2012年1月31日火曜日

新約聖書原典「マルコによる福音書」13章の翻訳(私訳)

マルコによる福音書 

13章


1.イエスが神殿の庭を出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんと立派な石、なんと立派な建物でしょう」。2.イエスは彼に言われた。「あなたはこれらの大きな建物に見とれているのか。この場所で、ひとつの石が破壊されずに、他の石の上に残される事は決してないだろう」。
3.イエスがオリーブ山で神殿に向かって座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに尋ねた。4.「わたしたちに話してください。いつ、その様な事があるのですか。またそれらの事が全て成就されようとする時には、どんなきざしがありますか」。5.そこで、イエスは彼らに話し始められた。「誰にも惑わされないように、警戒していなさい。6.多くの者がわたしの名を名乗って現れ、『わたしがそれである』と言って、多くの人々を惑わすだろう。7.あなたがたは、戦争と戦争のうわさを聞いても、動揺してはならない。それは起こらねばならないが、まだ終わりではない。8.民族は民族に対して立ち上がり、国は国に対して立ち上がるだろう。地震があちらこちらで発生し、ききんがあるだろう。これらは、産みの苦しみの始まりである。
9.あなたがたは自分自身に気をつけなさい。人々はあなたがたを議会や会堂に引き渡し、あなたがたは打たれるだろう。また、わたしの為に彼らに対して証しするため、支配者たちや王たちの前に立たされるだろう。10.しかし先ず、この福音は全ての諸国民に宣べ伝えられなければならない。11.人々があなたがたを引き渡すために連れて行くとき、何を話そうかと取り越し苦労をしてはならない。むしろ、その時は、あなたに示されることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだから。
12.また、兄弟は兄弟を、父は子を死に引き渡すだろう。また、子供たちは両親に逆らい、これを殺すだろう。13.あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人から憎まれるだろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14.『荒廃をもたらす忌むべきも
の』が、立ってはならない場所に立つのを見た時は、読者は悟れ。その時、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。15.[また]屋上にいる人は、下に降りてはならない。家から何かを運び出そうと、中に入ってもならない。16.畑にいる人は、上着を取ろうと後戻りしてはならない。17.それらの日には、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは不幸だ。
18.(それらの日が)冬にならないように祈りなさい。19.なぜなら、それらの日が、神が天地を造られた創造の始めから今日まで、そのようなことは起こったこともなく、これからも決して起こらないような苦難の日々となるからである。20.主がその期間を縮めてくださらなければ、誰ひとり救われないだろう。しかし、主は選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。
21.もし誰かが、あなたがたに『見よ、ここにキリストが、見よ、あそこにキリストが』と言っても、信じてはならない。22.なぜなら、偽キリストたちや、偽預言者たちが現れるからである。彼らは、できれば選民を惑わそうと、いろいろなしるしや、不思議なこと行うだろう。23.だから、注意していなさい。わたしは全ての事を、前もってあなたがたに話しているのである。
24.しかし、それらの日には、このような苦難の後、
『太陽は暗くされ、
月はその光を放たず、
25.星々は空から落ち、
天の諸力は揺り動かされるであろう。』
26.その時、人々は、人の子が大いなる力と栄光とを持って、雲に乗って来るのを見るだろう。27.また、その時、人の子は天使たちを遣わし、地の端から天の端に至るまで、四方から[その]選民を集めるだろう。
28.いちじくの木から、この譬えを学びなさい。すでにその枝が柔らかくなり葉が出ると、夏が近づいていることがわかる。29.このように、あなたがたも、これらの事が起こっているのを見たなら、(人の子)が戸口まで近づいていると悟りなさい。
30.あなたがたによく言っておく。これらのことが全て起こるまでは、この時代は決して滅びることはない。31.天と地とは滅びるだろう。しかし、わたしのこれらの言葉は、決して滅びることはない。
32.その日、その時については誰も知らない。父以外には、天にいる御使たちも子も知らない。

33.注意して、目を覚ましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたには分からないからである。34.それはちょうど、ある人が旅に出るため自分の家を離れるにあたり、その僕たちにそれぞれ権限を与えて仕事を割り当て、また門番には目を覚ましているようにと命じるようなものである。35.だから、目を覚ましていなさい。いつ、この家の主人が帰って来るのか、夕方か、真夜中か、鶏が鳴く頃か、それとも明け方か、あなたがたには分からないからだ。36.予期せぬ時に主人が帰って来て、あなたがたの寝ているのを見られないようにしなさい。37.わたしがあなたがたに言う事は、全ての人に言うのである。目を覚ましていなさい」。



●「自然の中で聴く聖書」マルコによる福音書 13章

ποταποὶ λίθοι καὶ ποταπαὶ οἰκοδομαί. (1)
 「なんと立派な石、なんと立派な建物でしょう」(1)

 λίθοι (石・複数)も οἰκοδομαί. (建物・複数)も複数なので、直訳すると、「なんと立派な数々の石、なんと立派な建物群でしょう」となり、神殿を積み上げた多くの石と、幾棟も連なる神殿の建造物全体を指し示して言った言葉であることがわかる。

καὶ εἰ μὴ ἐκολόβωσεν κύριος τὰς ἡμέρας, οὐκ ἂν ἐσώθη πᾶσα σάρξ· ἀλλὰ διὰ τοὺς ἐκλεκτοὺς οὓς ἐξελέξατο ἐκολόβωσεν τὰς ἡμέρας.(20)
主がその期間を縮めてくださらなければ、誰ひとり救われない。しかし、主は選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。」(20)

上記20節の太字の部分の3つの動詞は過去形で書かれている。前半の2つの動詞は εἰ+過去形、ἂν+過去形で、条件文と帰結文で構成された文章である。動詞に過去形が使用されていることから、これは過去における条件文と帰結文で、普通「~であったなら、~であっただろう」と訳される。ゆえに20節は、「主がその期間を縮めてくださらなかったなら、誰ひとり救われなかっただろう」と訳される。そうすれば、3つ目の後半の動詞が「縮めてくださった」とすべてが過去形でつながるので自然な訳となる。しかし、14節以降の記述から、ここは未来の予言についての文脈の中で語られていることから、神の予知による計画の中であらかじめ行われたことと解釈するのが適切であろう。ちなみに、マタイによる福音書24:22の平行箇所では、「選民のためには、それらの期間が縮められるであろう」と未来形で書かれていることに注意。

καὶ τότε ὄψονται τὸν υἱὸν τοῦ ἀνθρώπου ἐρχόμενον ἐν νεφέλαις
  「その時、人々は、人の子が雲に乗って来るのを見るでしょう」(26)

  ἐν νεφέλαις  は、「雲の間に」、「雲の内にあって」、「雲に包まれて」とも訳しうる。

ἐπισυνάξει τοὺς ἐκλεκτοὺς [αὐτοῦ] ἐκ τῶν τεσσάρων ἀνέμων  (27)
  「彼はご自分の選民を、あらゆる所から集めるでしょう」(27)

 ἐκ τῶν τεσσάρων ἀνέμων  直訳は「四つの風から」だが、普通は「四方から」と訳す場合が多いが、その意味は「すべての方向から」、又は「すべての所から」である。
 
ἀγρυπνεῖτε(アグリュプネイテ)  「目を覚ましていなさい」(33)
  γρηγορεῖτε (グレーゴレイテ) 「目を覚ましていなさい」(24、35、37)
 33~37節に4回「目を覚ましていなさい」と訳される言葉が現れる。2通りの言葉が使われていて、意味はほぼ同じである。「警戒していなさい」とも訳せる。



2012年1月23日月曜日

新約聖書原典「マルコによる福音書」12章の翻訳(私訳)

マルコによる福音書 

12章



1.イエスは譬えで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造り、周りに垣根をめぐらし、搾り槽を掘り、物見やぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。2.(収穫の)季節となり、農夫たちからぶどう園の収穫の分け前を受け取ろうと、僕を農夫たちのもとへ遣わした。3.ところが農夫たちは、彼を捕まえて袋だたきにし、から手で送り返した。4.再び、他の僕を彼らのもとへ遣わしたが、その僕をも頭を殴り怪我をさせて侮辱した。5.また別の僕を遣わしたが、これも殺してしまった。更に多くの別の僕たちを遣わしたが、ある者たちは殴られ、ある者たちは殺された。6.その人にはまだ愛するひとり息子がいたが、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後にその息子を彼らに遣わした。7.しかし、この農夫たちは互いに『これはあととりだ、さあ、彼を殺してしまおう。そしてその財産を我々のものにしよう』と言った。8.そこで、農夫たちは彼を捕まえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。9.[さて]、ぶどう園の主人はどうするだろうか。帰って来てその農夫たちを滅ぼし、他の農夫たちにそのぶどう園を与えるだろう。10.聖書にこう書かれているのを読んだことがないのか。
『家造りたちが拒んで捨てた石が、隅の頭石となった。11.これは主が行われたことで、わたしたちの目には驚くべきことである。』」
12.彼らは、イエスが自分たちに対して譬えを語られたと分かったので、イエスを捕まえようとしたが、群衆を恐れた。そして、彼らはイエスを残して立ち去った。
13.さて、人々は、イエスの言葉尻を捉えようと、ファリサイ派とヘロデ党のある者たちをイエスのもとに遣わした。14.そして、来てイエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、誰をも遠慮なさらない方であることを知っています。それは人を分け隔てなさらず、真理にもとづいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税を納めるのはよいことでしょうか、それともよくないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。15.イエスは、彼らの偽善を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのか。デナリオンを持ってきて、わたしに見せなさい」。16.そこで彼らは持ってきた。イエスは彼らに言われた。「これは誰の肖像、誰の銘刻か」。彼らはイエスに言った。「皇帝のものです」。17.そこでイエスは彼らに言われた。「皇帝のものは皇帝に、また、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエス(の答え)に驚嘆した。
18.また、「復活はない」と言っているサドカイ派の人々がイエスのもとに来て、尋ねて言った。19.「先生、モーセはわたしたちに、『もし、誰かの兄が死に、子がなくて妻を残し去った場合には、兄の弟がその妻を迎えて、兄のために子孫をもうけなければならない』と書きました。20.ここに七人の兄弟がいました。最初の兄は妻を迎えましたが、死んで子孫を残しませんでした。21.二番目の兄弟もこの女を妻に迎えましたが、子孫を残さないで死にました。三番目の兄弟も同様でした。22.そして、七人とも子孫を残さず、最後にはこの女も死にました。23.復活の時[彼らが復活する時]には、この女は彼らのうち誰の妻になるのですか。七人が彼女を妻にしたのですが」。24.イエスは彼らに言われた。「あなたがたは聖書も、神の力も知らないから誤解をしている。25.死者たちの中から復活する時には、あなたがたはめとったり嫁いだりすることはない。それどころか彼らは天にいる御使いたちのようなものである。26.ところで、死者たちが復活することについては、神がモーセの書の柴の個所で、どのように彼に語られたかを読んだことがないのか。すなわち、こう言われた。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と。27.神は死んだ者たちの神ではなく、生きている者たちの神である。あなたがたはとんでもない誤解をしている」。
28.人々が議論するのを聞いていた一人の律法学者が歩み寄り、イエスが彼らに正しい答をされたのを見てイエスに尋ねた。「全ての戒めの中で、どれが一番大切なのですか」。29.イエスは、一番はこれであると答えられた。「『イスラエルよ、聞け。我々の神、主は唯一の主であられる。30.あなたは、心の限りに、精神の限りに、思いの限りに、力の限りにあなたの神、主を愛しなさい』。31.二番はこれである。『あなたの隣人を、自分自身のように愛しなさい』。これらに優る戒めはほかにない」。32.その律法学者がイエスに言った。「仰せのとおりです、先生、『神は唯一で、その方を除いてほかに神はいない』と言われたことは真実です。33.また、『心の限りに、理解の限りに、力の限りに主を愛すこと、また、自分自身のように隣人を愛すこと』は、焼き尽くすどんなささげものや犠牲よりも優れています」。34.そこでイエスは、律法学者が賢明に答えたのを見て、彼に言われた。「あなたは、神の国から遠くはない」。 そして、もうあえてそれ以上、イエスに質問する者はいなかった。
35.イエスは引き続き、神殿の庭で教えて言われた。「どうして律法学者たちは、キリストはダヴィデの子だと言うのだろうか。36.ダヴィデ自身、聖霊によって言った。
『主は、わたしの主に言われた。
わたしの右に座していなさい。
あなたの敵たちを、あなたの足の下に置くまでは。』
37.ダヴィデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どうして彼の子なのだろうか」。
多くの群衆は喜んで、イエスの話しを聞いていた。
38.そして、イエスはその教えの中で言われた。「長い衣を着て歩きまわりたがる律法学者たちに気をつけなさい。彼らは、広場では挨拶されることを好み、39.諸会堂では最上席を、宴会では最上座を好む。40.また、やもめたちの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。これらの者たちは、よりきびしい裁きを受けるだろう」。

41.イエスは、献金箱の向かい側に座り、群衆がどのようにその献金箱に銅貨を入れるかを見ておられた。多くの金持ちたちが、多くの銅貨を投げ入れていた。42.すると、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚を投げ入れた。それは一コドランス《1デナリオンの1/64》である。43.イエスは弟子たちを呼び寄せ、彼らに言われた。「よくあなたがたに言っておく。この貧しい寡婦は、献金箱に投げ入れている人たちのうちで、誰よりも多くのものを投げ入れたのである。44.なぜなら、多くの人たちは、有り余る中からそれらのものを投げ入れたが、彼女はその足りないものの中から、持てるものすべて、彼女の生活費全部を投げ入れたのだから」。




●「自然の中で聴く聖書」マルコによる福音書 12章


★ οὗτός ἐστιν ὁ κληρονόμος· (7)
  「これはあととりだ
  
  κληρονόμος(クレーロノモス) は、神がその民イスラエルに「約束された人」を意味する。
 
   ἡμῶν ἔσται ἡ κληρονομία
  「その財産を我々のものにしよう」
 
  κληρονομία(クレーロノミア) は、相続財産、遺産、受け継ぐことになっている財産、すなわち、神がその民イスラエルに与えると「約束された財産」を意味する。
 
★ ἐξέδετο αὐτὸν γεωργοῖς καὶ ἀπεδήμησεν. (1)
  「農夫たちに貸して旅に出た」
 
  δώσει τὸν ἀμπελῶνα ἄλλοις. (9)
  「他の農夫たちにそのブドウ園を与えるだろう
 
 1)のテキストはブドウ園の主人が、旅に出かける時、(9)は、主人が帰って来た時のことである。  (1)は、ブドウ園を農夫たちに貸したが、(9)はそれを他の農夫たちに与えるとある。
イエスはこの譬えで何を教えようとされているのかが、その用いる言葉によってそれを知ることができる。ἐξέδετο は ἐκδίδομαι のアオリスト(過去形)3人称単数で「彼は貸した」、δώσει は δίδωμι の未来、3人称単数で、「彼は与えるだろう」である。イスラエルの民は選民としてブドウ園である「約束された財産」を委ねられていたが、神から遣わされた預言者たちを拒み、最後に遣わされたキリストさえ十字架にかけて殺した。それゆえに「約束された財産」は他の農夫たち(異邦人)に「与えられる」ことになる。信じる者には誰にでも与えられるのである。
 
★ αὕτη δὲ ἐκ τῆς ὑστερήσεως αὐτῆς πάντα ὅσα εἶχεν ἔβαλεν ὅλον τὸν βίον αὐτῆς  (44)

「しかし、彼女はその足りないものの中から、彼女の持っていた全てのもの彼女の生活費全部を入れたのです」
 ὅλον τὸν βίον αὐτῆς (彼女の生活費全部)。ὅλον τὸν βίον は「全生活」を意味する。レプトン銅貨は当時の貨幣で最小の単位。イエスはこの貧しい未亡人が捧げたのは、金額的には最小だが、それが他の裕福な献金者の誰よりも多くささげたのだと言われた。彼女は金銭をささげたのではなく、彼女の全生活、全存在をささげたのであった。




2012年1月14日土曜日

新約聖書原典「マルコによる福音書」11章の翻訳(私訳)

マルコによる福音書 

11章


1.さて、一行がエルサレムに近づき、ベトファゲとオリーブ山のふもとのベタニアに来たとき、イエスは二人の弟子をお遣わしになるにあたり、2.彼らに言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、誰もまだ乗ったことがない一頭のロバの子がつながれているのを見つけるだろう。それをほどいて連れて来なさい。3.もし、誰かが『何故このような事をするのか』と言ったなら、『主がご入り用です。すぐにまたここにお返しになりますから』と言いなさい」。4.彼らが出かけて行くと、表通りに面した門の外につながれた一頭のロバの子を見つけ、それをほどいた。5.すると、そこに立っていた人たちが彼らに言った。「どうしてそのロバの子をほどくのか」。6.二人の弟子は彼らにイエスが言われた通りに言うと、彼らは許してくれた。7.二人の弟子は、そのロバの子をイエスのところに連れて来て、自分たちの上衣をそれに掛けると、イエスはその上にお乗りになった。8.大勢の人々も自分たちの上衣を、また他の人々は、野原から切ってきた葉のついた枝を道に敷いた。9.そして、前を行く人々も、後を行く人々も叫んだ。
「『ホサナ、主の名によって来られる方に祝福があるように。』
10.わたしたちの父ダヴィデの、来たらんとする国に祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
11.それからイエスはエルサレムに入って行き、神殿の庭に行かれて、色々なものを見て回わられた。時も既に夕方となったので、十二人と一緒にベタニアに出かけられた。
12.翌日、一行はベタニアを出たが、イエスは空腹になられた。13.そして遠くから葉の茂ったいちじくの木を見て、その中に何か見つかるだろうと思って近づかれたが、葉のほかは何も見つけることができなかった。いちじくの季節ではなかったからである。14.そこで、イエスは宣言してその木に言われた。「これから後いつまでも、お前が結ぶ実を食べる者がいないように」。弟子たちは、これを聞いていた。
15.一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の庭に入られ、そこで売り買いをしている者たちを追い出し始められた。そして、両替人たちの机や、鳩を売る者たちの椅子をひっくり返された。16.そして、誰も神殿の庭を通って物を運ぶ事をお許しにならなかった。17.イエスは彼らに教えて言われた。「こう書かれているではないか。すなわち、
『わたしの家は、全ての人々にとって、祈りの家と呼ばれるであろう。』
しかし、あなたがたはそれを、強盗どもの巣窟にしてしまっている」。
18.これを聞いて祭司長たちや律法学者たちは、どのようにしてイエスを殺そうかと、機会を狙っていた。それは、群衆が皆イエスの教えに驚いていたので、彼らはイエスを恐れていたからである。
19.さて、時も遅くなり、一行は町の外へ出て行った。
20.朝早く、彼らがいちじくの木の傍らを通ったところ、それが根元から枯れているのを見た。21.そこで、ペトロが思い出してイエスに言った。「先生、見てください。あなたが呪われたいちじくの木が枯れています」。22.イエスは答えて弟子たちに言われた。「神を信じなさい。23.あなたがたによく言っておく。誰でもこの山に向かって、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、自分の心で疑わず、言ったことはその通りになると信じるなら、そうなるだろう。24.だからあなたがたに言っておく。祈り求めることは、どんなことでも全て、得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるだろう。25.また、立って祈る時、もし誰かに対して何か恨みごとがあるなら、赦してあげなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪過を赦してくださる」。

27.さて、一行は再びエルサレムに来た。そして、イエスが神殿の庭を歩いておられると、祭司長たちや律法学者たち、長老たちがイエスのもとに来て、28.言った。「何の権威によって、これらの事をするのか。誰がこれらの事を行うための権威を、あなたに与えたのか」。29.そこでイエスは彼らに言われた。「わたしも一言あなたがたに尋ねよう。わたしに答えなさい。そうすれば、わたしも何の権威によって、これらの事をしているのか、あなたがたに言おう。30.ヨハネのバプテスマは天からのものであったか、それとも人々からのものであったか。わたしに答えなさい」。31.彼らは互いに議論し合って言った。もし、天からのものだと言えば、「では何故、彼を信じなかったのか」とイエスは言うだろう。32.しかしもし、人々からのものだと言えば、民衆が恐ろしかった。皆はヨハネが本当に預言者だと思っていたからである。33.そこで、彼らは答えてイエスに言った。「わたしたちには分かりません」。すると、イエスも彼らに言われた。「わたしも何の権威によってこれらの事をしているのか、あなたがたに言わないでおこう」。



●「自然の中で聴く聖書」マルコによる福音書 11章


★ πάντα ὅσα προσεύχεσθε καὶ αἰτεῖσθε, πιστεύετε ὅτι ἐλάβετε (24)

  「祈り求めることは、どんなことでも全て、得られたと信じなさい」

πάντα ὅσα は直訳すると、「どれほど多くても全てを」である。23節でイエスが言われた、祈り求めることを疑わず、信じるなら、「山でさえ移せる」という言葉と同義の意味を持つ。

★ τὸ βάπτισμα τὸ Ἰωάννου ἐξ οὐρανοῦ ἦν ἢ ἐξ ἀνθρώπων(30)
  「ヨハネのバプテスマは天からのものであったか、それとも人々からのものであったか」

これは、祭司長達や、律法学者達がイエスの行う業を見て、イエスに「誰がこのような事を行う権威をあなたに与えたのか」(28)という質問に対するイエスの逆質問である。 ἐξ は「~から出る」で、文脈は「権威」に関する問答であるから、ヨハネが行ったバプテスマの行為が「天から与えられた権威」によるものか、それとも「人々から与えられた権威」によるものかをイエスは問うている。



2012年1月9日月曜日

新約聖書原典「マルコによる福音書」10章の翻訳(私訳)

マルコによる福音書 

10章


1.さて、イエスはそこを立ってユダヤの地方と、ヨルダンの向こう側へ行かれた。群衆が再びイエスのもとに集まって来たので、いつものように彼らを教えておられた。
2.すると、ファリサイ派の人々が近寄って来て、イエスを試そうとして「夫が妻を離縁するのは、差支えないのでしょうか」と質問した。3.しかし、イエスは答えて彼らに言われた。「モーセはあなたがたに、どのように命じたのか」。4.彼らは言った。「モーセは離縁状を書いて、離縁することを許しました」。5.しかし、イエスは彼らに言われた。「モーセはあなたがたの心が強情なので、このような戒めを書いたのだ。6.しかし、創造の初めから『神は彼らを、男と女とに造られた。7.それゆえに、人は自分の父と母を離れ、その妻とかたく結び合う。8.二人の者は一つの体となるのである』。そのため、もはや二人ではなく、一体なのだ。9.だから、神が結び合わされた者を、人が別れさせてはならない」。
10.再び家に入られると、弟子たちはそのことについてイエスに尋ねた。11.イエスは彼らに言われた。「自分の妻と離縁して他の女と結婚する者は、妻に対して姦淫の罪を犯すのである。12.また、自分の夫と離縁した者が、他の男と結婚するなら、(夫に対して)姦淫の罪を犯すのである」。 
 13.人々がイエスに触れていただくために、自分の幼い子供たちを彼のもとに連れて来たが、弟子たちは彼らを叱った。14.しかし、イエスはそれをご覧になり、憤慨して弟子たちに言われた。「幼子たちを、わたしのもとに来るままにさせておきなさい。その子たちを妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものだから。15.よくあなたがたに言っておく。幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない」。16.そしてイエスは幼子たちを両腕に抱き、両手をその子たちの上に置いて祝福された。
17.さて、イエスが旅に出かけようとすると、ひとりの人が走り寄ってイエスにひざまずいて尋ねた。「善き教師よ、永遠の命を得るためには、何をすれば良いのですか」。18.イエスは彼に言われた。「何故、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほか、善い者はいない。19.あなたは律法を知っているはずである。すなわち、殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え」。20.しかし、彼はイエスに言った。「先生、それらのことは皆、若い頃から保ってきました」。21.イエスは彼を見つめ、愛を示して言われた。「あなたに足りない事が一つある。帰って、持ち物をみな売って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に宝を持つことになる。それから来て、わたしに従いなさい」。22.彼はその言葉に顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの資産を持っていたからである。
23.イエスは周りを見回して弟子たちに言われた。「財産のある人たちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことか」。24.弟子たちはイエスの言葉に非常に驚いたが、イエスはふたたび言葉を続けて彼らに言われた。「子たちよ。神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。25.富んでいる人が神の国に入るより、らくだが針の穴を通り抜ける方がずっと易しい」。26.弟子たちはますます驚いて、「それでは誰が救われることができるだろうか」と、互いに言い合った。27.イエスは弟子たちを見つめて言われた。「人には出来ないが、神には出来る。神には全てがお出来になるからである」。
28.ペトロがイエスに言いだした。「ご覧ください。わたしたちは全てを捨てて、あなたに従っています」。29.イエスは言われた。「あなたがたによく言っておく。わたしの為に、また福音の為に、家、兄弟たち、姉妹たち、母、父、子供たち、又は畑を捨てる者はだれでも、30.その百倍を受けない者はいない。今のこの時代に於いては、家、兄弟たち、姉妹たち、母、子供たち、そして畑を迫害と共に受けるが、やがて来るべき世界に於いては、永遠の命を受ける。31.多くの先の者たちはあとになり、あとの者たちは先になる」。
32.一行はエルサレムに上る途中であったが、イエスは弟子たちの先を歩いておられた。弟子たちはついて行きながらも、驚き恐れていた。イエスは十二人の弟子たちを再び呼び寄せ、ご自分の身にふりかかろうとしていることを彼らに話し始められた。33.「見よ、わたしたちはエルサレムに上って行こうとしている。そして人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されるだろう。そして、彼らは人の子に死を宣告し、異邦人たちに引き渡すだろう。34.そして、異邦人たちは彼をあざけり、彼に唾をはき、むち打ち、そして殺すだろう。そして三日後に彼は甦るだろう」。
35.ゼベダイの息子のヤコブとヨハネとが進み出てイエスに言った。「先生。わたしたちがあなたにお願いしようとする事を、叶えていただきたいのですが」。36.イエスは彼らに言われた。「わたしに何をして欲しいのか」。37.彼らはイエスに言った。「あなたが栄光のうちに座につかれる時、わたしたちを一人はあなたの右に、一人は左に座れるようにしてください」。38.イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているのか分かっていない。あなたがたは、わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。それとも、わたしが受けようとしているバプテスマを受けることができるか」。39.彼らはイエスに言った。「できます」。イエスは彼らに言われた。「(確かに)あなたがたは、わたしが飲もうとしている杯を飲み、わたしが受けようとしているバプテスマを受けることになるだろう。40.しかし、わたしの右、又は左に座ることは、わたしのすることではなく、用意が整えられた人々に与えられるものである」。
41.十人の者たちはこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで憤慨し始めた。42.イエスは弟子たちを呼び寄せ、彼らに言われた。「あなたがたも知っているとおり、民を治めていると思う人々は彼らに威張りちらし、偉い人たちは彼らの上に権力を振るっている。43.しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。むしろ、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、あなたがたに仕える者となり、44.あなたがたの間で、一番になりたいと思う者は、皆の僕となりなさい。45.だから人の子も、仕えられる為に来たのではなく、かえって仕える為、また多くの人々のための身代金として、自分のいのちをささげる為に来たのである」。

46.さて、一行はエリコへやって来た。イエスが弟子たちや大勢の群衆と、エリコを出て行こうとすると、ティマイの息子で、バルティマイという物乞いの盲人が、道端に座っていて、47.ナザレのイエスだと聞いて、叫び出して言った。「ダヴィデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。48.多くの人たちは、男に静かにするよう叱りつけた。しかし男はますます叫び続けた。「ダヴィデの子よ、わたしを憐れんでください」。49.イエスは立ち止まって言われた。「あの人を呼んできなさい」。人々はその盲人を呼んで言った。「元気を出しなさい。起きなさい。先生がおまえを呼んでおられます」。50.盲人は自分の衣服を脱ぎ捨て、跳び上がってイエスのもとに来た。51.イエスはその人に答えて言われた。「何をして欲しいのか」。すると、その盲人がイエスに言った。「先生、見えるようになることです」。52.イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。するとすぐに彼は見えるようになって、道すがらイエスについて行った。



●「自然の中で聴く聖書」マルコによる福音書 10章


★ ἕν σε ὑστερεῖ· ὕπαγε, ὅσα ἔχεις πώλησον καὶ δὸς [τοῖς] πτωχοῖς, (21)
  「あなたに足りない事が一つある。帰って、持ち物をみな売って、貧しい人々に施しなさい
 
イエスのもとにひざまずくほど、イエスを教師として尊敬していたこのユダヤの資産家 は、幼少のころからの厳格な律法主義者(おそらくパリサイ派に属していた)であった。律法を厳格に遵守することにより、「永遠の命」を受ける資格を得たいと真面目に考えて実行に励んできた。しかし、彼がそれでもなお、まだ何か不足感を抱いていたことは、17節の「永遠の命を得るためには、何を行えば良いのですか」という彼の質問によく現れている。イエスの答えは彼の律法遵守そのものをかならずしも否定されてはおられない。むしろ律法の内容全体を取り上げ、受容された後(19)、彼の律法に対する態度のどこが間違っているかを、おのずと気付かせられようとされたのである。
上記の21節のイエスの命令は、律法全体を行うことが永遠の命を得る前提ではないことを、象徴的に示している。この資産家は、自分では律法の全ての要求を満たしてきたと考えるが、実際のところ、自分の資産の一部でも人に分け与える程には律法を守ってこなかったのである。これは全ての罪人の姿を反映している。ちなみに「あなたの持っている資産をみな売りなさい。そして、貧しい人々に与えなさい」というマルコが使用している みなὅσα) という言葉は関係詞で、「持っているものは、何でも」というニュアンスで、意訳すると、「あなたの持っている資産は何でも売って、貧しい人々に与えなさい」となる。(ちなみに英語の欽定訳は、whatsoever thou hast と訳している)。ここでは、「資産の全部 (πάντα) 売り払い…そして与えなさい」というまでの厳しい意味より、多少控えめなニュアンスのようである。~ものは全部という場合、新約ギリシア語では通常はπάνταが使用され πάντα σα(パンタ ホサ) となるが、ここではσα(ホサ)という関係詞だけが使われている。πάντα σα の使用例では、マルコ11:24を参照)。それでもこのユダヤの資産家は、仮にその資産の一部であっても、それを売りたくなかったのである。この地上の財産に執着し、隣人に対して憐れみの心を閉ざす者が「神の国」に入るのがいかに難しいかをイエスは教えられたのである(23~25)。なお、20節の「先生。それらのことは皆、若い頃から保っています」の『保っています』の意味については、マタイ19章の解説を参照してください。
 
★「人々がイエスに触れていただくために、自分たちの幼子たちを彼のもとに連れて来たが、弟子たちは彼らを叱った」(13)

弟子たちが、彼らを叱った理由は、ここの記述だけでははっきりしないが、この伝承の背景には、当時の民衆が背負っていた病気や栄養失調などによる弊害や障害が、親だけでなく子供たちをも苦しめていた現実があるものと推測できる。病気や栄養失調で苦しむ子供たちに思いを寄せる親たちの切実な願いを読み取ることができる。弟子たちは、このような弱い幼子たちがイエスのもとに来るのを排除しようとしたのである。

 
★ 43. ὃς ἂν θέλῃ μέγας γενέσθαι ἐν ὑμῖν ἔσται ὑμῶν διάκονος, 44 καὶ ὃς ἂν θέλῃ ἐν ὑμῖν εἶναι πρῶτος ἔσται πάντων δοῦλος·
43.あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、あなた方に仕える者となり44.あなた方の間で、一番になりたいと思う者は、皆の僕となりなさい


ヤコブとヨハネは、イエスが栄光の座につかれる時、自分たちの身分がどうなるのかを心配していた。そこで、王座の左右に座れるように願い出たのである。上記の一文は、そのような背景でイエスが言われたものである。イエスの命令は、二人の思いとは全く正反対である。
μέγας  は「大きな、偉大な(人)」、 διάκονος  は「召使い」を意味する名詞で、地位、身分の差を、
πρῶτος  は「一番、最初の(人)」、δοῦλος· は「奴隷・僕(しもべ)」を意味する名詞で、前出の名詞より更に一層強い社会の対極にある地位、身分の差を表す。