを生み、ナアソンはサルモンを生み、5.サルモンはラハブによってボアズを生み、ボアズはルツによってオベデを生み、オベデはエッサイを生み、6.エッサイはダヴィデ王を生んだ。
ダヴィデはウリヤの妻によってソロモンを生み。7.ソロモンはレハブアムを生み、レハブアムはアビヤを生み、アビヤはアサを生み、8.アサはヨシャファトを生み、ヨシャファトはヨラムを生み、ヨラムはウジアを生み、9.ウジアはヨタムを生み、ヨタムはアハズを生み、アハズはヒゼキヤを生み、10.ヒゼキヤはマナセを生み、マナセはアモスを生み、アモスはヨシヤを生み、11.ヨシヤはバビロンヘ移住の頃、エコニヤとその兄弟たちとを生んだ。
12.バビロンへの移住の後、エコニヤはサラティエルを生み、サラティエルはゼルバベルを生み、13.ゼルバベルはアビウドを生み、アビウドはエリアキムを生み、エリアキムはアゾルを生み、14.アゾルはサドクを生み、サドクはアキムを生み、アキムはエリウドを生み、15.エリウドはエレアザルを生み、エレアザルはマタンを生み、マタンはヤコブを生み、16.ヤコブはマリアの夫ヨセフを生んだ。このマリアからキリストと呼ばれるイエスがお生まれになった。
17.だからアブラハムからダヴィデまでが、全部で十四代、ダヴィデからバビロンへの移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代である。
18.さて、イエス・キリストの誕生はこうであった。イエスの母マリアはヨセフと婚約していたが、彼らが一緒になる前に聖霊によって身ごもっていることがわかった。19.彼女の夫ヨセフは正しい人であったので、彼女を公にさらすことを好まず、秘かに離縁しようと考えた。20.彼がこれらの事を思いめぐらしていると、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「ダヴィデの子ヨセフ、恐れないでマリアをあなたの妻に迎えなさい。マリアの胎に宿ったのは、聖霊によったのだから。21.彼女は男の子を産むでしょう。あなたはその名をイエスと呼ぶでしょう。彼は自分の民を彼らの罪から救うからです」。22.この全ての事が起こったのは、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。こう言われている。
23.『見よ、乙女が身ごもって男の子を産むであろう。人々は彼の名をインマヌエルと呼ぶであろう。』

これを訳すと「神は私たちと共におられる」である。24.ヨセフは眠りから覚めると、主の使いが彼に命じたように行って、自分の妻を迎えた。25.男の子が生まれるまでは、彼女を知らなかった。そして、その子の名をイエスと名づけた。


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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書  1章



★ τέξεται δὲ υἱόν, καὶ καλέσεις τὸ ὄνομα αὐτοῦ Ἰησοῦν·(21)

 「彼女は男の子を産むでしょう。あなたはその名をイエスと呼ぶでしょう」 21節

  ἰδοὺ ἡ παρθένος ἐν γαστρὶ ἕξει καὶ τέξεται υἱόν, καὶ καλέσουσιν τὸ ὄνομα αὐτοῦ Ἐμμανουήλ(23)

 「見よ、乙女が身ごもって男の子を産むであろう。人々は彼の名をインマヌエルと呼ぶであろう」 23節

 21節は主の使いがヨセフに語った言葉、23節は旧約聖書(イザヤ7:14)からの引用。
 双方を比較して先ず気付くことは23に ἐν γαστρὶ ἕξει (身ごもって)があるのに対し21にはそれがないこと、23に主語が「乙女」「人々」と不特定であるのに対し21では「彼女」」「あなた」と特定されていること。この違いは過去になされた預言が、今、マリアとヨセフの上に現実に成就したことを物語っている。



2012年4月24日火曜日

新約聖書原典「マルコによる福音書」16章の翻訳(私訳)

マルコによる福音書 

16章


1.さて、安息日が過ぎたので、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、そしてサロメとは、行ってイエス(の遺体)に塗るために香油を買った。2.週の初めの日の早朝、彼女たちは日の出とともに墓へ行った。3.そして互いに言った。「誰が墓の入り口から、私たちのために石を転がしてくれるでしょうか」。4.彼女たちが見上げてよく見ると、その石は非常に大きかったが、すでに転がされていた。
5.墓の中へ入って行くと、右側に長くて白い衣を着た若者が座っているのを見て、彼女たちはひどく驚いた。6.しかし若者が彼女たちに言った。「驚くな。あなたがたは十字架にかけられたナザレ人のイエスを捜しているが、そのお方は甦られてここにはおられない。見なさい、ここが遺体の納められた場所である。7.それより、あなたがたは行って、弟子たちとペトロに『イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる』と言いなさい。イエスがあなたがたに言われたとおり、あなたがたはそこでイエスにお会いできるであろう」。
8.彼女たちは墓から出て逃げ去った。彼女たちは恐怖に震え、夢うつつの状態だったので、誰にも何も話さなかった。恐ろしかったからである。
【しかし彼女たちは、命じられた全ての事を、ペトロと弟子達に手短に話した。その後、イエスご自身も東から西まで弟子たちを通して、聖なる朽ちることのない永遠の救いの使信を送り出されたのである。ア―メン。】
9.週の初めの日、朝早く、イエスは復活して先ずマグダラのマリアに(ご自身を)現わされた。この婦人からイエスは七つの悪霊を追い出されたのである。10.その彼女は、かつてイエスと一緒だった人々が泣き悲しんでいるところへ行って(そのことを)知らせた。11.しかし彼らは、彼女からイエスが生きておられること、またイエスを見たことを聞いたけれど、信じなかった。
12.その後、彼らの中の二人の者が田舎の方へ歩いて旅をしていると、イエスは違った姿で(ご自身を)現わされた。13.この人たちも行って、その他の人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことを信じなかった。
14.[しかし]のちに、十一人の者たちが食事の席についているとイエスが現われ、彼らの不信仰とかたくなな心をお叱りになった。それは甦られたイエスを示された人々(の言うこと)を、彼らが信じなかったからである。15.そして彼らに言われた。「全世界へ行って、全ての造られた者に福音を告げ知らせなさい。16.信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、信じない者は罪に定められる。17.しかし、信じる者たちには、これらのしるしが伴うだろう。わたしの名によって悪霊どもを追い出し、新しい言葉を語る。18.[また手で]蛇をつかむ。たとえ毒を飲んでも、決して彼らを害さない。病気の人々に手を置けば良くなる」。

19.さて、主イエスは彼らに語られた後、天に引き上げられ、神の右に座られた。20.一方、これらの人々は出かけて行って、あらゆる所で告げ知らせた。主は(彼らと)共に働かれ、しるしが伴うことで、御言葉を確かなものとされたのである。】




●「自然の中で聴く聖書」マルコによる福音書 16章

★ τοῖς μετʼ αὐτοῦ γενομένοις (10)
  「イエスと一緒にいた人々」 10節
 墓にいる「若者」によりイエスの復活を知らされ、またイエスご自身によって最初に知らされたマグダラのマリアが、主の復活を知らせに行った相手は「イエスと一緒にいた人々」であった。この表現は、この人々が先ず十一弟子であり、(ルカによるとその他の人々をも含んでいるールカ24:9)、イエスに一番近い人々であったことを示している。彼らはイエスに一番近いが故に、彼らの不信仰は一層イエスの譴責の対象となったのである(14)。

★ δυσὶν ἐξ αὐτῶν
 「彼らの内の二人」 12節
 明らかに10節の「イエスと一緒にいた人々」の内の二人という意味。 ἐξ αὐτῶν  はしばしば「弟子たちの内の」と訳される。

★ ἀπήγγειλαν τοῖς λοιποῖς·
 彼らは残りの(その他の)人たちに知らせた」 13節
 二人の弟子はエルサレムを出て、田舎(ルカによるとこの村はエマオというールカ24:13)に向かって歩いていた。その途上で(エマオで)イエスは二人にご自身を現わされた。故に τοῖς λοιποῖς(トイス  ロイポイス)  「残りの人たち」「その他の人たち」は、「エルサレムに残っている弟子(仲間)たち」の意味。

★ δαιμόνια ἐκβαλοῦσιν, γλώσσαις λαλήσουσιν καιναῖς

 「彼らは悪霊どもを追い出し、新しい言葉を語るだろう」 17節
 δαιμόνια (ダイモニア) は文字通り悪霊(複数)の意。 γλώσσαις  καιναῖς (新しい言葉) は「知らない言語」「まだ使ったことのない言葉」を意味する。これらのイエスの約束は、イエスの昇天後の原始キリスト教会において目に見える方法、すなわち異言を語るという形で現実の事となった。



2012年4月6日金曜日

新約聖書原典「マルコによる福音書」15章の翻訳(私訳)

マルコによる福音書 

15章


1.夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老たちや律法学者たち、そして全議会と共に相談してイエスを縛り、ピラトの所へ連れて行って引き渡した。
2.ピラトはイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人たちの王なのか」。そこで、イエスは答えてピラトに言われた。「あなたの言うとおりである」。3.すると祭司長たちはイエスについて、いろいろな事を訴えはじめた。4.そこでピラトは再びイエスに尋ねて言った。「何も答えないのか。見よ、あなたについて、人々があれほど多くのことを訴えているのに」。5.しかし、ピラトが驚くほど、イエスはもう何もお答えにならなかった。
6.さて、祭りではその度ごとに、人々が願い出る囚人一人を釈放することになっていた。7.さて、ここに反逆者たちと共に捕らえられていたバラバという男がいた。彼らはみな、謀反により殺人を犯した者たちであった。8.そこで群衆は押しかけて来て、ピラトが彼らのためにいつもしているようにしてほしいと要求し始めた。9.そこで、ピラトは彼らに答えて言った。「あなたがたに、あのユダヤ人たちの王を赦してほしいのか」。10.(ピラトがそう言ったのは)祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。11.しかし、祭司長たちは、なんとしてもバラバの方を釈放してもらうよう、群衆を扇動した。12.ピラトは再び彼らに答えて言った。「では、あなたがたがユダヤ人たちの王[と呼んでいる者]は、どうして[ほしい]のか。13.群衆は再び叫んだ。「十字架にかけよ」。14.ピラトが彼らに言った。「彼がどんな悪事をしたのか」。しかし、群衆はますます叫んだ。「十字架にかけよ」。
15.そこでピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを彼らのために釈放し、イエスをむち打ってから十字架にかける為に引き渡した。
16.兵卒たちはイエスを官邸の中庭、すなわち総督官邸の中庭へ連れて行き、部隊全員を召集した。17.そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、18.イエスに「ユダヤ人たちの王、ようこそ」と言って挨拶しだした。19.また、イエスの頭をこん棒でたたき、唾をはき、ひざをついて拝んだりした。20.イエスをあざけってから、紫の衣を脱がせ、自分の外套を着せて、十字架にかけるために連れ出した。21.するとアレクサンドロとルフォスの父で、シモンというキレネ人が田舎から出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を無理やり彼に背負わせた。
22.そしてイエスをゴルゴタ、これは訳せば「されこうべ(頭蓋骨)」という所に連れて行った。23.人々はイエスに没薬を混ぜたぶどう酒を与えたが、イエスはお受けにならなかった。24.彼らはイエスを十字架にかけてから、誰がどの衣服を取るか、互いにくじを引いてイエスの衣服を分け合った。25.さて、彼らがイエスを十字架にかけたのは午前九時であった。26.またイエスの罪状書きがあって、それには「ユダヤ人たちの王」と書かれていた。
27.彼らはイエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に十字架にかけた。29.そして人々は、彼らの傍らを通り過ぎながらイエスをののしり、自分たちの頭を振りながら言った。「ああ、神殿を壊して三日で建てる者よ。30.十字架から降りて来て自分を救え」。31.同じように、祭司長たちも、律法学者たちと一緒になって、あざけりながら言った。「他人を救ったが、自分を救えない。32.キリストよ、イスラエルの王よ、今、十字架から降りてみよ。それを見たら信じよう」。イエスと一緒に十字架にかけられている者たちも、イエスをののしった。
33.そして十二時となり、地上の全面が暗くなり三時に至った。34.三時になって、イエスは大声で叫ばれた。
『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』
これを訳せば、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35.そばにいたある者たちが(これを)聞いて言った。「見よ、エリヤを呼んでいるのだ」。36.そこで、誰かが走って行き、酸いぶどう酒を含ませた海綿を葦の茎に巻きつけ、イエスに飲ませようとして、「待て、エリヤが彼を引きおろしに来るかどうか見ていよう」と言った。37.しかし、イエスは大きな叫び声を上げて、息を引き取られた。
38.すると、神殿の幕が上から下まで二つに裂けた。39.イエスの向かい側に立っていた百人隊長は、イエスがこのようにして息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子であった」と言った。
40.また、婦人たちもいて、遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、若いヤコブとヨセの母マリア、サロメがいた。41.彼女たちは、イエスがガリラヤにおられた時、イエスに従い仕えていた人たちである。また他にも大勢の婦人たちが、イエスと共にエルサレムに上って来ていたのである。

42.さて、すでに夕方となっていた。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、43.アリマタヤの出身で、有力な議員のヨセフという人が来て―この人も神の国を待ち望んでいたー勇気を持ってピラトの所に行って、イエスの体を(引き取りたいと)願い出た。44.そこで、ピラトは(イエスが)既に死んだかどうか不安に思い、百人隊長を呼び寄せ、とっくに死んだかどうかを尋ねた。45.ピラトは百人隊長に確かめた上で、ヨセフに遺体を引き取らせた。46.ヨセフは亜麻布を買い、遺体を十字架から取り降ろして亜麻布に包み、岩に掘られた墓に納めた。そして石を墓の入り口にころがしておいた。47.マグダラのマリアとヨセの母マリアは、イエスが納められた場所を見届けた。




●「自然の中で聴く聖書」マルコによる福音書 15章

★ Ὁ δὲ Πιλᾶτος βουλόμενος τῷ ὄχλῳ τὸ ἱκανὸν ποιῆσαι (15)
「そこでピラトは、群衆を満足させようと思い

マルコ15章の前半を詳しく読むと、裁判官としてのピラトがイエスを訴える群衆にいかに容易に飲み込まれて行ったかをうかがい知ることができる。何度かの祭司長たちを含めた群衆とのやり取りの中で、ピラトは確かに最初の内はイエスの十字架刑には疑問を抱いていた。それは彼の群衆に対する少なくとも三度の質問で推測できる(9.12.14)。質問を繰り返すうちに彼の疑問は徐々に群衆の意見に飲まれてゆき、ついには、上記(15)の決断へと至るのである。 βουλόμενος (ブーロメノス) は、「~しようと欲す」と訳され、「意思」を現わす時に使われる言葉である。ピラトがイエスを群衆に引き渡したのは、まさに自分の意思からであった。したがって15節の意味する所は、ピラトは自分のローマ総督としての立場から、人々の尊敬を勝ち取るため、群衆を満足させることの方をイエスの釈放より優先させたのであった。

★ ὁ κεντυρίων ὁ παρεστηκὼς ἐξ ἐναντίας αὐτοῦ  (39)

 イエスの向かい側に立っていた百人隊長は」

39節の表現を見ると、このローマの百人隊長はとてもイエスを尊敬していたことがうかがえる。
 παρεστηκὼς(パレステーコース) だけであるなら、ただ「傍らに立っていた」百人隊長というだけのことであったが、ἐξ ἐναντίας αὐτοῦ (エクス  エナンティアス  アウトゥウ)「イエスに向かい合って」 という言葉が付け加えられていることによって、マルコは、この百人隊長が、イエスを真に「神の子」として信じ、意思表示していたことを示したかったのであろう。上記の一文を直訳すると、「イエスの傍らでイエスに向かい合って立っていた百人隊長は」となる。この「イエスに向かい合って」という言葉は、彼が真剣に十字架のイエスに向かい合っていることを示しており、「本当にこの人は神の子であった」という次に来る彼の信仰告白へと繋がっていく。

★ Ησαν δὲ καὶ γυναῖκες ἀπὸ μακρόθεν θεωροῦσαι, (40) 

 「また、婦人たちも(そこに)いて、遠くから見守っていた」

  καὶ ἄλλαι πολλαὶ αἱ (41)
 他にも大勢の婦人たちも」

  ὃς καὶ αὐτὸς ἦν προσδεχόμενος τὴν βασιλείαν τοῦ θεοῦ (43)  

 この人も神の国を待ち望んでいた

イエスの十字架の周りには、イエスを神の子と信じ、神の国を待ち望む人たちが、百人隊長以外にも大勢いた。ギリシア語文法の中で、名詞の前に使われる καὶ(カイ) は重要である。40、41、43で使われている καὶ  はそのような用法で、「~も」と訳す。マルコは καὶ  をここで続けて使用することで、十字架の周りには、百人隊長以外にもなお多くの主を信じる仲間がいたことを示そうとしたのである。

★ ἐπὶ τὴν θύραν τοῦ μνημείου(46)
 「墓の入り口の
 ἐπὶ (エピ) のもっとも一般的な意味は「上」である。したがってイエスが納められた墓の形状がこれによってある程度推測される。墓の入り口の上に蓋のように石が転がされて置かれたという表現から、入り口は上方向にあり、遺体を納める場所はその下方にあった事が想像される。