2013年1月24日木曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」23章の翻訳(私訳)


マタイによる福音書 

23章


1.それからイエスは群衆と弟子たちに語って、2.言われた。「律法学者たちとファリサイ派の人々は、モーセの座に着いた。3.だから彼らがあなたがたに言う事は、どんなことでも行い守りなさい。しかし、彼らの行いに見倣ってはならない。彼らは言うだけで実行しないから。4.彼らは[負いきれない]重い荷物を束ねて人々の肩に乗せるが、それらを取り除くために自分たちの指一本も貸そうとはしない。5.彼らは自分たちの業をすべて人々に見てもらうために行い、聖句の入った札入れを広くし、衣のふさ飾りを大きくする。6.また、宴会では最上座を好み、諸会堂では最上席を好む。7.また広場では挨拶されること、また人々から先生と呼ばれることを好む。
8.しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は一人なのだから。あなたがたは皆兄弟なのだ。9.この地上で、あなたがたは父と呼ばれてはならない。あなたがたの天の父はお一人なのだから。10.あなたがたは教師と呼ばれてはならない。なぜなら、あなたがたの教師はキリスト一人なのだから。11.あなたがたの中の偉い者は、仕える者でありなさい。12.自分を高くする者は誰でも低くされ、自分を低くする者は誰でも高くされるだろう。
13.偽善な律法学者とファリサイ派の人たちよ。あなたがたはわざわいだ。あなたがたは人々の前から、天の国を閉ざしているからだ。あなたがたがそこに入らないばかりか、入ろうとする人々を入り行かせないからだ。15.偽善な律法学者とファリサイ派の人たちよ。あなたがたはわざわいだ。あなたがたは一人の改宗者を作ろうと海と陸とを巡り歩くが、それがかなうと、彼を自分たちより二倍も悪いゲヘナの子にしてしまうからだ。16.盲目な案内人たちよ、あなたがたはわざわいだ。あなたがたは『神殿をさして誓うならそれは何でもないが、神殿の黄金をさして誓うなら、その人には果たす責任がある』と言う。17.愚かで盲目な人たちよ、黄金と黄金を聖とする神殿と、どちらが優れているか。18.また、『祭壇をさして誓うなら何でもないが、祭壇の上の供え物をさして誓うなら、その人には果たす責任がある』と言う。19.盲目な人たちよ、供え物と供え物を聖とする祭壇と、どちらが優れているか。20.だから、祭壇をさして誓う者は、祭壇とその上の全てのものをさして誓うのである。21.また、神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方をさして誓うのだ。22.また天をさして誓う者は、神の王座とその上に座しておられる方をさして誓うのである。
23.偽善な律法学者、ファリサイ派の人たちよ、あなたがたはわざわいだ。はっか、いのんど、クミンなどの実の十分の一を納めておきながら、律法の重要な公正と憐れみと信仰とを置き去りにしたからだ。それらも納めねばならないが、これらもおろそかにしてはならない。24.盲目な案内人たちよ、あなたがたは、ぶよはこして除くが、らくだは飲みこんでいる。
25.偽善な律法学者、ファリサイ派の人たちよ、あなたがたはわざわいだ。あなたがたは杯と皿の外側は清めるが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。26.盲目なファリサイ派の人たちよ、先ず杯の内側を清めなさい。そうすればその外側も清くなる。
27.偽善な律法学者、ファリサイ派の人たちよ、あなたがたはわざわいだ。あなたがたは白く塗られた墓に似ているからだ。外側はだれでも美しく見えるが、内側は死人たちの骨やあらゆる汚れたものでいっぱいである。28.このようにあなたがたも、外側は人々に正しいと見られても、内側は偽善と不法とで満ちている。
29.偽善な律法学者、ファリサイ派の人たちよ、あなたがたはわざわいだ。あなたがたは預言者たちの墓を建てたり、義人たちの碑を飾ったりして、30.「われわれの先祖たちの時代に自分たちが生きていたなら、われわれは預言者たちの血を流した仲間には加わらなかっただろう」と言うからだ。31.こうして、あなたがたは預言者たちを殺した者たちの子孫であることを、自ら証明しているのだ。32.あなたがたも、自分の先祖たちの(悪の)ます目を満たすがいい。33.蛇よ、まむしの子孫よ、ゲヘナの裁きからどうして逃れることができようか。
34.だから見よ、わたしはあなたがたに預言者たち、知者たち、学者たちを遣わすが、あなたがたは彼らのある者を十字架にかけて殺し、またある者を自分たちの会堂で鞭打ち、町から町へと巡って迫害するだろう。35.このように、義人アベルの血から、あなたがたが神殿と祭壇の間で殺したバラキアの子ザカリアの血に至るまで、地上に流されている全ての義人の血が、あなたがたの上に臨む。36.あなたがたによく言っておく。これらの事は全て今の時代に起こるだろう。
37.エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえに遣わされた者たちを石で打つ者よ。ちょうど雌鶏が翼の下にそのひなたちを集めるように、わたしはおまえの子らを何度集めようとしたことか。それなのに、おまえたちは応じようとしなかった。38.見よ、おまえたちの家は見捨てられ、荒れ果てる。39.だから、わたしはおまえたちに言う。今からのち、
『主の御名によって来られる方に祝福があるように』
と、おまえたちが言う時まで、おまえたちは決してわたしを見ることはない。


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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書  23章





2013年1月11日金曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」22章の翻訳(私訳)


マタイによる福音書 

22章


1.またイエスは答えて、再び譬えで彼らに話された。2.「天の国は、王が自分の息子のために婚宴を催すのに似ている。3.王は招待した人たちを婚宴に招こうと自分の僕たちを遣わしたが、だれも来ようとはしなかった。4.そこでまた、ほかの僕たちを遣わして言った。招待した人たちに言いなさい。『ご覧ください。食事の用意が整いました。わたしの雄牛も肥えた家畜もほふられ、全てが整いました。どうぞ婚宴においでください』と。5.しかし、人々はそれを無視し、一人は自分の畑に、一人は自分の商売に行ってしまった。6.そして最後には僕たちを捕まえて暴行を加え、殺してしまった。7.そこで王は怒り、自分の軍団を送り、それらの人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。8.そのとき、王は自分の僕たちに言った。『婚宴は整っているのに、招かれた人たちがふさわしくなかったのだ。9.だから町の出口に行って、見かけた人は誰でも婚宴に招きなさい』。10.そこでそれらの僕たちは道また道に出かけて行き、見かけた人は悪い人々であっても良い人々であっても全て集めたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。11.王は席についている人たちを見るために入って来たが、そこに礼服を着ていない一人の人を見て、12.その人に、『友よ、どうしてあなたは礼服を着ないで、ここに入って来たのですか』と言ったが、その人は黙っていた。13.そのとき王は仕える者たちに言った。『彼の手足を縛り、外の暗闇に放り出せ。そこで彼は泣き叫んだり歯ぎしりをしたりするだろう』。14.招かれた人々は多いが、選ばれた人々は少ない」。
15.その時、ファリサイ派の人々は去って行き、どのようにしてイエスを言葉で罠にかけようかと相談した。16.そして、彼らの弟子たちをヘロデ党の者たちと一緒にイエスのところに遣わして言わせた。「先生、わたしたちはあなたが真実な方で、真理にもとづいて神の道を教え、誰をも気がねなさらないことを知っています。あなたは人の外見を見られないからです。17.ところで、あなたはどう思われるか、わたしたちに言ってください。皇帝に税を納めるのはよいことでしょうか、それともよくないことでしょうか」。18.しかし、イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち、なぜわたしを試みるのか。19.税に納める貨幣を見せなさい」。彼らがデナリオン銀貨一枚をイエスにさし出すと、20.イエスは彼らに言われた。「これは、だれの肖像で、だれの銘刻か」。21.彼らはイエスに「皇帝のものです」と言うと、イエスは彼らに言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。22.すると彼らは(その言葉を)聞いて驚き、イエスを残して立ち去った。
23.その日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのもとに来て質問して、24.言った。「先生、モーセは、『もしある男の人が、子供がなくて死んだなら、彼の兄弟がその人の妻をめとって、その兄弟のために子孫を起こさなければならない』と言いました。25.さて、わたしたちの所に七人の兄弟がおりましたが、長男は結婚しましたが子がなくて死に、妻を自分の兄弟に残しました。26.次男も、三男も同様で、七人までが同じようにしました。27.そして、最後にはこの妻も死にました。28.では、復活の時、この妻は七人のうち誰の妻になるのでしょうか。全員が彼女を妻にしたのですが」。29.イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは聖書も神の力も知らないから思い違いをしている。30.復活の時、彼らはめとったり嫁いだりはしない。彼らはただ天にいる御使いたちのようなものである。31.死んだ人々の復活については、神によってあなたがたに語られた言葉を読んだことがないのか。こう言われている。32.『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。死んだ者たちの神ではなく、生きている者たちの神である』。33.群衆はそれを聞いて、イエスの教えに驚いていた。
34.ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込めたと聞いて一緒に集まった。35.彼らの中の一人[で律法に通じている者]が、イエスを試そうとして質問した。36.「先生、律法の中で、どの戒めがいちばん重要なのですか」。37.イエスは彼に言われた。「『あなたは、心の限りに、精神の限りに、思いの限りにあなたの神であられる主を愛しなさい』。38.これが最も重要な第一の戒めである。39.第二はこれと同様である。『あなたの隣人を、自分自身のように愛しなさい』。40.これら二つの戒めに、律法全体と預言者たちがかかっている」。
41.ファリサイ派の人々が集まっている時、イエスは彼らにお尋ねになって、42.言われた。「あなたがたはキリストについてどう思うか。誰の子か」。彼らはイエスに言った。「ダヴィデの子です」。43.イエスは彼らに言われた。「ではどうして、ダヴィデは聖霊によって彼を主と呼んだのか。ダヴィデはこう言った。
44.『主はわたしの主に言われた。
あなたはわたしの右に座していなさい。
あなたの敵どもを、あなたの足の下に置くまでは。』
45.もしダヴィデが彼を主と呼んだのなら、どうしてキリストは、ダヴィデの子なのだろうか」。46.しかし、イエスに答えられる者は誰もいなかった。この日以来、敢えてイエスに尋ねようとする者はもはやいなかった。

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書  22章




2013年1月4日金曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」21章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 

21章


1.一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山に通じるベトファゲにやって来た時、イエスは二人の弟子を遣わして、2.彼らに言われた。「向こうの村へ入っていきなさい。するとすぐに、つながれている一頭のロバと、また、一緒にいるロバの子が見つかるので、それらを解いてわたしのところに連れて来なさい。3.もし誰かがあなたがたに『どうしてそんなことをするのか』と言うなら、『彼らの主が必要としておられますから』と言いなさい。そうすればすぐ、行かせてくれるだろう」。4.このことが起こったのは、預言者を通して言われたことが実現するためである。こう言われている。
5.『シオンの娘に言え。
見よ、あなたの王があなたのところに来られる。
柔和な方で、ロバと
荷を運ぶロバの子、子ロバに乗って。』
6.弟子たちは(村へ)入って行き、イエスが彼らに指示されたとおりにおこなった。7.彼らはロバとロバの子を引いて来て、その上に外套を敷いた。そしてイエスはその上に腰を下ろされた。8.大勢の群衆も自分たちの外套を道に敷き、また、他の人々は木々の枝を切って道に敷いた。9.イエスの先を行く群衆も、後を行く群衆も叫んで言った。
『ダヴィデの子にホサナ。
主の名によって来られる方に、祝福あれ。
いと高きところにホサナ。』
10.イエスがエルサレムに入られると、「この方は一体どなただろう」と言って、町全体が騒ぎ立ち、11.群衆は「この方は預言者で、ガリラヤのナザレ出身のイエスである」と言っていた。
12.イエスは神殿の庭に入って行かれ、神殿の庭で売り買いする人たちをみな追い出された。また、両替人たちの机や、鳩を売る者たちの椅子をひっくり返された。13.そして、彼らに言われた。
「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるであろう』
と書かれている。しかし、あなたがたはそれを強盗どもの巣窟にしている」。
14.それから神殿の庭で、目の見えない人たちや、足の不自由な人たちがイエスのみもとに来たので、彼らをお癒しになった。15.しかし、祭司長たちや律法学者たちは、イエスによって行われたその驚くべき業を見、また神殿の庭で子供たちが「ダヴィデの子にホサナ」と言って叫んでいるのを見て怒り、16.イエスに言った。「子供たちが何を言っているか聞いているのか」。しかし、イエスは彼らに言われた。「聞いている。あなたがたは、
『あなたは、幼子たちや乳飲み子たちの口に、賛美を備えられた』
という言葉をまだ読んだことがないのか」。17.イエスは彼らを残して町を出てベタニアへ行かれ、そこで夜を過ごされた。
18.朝早く町へ戻られる途中で、イエスは空腹になられた。19.そして、道端に一本のいちじくの木があるのを見てそれに近寄られたが、葉のほかには何もみつからなかった。そこでその木に言われた。「これから後いつまでも、お前には実がならないように」。すると、そのいちじくの木は即座に枯れてしまった。
20.弟子たちはこれを見て、驚いて「どうして、このいちじくの木は即座に枯れてしまったのですか」と言った。21.イエスは答えて彼らに言われた。「よくあなたがたに言っておく。もし、信じて疑わないなら、このいちじくの木だけでなく、この山に向かって『動いて海に飛び込め』と言うなら、そのようになるだろう。22.あなたがたが祈る時、信じて求めるなら、何でも得られるだろう」。
23.イエスが神殿の庭に行って教えておられると、祭司長たちや民の長老たちがイエスのもとに来て、「何の権威によってこれらのことをするのか。また誰がこのような権威をあなたに与えたのか」と言った。24.イエスは答えて彼らに言われた。「わたしも一言あなたがたに尋ねよう。それに答えてくれたら、わたしも何の権威によってこれらのことをするのかを言おう。25.ヨハネのバプテスマはどこからのものであったか。天からのものか、それとも人々からのものか」。彼らは互いに論じ合って言った。もし「天からのものだ」と言えば、イエスは「ではなぜ、彼を信じなかったのか」と言うだろう。26.もし「人々からのものだ」と言えば群衆が恐ろしい。すべての人々が、ヨハネを預言者として受け入れていたからである。27.そこで彼らはイエスに答えて「わたしたちにはわかりません」と言った。イエスも彼らに「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたには言わないでおこう」と言われた。
28.「ところで、あなたがたはどう思うか。ある人に二人の息子がいたが、兄のところに行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働いてくれ』と言った。29.しかし、兄は答えて、『いやです』と言ったが、あとから心を入れ替えて出かけた。30.また、弟のところに行って同じように言った。しかし弟は答えて、『はい、お父さん行きます』と言ったが、行かなかった。31.二人の内、どちらが父の望み通りにしたか」。彼らは「兄のほうです」と言った。イエスは彼らに言われた。「よくあなたがたに言うが、徴税人たちや娼婦たちは、あなたがたより先に神の国に入る。32.なぜなら、ヨハネが義の道を携えてあなたがたのところに来たのに、あなたがたは彼を信じなかったが、徴税人たち娼婦たちは彼を信じたからだ。あなたがたは見たのに、後で心を入れ替えて彼を信じようとはしなかった。
33.他の譬えを聞きなさい。ある家の主人がいた。その人はぶどう園を造り、周りに柵を設け、その中に酒ぶねを掘り、見張りやぐらを建てて、それを農夫たちに貸して旅に出た。34.収穫の時期が近づいたので、自分の収穫分を受け取ろうと僕たちを農夫たちのところに遣わした。35.しかし、農夫たちは主人の僕たちを捕まえ、ある者を打ちたたき、ある者を殺し、ある者を石で撃ち殺した。36.また前より多くの他の僕たちを遣わしたが、彼らをも同じようにした。37.しかし最後に、自分の息子を彼らのところに遣わして言った。『わたしの息子は敬ってもらえるだろう』。38.しかし、農夫たちは息子を見て互いに言った。『これはあととりだ。さあ、彼を殺してその相続財産を手に入れよう』。39.そして息子を捕まえ、ぶどう園の外に追い出して殺した。40.さて、ぶどう園の主人が帰って来たとき、彼はこれらの農夫たちをどうするだろうか」。41.彼らはイエスに言った。「悪い者どもを容赦なく滅ぼし、そのぶどう園を、季節ごとに収穫物を主人に納めるほかの農夫たちに貸し与えるでしょう」。
42.イエスは彼らに言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家造りたちが拒んで捨てた石、
これが隅の頭石とされた。
これは主によってなされた事で、
わたしたちの目には不思議なことである。』
43.だからわたしはあなたがたに言う。神の国はあなたがたから取り上げられて、御国の実を結ぶ異邦の民に与えられるだろう」。[44.この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、だれかの上に(この石が)落ちるなら、その人を打ち砕くだろう]。

45.祭司長たちとファリサイ派の人たちはイエスの譬え話を聞き、自分たちのことを言われたのだと分かって、46.イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。なぜなら群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。


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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 21章


★『そこで夜を過ごされた』(17)は、「野宿された」「露天で夜を過ごされた」がこの動詞本来の意味であるが、単に「(家の中で)夜を過ごされた」と見ることもできる。
οὗτος ἐγενήθη εἰς κεφαλὴν γωνίας· (42)
『これが隅の頭石とされた』
ἐγενήθη (エゲネーテェー) は不定過去形の受動態をとっていて、「された」 と訳すのが正しい。これはその後に続く 「これは主によってなされたことで」 と一致する。

ἀρθήσεται ἀφʼ ὑμῶν ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ καὶ δοθήσεται ἔθνει ποιοῦντι τοὺς καρποὺς αὐτῆς(43)
「神の国はあなた方から取り上げられて、御国の実を結ぶ異邦の民に与えられるだろう」

αὐτῆς は女性代名詞属格で、明らかに ἡ βασιλεία (王国) のことを意味する。故に ποιοῦντι τοὺς καρποὺς αὐτῆς は「御国の実(複数)を結ぶ」 という意味になる。