2014年6月8日日曜日

新約聖書原典「ヨハネの黙示録」22章の翻訳(私訳)


ヨハネの黙示録 

22章


1.また天使は、水晶のように透明ないのちの水の川をわたしに見せてくれた。それは神と小羊の御座から流れ出て、2.都の大通りの中央を流れていた。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実が生じたが、その実はそれぞれ月ごとに実った。木の葉は諸国民を癒すために(繁った)。3.もはや、呪われるべきものは何もない。神と小羊の御座が都の中にあり、神の僕たちは神を礼拝し、4.その御顔を仰ぎ見る。また、神の名が彼らの額に(書かれている)。5.もはや夜はなく、ランプの光も、太陽の光もいらない。神である主が彼らを照らすからである。彼らは永遠に限りなく支配する。
6.また天使はわたしに言った。「これらの言葉は信頼できるもの、また真実なものである。預言者たちの霊感の神である主が、ご自分の天使を遣わして、すぐにも起こらねばならないことを、その僕たちに示されたのである。7.見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は幸いである」。
8.これらのことを聞き、また見たのはわたしヨハネである。これを聞き、また見たとき、わたしは、これらのことをわたしに見せてくれた天使の足元にひれ伏して礼拝しようとしたが、9.天使がわたしに言った。「いけない。わたしはあなたや、預言者であるあなたの兄弟たち、また、この書物の言葉を守る人々と同じ僕仲間である。神を礼拝しなさい」。
10.また天使はわたしに言った。「この書物の預言の言葉を封印してはならない。時が近づいているからである。11.悪を行う者は、なお悪を行わせよ。汚れたことを行う者は、なお汚れたことを行わせよ。正しい者は、なお正しいことを、聖なる者は、なお聖なることを行わせよ」。
12.「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えて来て、その行いに応じてそれぞれに報いよう。13.わたしはアルファであり、またオメガである。最初の者であり、また最後の者である。初めであり、終わりである」。
14.いのちの木にあずかる権利があり、門を通って都に入るために、自分の衣を洗う人々は幸いである。15.犬ども、魔術を行う者、不品行を行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、偽りを好み行う者たちはみな(都の)外にいる。
16.「わたしイエスは、これらのことをあなたがたに証しするため、わたしの使いを諸教会に遣わした。わたしはダヴィデの根であり、子孫であり、光り輝く明けの明星である」。
17.御霊も花嫁も言う、「来なさい」と。また、聞いている者も言いなさい、「来なさい」と。「渇いている者は来なさい。いのちの水がほしい者は価なしに受けなさい」。
18.この書物の預言の言葉を聞いているすべての人に、わたしは証しする。もし、だれでも、これらの言葉に書き加える者がいれば、神は、この書物に書かれている災害を、その者に加えられるだろう。19.また、もし、だれでも、この預言の書物の言葉から削除する者がいれば、神は、この書物に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれるだろう。
20.これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る」。アーメン、主イエスよ、来てください。

21.主イエスの恵みがすべての人々と共にあるように。

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●「自然の中で聴く聖書」ヨハネの黙示録 22章


★14節の『門』は複数で、それは21章で述べられた12の門(21:12、13)を指している。

★18節の『災害』も複数で、16章に出てくる七つの災害を指している。


★18節、19節の宣言は、この『ヨハネの黙示録』の言葉に付加、または削除することは決して許されないという、この書物だけが持つ特殊性と重大性を特に示すものである。




2014年6月3日火曜日

新約聖書原典「ヨハネの黙示録」21章の翻訳(私訳)


ヨハネの黙示録 

21章


1.わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と先の地は過ぎ去り、海ももはやなくなってしまったからである。2.また、わたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、その夫のために着飾った花嫁のように準備を整えて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。3.また、御座から大きな声がして、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々と共にあり、神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神ご自身も彼らと共にいて[彼らの神となり]、
4.『彼らの目から涙をすべて拭い去ってくださる。』
もはや死もなく、悲しみも、叫びも、苦しみもない。
先のものが過ぎ去ったからである。」
5.また、御座に座しておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ、これらの言葉は、信頼できるものであり、また真実だからである」。6.またわたしに言われた。「すでに成った。わたしはアルファでありオメガである。初めであり終わりである。わたしは渇いている者に、いのちの水の泉からただで飲ませよう。7.勝利する者はこれらのものを受け継ぎ、わたしはその人の神となり、その人もわたしの子となる。8.しかし、ひきょうな者、信じない者、不道徳な者、人殺し、姦淫する者、魔術をおこなう者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者たちに対する彼らの報いは、火と硫黄の燃える池の中である。これが第二の死である」。
9.また、最後の七つの災害で満ちた七つの鉢を携えた七人の天使の中の一人が来て、わたしにむかってこう言った。「来なさい、あなたに小羊の妻である花嫁を見せてあげよう」。10.天使は御霊によって、わたしを大きな高い山の上に連れて行き、わたしに聖なる都エルサレムが神のもとを出て、天から下って来るのを見せてくれた。11.都は、神の栄光に輝いていて、その輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。12.都には大きく高い城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、門の上には名が書かれていた。それらは、イスラエルの子らの十二の部族の名であった。13.東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門である。14.都の城壁には十二の土台があり、それらには小羊の十二使徒たちの十二の名が書かれていた。
15.わたしに話している天使は、金の測り竿を持っていた。それは、都とその門と城壁とを測るためであった。16.都は正方形で据えられ、その長さ幅ともに同じであった。天使が測り竿で都を測ったが、それは一万二千スタディオン《2220km》で、その長さ、幅、高さが同じであった。17.また、都の城壁(の高さ)を測ったが、人間の測り竿で百四十四ペーキュス《65m》であった。これは天使の測り竿でもある。18.都の城壁の材料は碧玉で、都は透明なガラスのような純金であった。19.都の城壁の土台は、多くの宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、20.第五は紅縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。21.十二の門は十二個の真珠であって、どの門も一つの真珠でできていた。また、都の大通りは透明なガラスのような純金であった。

22.また、わたしは都の中に聖所を見なかった。全能者の神であられる主と小羊とが、都の聖所だからである。23.都は、それを照らすための太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからである。24.諸国の民は都の光によって歩き、地の王たちは自分たちの栄光をこの都に携えて来る。25.都の門は、一日中決して閉ざされることはない。そこには夜がないからである。26.人々は諸国の民の栄光と誉れとを、この都に携えて来る。27.すべて汚れた者、憎むべきこと、偽りを行う者は、決してその都に入れない。小羊の命の書に名が記されている者たちでなければ、決してその都に入れない。



●「自然の中で聴く聖書」ヨハネの黙示録 21章


★一万二千スタディオン(16)=2220km
★百四十四ペーキュス(17)=65m
「人間の測り竿…であり、天使の測り竿でもある」(17) この表現から上記の大きさは実際の寸法を表すものなのか、象徴的表現なのかは、いろいろ意見がある。