2017年5月26日金曜日

新約聖書原典「ヘブライの人々への手紙」12章の翻訳(私訳)

ヘブライの人々への手紙 

12章


1.こう言うわけで、わたしたちもまた、このような多くの証人に雲のように囲まれているのですから、すべての重荷と、絡みつく罪とを脱ぎ捨て、わたしたちの前に置かれている競走を耐え忍んで走ろうではありませんか。2.信仰の導き手であり完成者であるイエスに目を向けながら(走ろうではありませんか)。彼は、ご自分の前に置かれている喜びのゆえに、恥をも意に介さず十字架を耐え忍び、神の御座の右にお座りになったのです。3.あなたがたは、心が疲れて弱り果てないよう、ご自分に対する罪人たちからのこのような反抗を耐え忍んだ方のことをよく考えてみなさい。
4.あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまでの抵抗をしたことがありません。5.また、子供たちに話すようにあなたがたに語られたこの勧告を忘れ去っています。
『わたしの子よ、
主の訓練を軽んじてはならない。
主に譴責されるとき、力を落としてはならない。
6.主は、愛する者を訓練し、
受け入れる子すべてを鞭打たれる。』
7.あなたがたは訓練として耐えなさい。神は、あなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。8.もし、あなたがたが、皆があずかることになっている訓練を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは私生児であって、子ではありません。9.さらに、わたしたちには肉の父がおり、(わたしたちを)懲らしめるにもかかわらず尊敬しているとすれば、霊の父には、なおさら服従して生きるべきではないでしょうか。10.というのは、肉の父たちは、しばらくの間、自分たちの考えに従って訓練をしますが、霊の父は、わたしたちの益となるように、ご自分のきよさにあずからせるために訓練されるからです。11.すべての訓練は、当座は喜ばしいものとは思えず、むしろ、悲しいものと思われます。しかし、後になれば、それによって、父は、鍛えられた人々に平和な義の実をお与えになるのです。
12.だから、衰えた手と、弱くなったひざを真っ直ぐにしなさい。13.足の不自由な者が(道を)踏み外さないように、否、むしろ癒されるように、自分たちの足で真っ直ぐな道をつくりなさい。14.すべての人々と共に、平和ときよさを熱心に追い求めなさい。きよくなければ、だれも主を見ることはできないでしょう。15.だれも、神の恵みから取り残されることがないように、『苦い根が上に生え出てあなたがたを悩まし』、それによって多くの人々が汚されないように、気をつけていなさい。16.だれも、エサウのように、不品行や世俗的な者になってはいけません。彼は、一杯の食べ物のために、自分の長子の権利を売り渡してしまったのです。17.あなたがたも知っているとおり、彼は、後になって祝福を手に入れたいと思いましたが、不適当と判定されてしまいました。彼は涙を流して祝福を求めたにもかかわらず、悔い改めの機会を得ることができなかったのです。
18.あなたがたが向かっているのは、手で触れることができ、火が燃え、暗雲と暗黒が覆い、暴風と、19.ラッパの音と、聞いた者たちが、これ以上自分たちに加えられないよう請い求めた言葉が発せられたような山ではありません。20.事実、彼らは、『またもし、獣がその山に触れたなら、石で打ち殺されるであろう』と命じられたことに耐えられなかったのです。21.このように、その光景が恐ろしかったので、モーセは、『わたしは恐ろしくて、恐れおののいている』と言いました。22.しかし、あなたがたが向かっているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使たちの祝会、23.天に登録されている長子たちの集会、すべての者の審判者である神、完全なものとされた義人たちの霊、24.新しい契約の仲保者イエス、アベルの血よりも力強く語るふりかけられた血です。

25.あなたがたは、語っておられる方を拒むことがないように注意しなさい。もし、地上で、かの人たちが、御旨を伝えた人を拒んで(罰を)免れることができなかったとすれば、天から語っておられる方を拒むわたしたちは、なおさらそうではありませんか。26.あのときは、その方の御声が地を震わせましたが、今はこう言って約束しておられます。
 『もう一度、わたしは地だけでなく、天をも揺り動かそう』。
27.『もう一度』という言葉は、揺り動かされないものが残るために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。28.わたしたちは揺るがない御国をいただいているのですから、感謝しましょう。感謝をもって、畏れかしこみつつ、神に喜ばれるように仕えていこうではありませんか。29.わたしたちの神は、焼き尽くす火だからです。



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★ 「神の御座の右にお座りになったのです。」(2後半)
「お座りになったのです」は、原語が完了形で書かれている。ギリシア語完了形は過去の出来事の結果が現在も継続している場合に使用される。ゆえに、お座りになった方が「現在もなお、お座りになっておられる」という意味合いがある。

★「足の不自由な者が、(道を)踏み外さないように」(13前半)

 「踏み外さないように」は、「関節を外さないように」の意味もある。

★「自分たちの足で、まっすぐな道をつくりなさい」(13後半)

「自分たちの足」=「(足の不自由な者のために)あなたがたの足、まっすぐな道をつくりなさい」という意味。前を行く健康な足の者が歩いたまっすぐな足跡は、後に続く足の不自由な者にとって歩きやすい安全な道となる、ということを意味するのであろうか。





2017年5月12日金曜日

新約聖書原典「ヘブライの人々への手紙」11章の翻訳(私訳)

ヘブライの人々への手紙 

11章


1.信仰とは、望んでいることを確信し、見ていない事実を確認することです。2.先祖たちは、この信仰によって称賛されました。3.信仰によってわたしたちは、この世界が神の言葉によって完成し、見えるものは現れているものから出来たのではないと理解しています。4.信仰によって、アベルはカインより優ったいけにえを神にささげ、信仰によって、彼は義なる者と称賛されました。神が彼のささげものを称賛されたのです。彼は死にましたが、今なお信仰によって語っています。5.信仰によって、エノクは、死を知らずに移されました。神が彼を移されたので、彼は見えなくなりました。移される前に、彼が神に喜ばれる者と証しされていたからです。6.信仰がなくては(神に)喜ばれることはできません。神に近づこうとする者は、神がおられることと、神はご自分を求める人々に報いてくださる方だと信じなければならないからです。7.信仰によって、ノアは、まだ見ていないことについて御告げを受けたとき、畏れかしこみつつ、自分の家族を救うために箱船を造り、その信仰によって世を裁き、信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。
8.信仰によって、アブラハムは、嗣業として受け継ぐことになっていた土地に出て行くようにとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかも分からないまま出掛けて行きました。9.信仰によって、彼はよその土地に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束を共に受け継ぐイサク、ヤコブと共に天幕に住みました。10.彼は、堅固な土台を持つ都を待ち望んでいたのです。その都の技師また建設者は神です。11.信仰によって、不妊の女サラ自身も、年老いていたにもかかわらず、子を宿す力を得ました。約束なさった方は真実な方であると思ったからです。12.こういうわけで、死んだも同然の一人の人から、数えきれない天の星のように、また、海辺の砂のように、おびただしい数の子孫が生まれたのです。
13.これらの人々はみな、信仰を抱いて死にました。約束のものは受けていませんでしたが、これらのものを遠く離れた所から眺めて喜び、自分たちが地上ではよそ者であり寄留者であることを告白したのです。14.このように言う人々は、自分たちが故郷を追い求めていることを表明しているのです。15.もし彼らが、出て来た、かの土地のことを思い起こしていたなら、あるいは戻る機会はあったかもしれません。16.しかし、実際、彼らが切に得ようと望んでいたものは、天にあるより優った故郷でした。ですから、神は彼らの神と呼ばれることを恥とはされず、彼らのために都を用意されたのです。
17.信仰によって、アブラハムは、(神に)試みられたとき、イサクをささげました。すなわち、約束を受けた者が、独り子をささげたのです。18.この子については、
『イサクによって(生まれる者が)、あなたの子孫と呼ばれるであろう』
と言われていたのです。
19.彼は、神は死者たちの中から復活させることがお出来になると考えたのです。それゆえに、彼はイサクを、いわば返してもらったわけです。20.信仰によって、イサクは、将来についてヤコブとエソウを祝福しました。21.信仰によって、ヤコブは、死に際してヨセフの子供たち一人ひとりを祝福し、『自分の杖の先端に寄りかかって礼拝しました』。22.信仰によって、ヨセフは、(生命の)終わりに至って、イスラエルの子らの(エジプトからの)脱出について言及し、自分の骨のことについて指図しました。
23.信仰によって、モーセは、生まれたとき、三か月の間、彼の両親によって隠されました。それは、両親が子供の美しいのを見たからです。また、彼らは王の命令をも恐れませんでした。24.信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み、25.一時的な罪の享楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、26.キリストの(ために受ける)屈辱を、エジプトの財宝にも優る富と考えました。それは、彼がむくいを望み見続けていたからです。27.信仰によって、彼は王の怒りをも恐れず、エジプトを去りました。彼は見えない方を見ているようにして耐え忍んだのです。28.信仰によって、彼は、滅ぼす者が自分たちの長子に手を下すことがないように過越を行い、(小羊の)血を振りかけました。29.信仰によって、人々は乾いた陸地を通るように紅海を渡りました。同じことを試みたエジプト人たちは、おぼれ死んでしまいました。30.信仰によって、エリコの城壁は、七日間にわたって行進して回ったため崩れ落ちました。31.信仰によって、娼婦ラハブは、探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたので、不従順な者たちと共に滅ぼされませんでした。

32.これ以上、何を話しましょうか。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダヴィデ、サムエル、また預言者たちのことについて語って聞かせるなら、わたしには時間が足りないでしょう。33.信仰によって、彼らは国々を打ち負かし、正義を行い、約束のものを手に入れ、ライオンの口をふさぎ、34.火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、弱い者から強い者にされ、戦いに強い者とされ、敵の軍勢を打ち破りました。35.女たちは、自分の死んだ家族の者たちをよみがえらせてもらいました。他の人々は、さらにまさった復活にあずかるために解放されることを拒み、拷問を受けました。36.他の人々は、あざけられ、鞭打たれ、更には、鎖につながれて投獄されるという試練に遭いました。37.また、石で打たれ、のこぎりでひかれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮をまとって放浪し、窮乏し、苦しめられ、虐待され、38.荒野と、山と、洞穴と、地の割れ目をさ迷い続けました。この世は彼らにはふさわしくなかったのです。39.これらの人々はみな、信仰によって称賛されましたが、約束のものを受け取っていませんでした。40.神はわたしたちのために、更に良いものをあらかじめ備えてくださっているのですから、これらの人々が、わたしたち抜きで、(その約束が)完成されることはありません。



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★Ἔστιν δὲ πίστις ἐλπιζομένων ὑπόστασις, πραγμάτων ἔλεγχος οὐ βλεπομένων. (11:1) 

『信仰とは、望んでいることを確信し、見ていない事実を確認することです。』
「確信」と訳される ὑπόστασις(ヒュポスタシス)は、「保証に実質を与えるもの、特に財産の所有権を保証する書類、土地家屋など不動産の権利証書のこと。『望んでいることを確信し』とは、希望の対象をまだ実見していなくても、その権利証書を手にしているのと同じ役割をするのが信仰である」(新約聖書ギリシア語小辞典 / 織田 昭)
「確認」と訳される ἔλεγχος(エレンコス)は、「信仰が、まだこの目でみていないものの『検分済み確認書』と同じ力をもつこと」(同上)

★滅ぼす者(28)とは「天使」のこと。

ἐτυμπανίσθησαν「拷問を受けました」(35)
τυμπανίζω(テュンパニゾー・拷問する)。この言葉は拷問に使用される車形の刑具のこと。受刑者は、その上に太鼓の皮のようにはりつけにされ、太鼓を打つように強く打たれた。英語のtimpani(ティンパニ=太鼓)はこの言葉が語源となっている。

★40節は(7~10章)を背景にして解釈する必要がある。「神が、わたしたちのために更によいものをあらかじめ備えてくださった」は、7:19、22、24、25、8:1,2、6、9:11,12、15、28、10:19,20を参照。

「これらの人々が、わたしたちを抜きにして、(その約束が)完成されることはありません」

旧約時代の人々も、新約時代に生きるわたしたちも共に、イエスを通してなされた大いなる贖罪のゆえに、等しくその罪の赦しと救いにあずかることができる、ということを表現したものと思われる。



2017年5月5日金曜日

新約聖書原典「ヘブライの人々への手紙」10章の翻訳(私訳)

ヘブライの人々への手紙 

10章


1.律法は、やがて実現しようとしている良いものの影を宿しているにすぎず、実体そのものではないので、途切れることなくささげられる年ごとのいけにえそれ自体によって、(神のもとに)来る人々を完全にすることは決してできません。2.もしそうであれば、礼拝者たちは一度清められて、もはや罪の意識を持たなくなったわけですから、ささげものをすることが止んだはずではありませんか。3.しかし実際は、それらのささげものによって、年ごとにもろもろの罪が思い出されるのです。4.雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。5.ですから、キリストはこの世に来られるとき、こう言われました。
『あなたは、いけにえやささげものを望まれず、
わたしに体を備えてくださいました。
6.あなたは焼き尽くすささげものや、罪のためのいけにえを喜ばれませんでした。
7.そのとき、わたしは言いました。
ご覧ください。わたしについて巻物の書に書いてあるとおり、神よ、わたしはあなたの御心を行うために参りました。』
8.上記の言っていることは、『いけにえやささげもの、焼き尽くすささげもの、罪のためのいけにえ、すなわち、律法に従ってささげられるどんなものも、あなたは望まれず、喜びもされなかった』ということであり、9.同時に、『ご覧ください。わたしはあなたの御心を行うために参りました』と言っています。すなわち、彼は後のものを成立させるために、前のものを廃止されたのです。10.イエス・キリストの体が一度だけささげられたことにより、御心によって、わたしたちは聖なる者とされているのです。
11.また、祭司はみな、日ごとに儀式を執り行うために立って、だびたび、同じいけにえをささげますが、それらは決して罪を取り除くことができません。12.しかし、このキリストは、罪のために、唯一の、永遠のいけにえをささげた後、神の右に座り、13.その後は、敵どもがご自分の足台に据えられるまで、待っておられるのです。14.なぜなら、唯一のささげものによって、彼は、聖なる者とされた人々を、永遠に完全な者となさったからです。15.聖霊もわたしたちに証しして、こう言っておられます。
16.『それらの日の後、
わたしが彼らに対して立てる契約はこれである、
と主は言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、
彼らの思いにそれらを書きつけよう。
17.わたしはもう、彼らのもろもろの罪と、彼らのもろもろの不法行為を決して思い出さない。』
18.これらの赦しがあるところに、もはや、罪のためのささげものは必要ありません。
19.ですから、兄弟たちよ。わたしたちには、イエスの血によって、大胆に聖所に入って行く道があり、20.イエスはその肉の体である垂れ幕を通して、わたしたちに新しい生きた道を新たに開いてくださったのです。21.また、神の家には、偉大な祭司がおられるのですから、22.心は悪い良心から清められ、体は清い水で洗われ、信仰に満たされて、真実な心をもって(神に)近づこうではありませんか。23.約束してくださったのは真実な方ですから、わたしたちの告白する揺るぎない望みをしっかりと持ち続け、24.愛と良い行いとによって互いに励まし、認め合おうではありませんか。25.ある人々の慣例にように、自分たちの集会を放棄しないで、むしろ、励まし合い、その日が近づいているのを知って、ますますそうしようではありませんか。
26.わたしたちが真理の知識を受け入れた後にも、故意に罪を犯し続けるなら、罪のためのいけにえは、もう何も残されてはいないのです。27.(残されているのは)ただ、裁きと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を恐れつつ待つことだけです。28.モーセの律法を拒む者が、憐れみを受けることなく、『二人か、三人の証言によって死に処せられる』とすれば、29.神の子を踏みにじり、(自分が)その方によって聖とされた契約の血を汚れたものと考え、恵みの御霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。30.わたしたちは、『復讐はわたしのすること、わたし自身が報復する』、また、『主が、ご自分の民を裁かれる』と言われた方を知っています。31.生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。
32.あなたがたは、光を受けてから、あの苦しい大きな戦いに耐えた、かつての日々を思い出してください。33.ののしられ、苦しめられ、見せものにされたこともあり、また、そのように振る舞う者たちの仲間にされたこともありました。34.また、囚人たちに同情し、自分たちの財産を略奪されても、自分たちにはさらに優ったいつまでも残る財産があることを知って、喜んでそれを受け入れました。35.ですから、あなたがたは、自分たちの確信を放棄してはいけません。その確信には大きなむくいがあるのです。36.神の御心を行って約束のものを受け取るために、あなたがたに必要なのは、忍耐です。
37.『もうほんのしばらくすれば、
来るべき方が来られる。
遅くなることはない。
38.わたしの義人は、
信仰によって生きる。
もし、引き下がるなら、
わたしのこころは彼を喜ばない。』

39.しかし、わたしたちは、引き下がって滅びに至る者ではなく、信仰によっていのちを獲得する者なのです。



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