2013年6月19日水曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」6章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

6章


1.安息日となり、イエスは麦畑を通って行かれた。すると弟子たちが麦の穂を摘み、それを手でもんで食べ始めた。2.すると、あるファリサイ派の人々が言った。「どうしてあなたたちは、安息日にしてはならないことをするのですか」。3.イエスは答えて彼らに対して言われた。「あなたがたは、ダヴィデが彼自身も、また彼と共にいた者たちも飢えた時、彼がしたことを読んだことがないのか。4.[なんと]神の家に入り、祭司たちのほかには誰も食べることが許されていない供えのパンを取って食べ、共にいた者たちにも与えたではないか」。5.そして彼らに言われた。「人の子は安息日の主なのである」。
6.他の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その人の右の手が萎え衰えていた。7.律法学者たちとファリサイ派の人たちは、イエスが安息日に(その人を)治すかどうかをうかがっていた。それはイエスを訴える口実を見つけるためであった。8.しかしイエスご自身は、彼らの考えを見抜いておられたが、この右手が萎え衰えた男の人に、「起きて真ん中に立ちなさい」と言われた。するとその人は起き上って立った。9.そこでイエスは彼らに言われた。「あなたがたに尋ねるが、安息日に許されているのは善を行うことか、それとも悪を行うことか、いのちを救うことか、それともいのちを滅ぼすことか」。10.そして彼ら一同を見回してその人に、「あなたの手を伸ばしなさい」と言われた。その人がそのようにすると、その手がもとに戻った。11.ところが彼らは激怒して、「イエスをどうにかしよう」と、互いに話し合った。
12.その頃のことである。イエスは祈るために山へ出て行かれ、神に祈って夜を明かされた。13.朝になり、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。14.それはシモン、彼にはペトロと名づけられた。それから彼の兄弟のアンデレ、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、15.マタイ、トマス、アルファイの子のヤコブ、熱心党と呼ばれているシモン、16.ヤコブの子のユダ、そしてイスカリオテのユダ、このユダが裏切り者となったのである。
17.イエスは彼らと一緒に(山を)下り、平らな場所に立たれた。イエスの弟子である多くの群衆と、おびただしい数の民衆が、ユダヤ全域やエルサレム、またティルスとシドンの海沿いの地方から、18.イエスの話を聞くため、また自分たちの病気を治してもらおうとやって来た。また、汚れた霊に苦しめられている人々も癒されていた。19.群衆がみなイエスに触れようと試みていた。それはイエスから力が出て、すべての人をお癒しになっておられたからである。
20.イエスは目を上げ、ご自分の弟子たちに対して言われた。
「貧しい人々は幸いだ。
神の国はあなたがたのものだからである。
21.今、飢えている人々は幸いだ。
あなたがたはやがて満たされるからである。
今、泣き悲しんでいる人々は幸いだ。
あなたがたはやがて笑うようになるからである。
22.人々があなたがたを憎み、
また人の子のゆえに、
あなたがたを排斥してののしり、
悪者のようにあなたがたの名を拒否する時、
あなたがたは幸いだ。
23.その日には喜び躍れ。
見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。
彼らの先祖たちも、預言者たちに対して同じように行っていたのである。
24.しかしながら、あなたがた富んでいる人たちは、何と悲しいことか。
あなたがたは、自分の慰めを受けてしまっているからだ。
25.あなたがた今 満たされている人々は、何と悲しいことか。
やがて飢えるからだ。
今、笑っている人々は、何と悲しいことか。
やがて悲しみ泣くからだ。
26.人々が皆、あなたがたを正しいと言う時、何と悲しいことか。
彼らの先祖たちも、偽りの預言者たちに同じように行っていたのである。
27.しかし、わたしはこれを聞いているあなたがたに言う。あなたがたに敵対する人々を愛し、あなたがたを嫌う人々に良くしなさい。28.あなたがたをののしる人々を祝福し、あなたがたを虐待する人々のために祈りなさい。29.あなたの頬を打つ者には、他の頬も差し出しなさい。あなたの上着を取ろうとする者には下着をも与え、拒んではならない。30.すべて求める者には与え、あなたの持ち物を取ろうとする者から、取り戻そうとしてはならない。
31.人々にして欲しいと望むように、あなたがたも人々に同じように行いなさい。32.あなたがたを愛してくれる人々を愛したところで、どんな恩恵があるか。罪人たちも自分たちを愛してくれる人々を愛している。33.あなたがたに親切にしてくれる人々に親切にしたところで、どんな恩恵があるか。罪人たちも同じことをしている。34.返してもらうことを期待して金を貸しても、どんな恩恵があるか。罪人たちも、同じだけのものを返してもらおうと、罪人たちに貸すのである。35.しかし、あなたがたに敵対する人々を愛し、良い業を行いなさい。返済を期待しないで金を貸してあげなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き方の子となるだろう。なぜなら、この方は恩知らずの者たちにも、悪い者たちにも恵み深い方だからである。
36.あなたがたの父が慈悲深くあられるように、あなたがたも慈悲深い者となりなさい。37.(人を)裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも決して裁かれない。(人を)罪に定めてはならない。そうすれば、あなたがたも決して罪に定められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。38.与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる。人々は良い枡を押して揺り動かし、あなたがたのふところに注ぎ与えてくれるだろう。あなたがたが量るその枡で、あなたがたも量り返されるだろう」。
39.さらにイエスは彼らに譬えも話された。「目の見えない人が、目の見えない人を手引きすることができるだろうか。二人とも穴に落ちてしまわないだろうか。40.弟子は師に優るものではない。しかしよく訓練された者は誰でも、師のようになれる。
41.あなたの兄弟の目の中の木屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。42.自分の目の中の丸太を見ないで、どうしてあなたの兄弟に対して、『兄弟よ、あなたの目の中の木屑を取り除かせてください』と言えるだろうか。偽善者よ、先ずあなたの目から丸太を取り除きなさい。そうすればはっきりと見えるようになり、あなたの兄弟の目の中の木屑を取り除くことができる。
43.悪い実を結ぶ良い木はなく、また良い実を結ぶ悪い木もないからだ。44.それぞれの木(の良し悪し)は、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは集められないし、野ばらからぶどうの実は収穫できない。45.良い人は心の良い倉から良いものを取り出し、悪い人は悪い倉から悪いものを取り出す。口は心から溢れ出ることを語るものなのだから。
46.わたしを、『主よ、主よ』と呼びながら、どうしてあなたがたはわたしの言うことを行わないのか。47.すべて、わたしのもとに来てわたしの言葉を聞き、それらを行う人が誰に似ているか教えよう。48.その人は土を深く掘り、岩の上に基礎を築いて家を建てる人に似ている。洪水が起こり、流れがその家に押し寄せたが、しっかり建てられていたので、その家をぐらつかせることができなかった。49.しかし、聞いても行わない人は、基礎のない土の上に家を建てた人に似ている。流れがその家に押し寄せたがすぐに倒れ、その家の壊れ方もひどかった」。





ἀγαπᾶτε τοὺς ἐχθροὺς ὑμῶν, καλῶς ποιεῖτε τοῖς μισοῦσιν ὑμᾶς, 27
「あなたがたに敵対する人々を愛し、あなたがたを嫌う人々に良くしなさい」

上記は良く知られた言葉である。 τοὺς ἐχθροὺς (トゥース エクトゥルース) は「敵」と多くの聖書で訳されているが、より良い訳は「敵対する人々又は、敵意を持つ人々」である。これは「敵」という概念がそもそも「自分が敵とみなす」というのがその中に含まれるわけで、ここではこうした意味は全く含まれない。「人々があなた方を敵とみなす」と言うのがこの文脈から知りえることである。それは次の28節においてより明確になる。「あなたがたをののしる人々を祝福し、あなたがたを虐待する人々のために祈りなさい」