2010年4月11日日曜日

新約聖書原典「ヨハネによる福音書」7章の翻訳(私訳)

ヨハネによる福音書 

7章


1.その後、イエスはガリラヤを巡り歩かれたが、ユダヤを巡り歩こうとはされなかった。何故なら、ユダヤ人たちが彼を殺そうと狙っていたからである。
2.ところで、ユダヤ人の仮庵の祭りが近づいていた。3.そこでイエスの兄弟たちが彼に対して言った。「あなたの行っている業をあなたの弟子たちにも見てもらうため、ここを去ってユダヤに行きなさい。4.自分を公にするのを望みながら、隠れて行動する人は誰もいない。こういうことを行っているからには、あなた自身を世にはっきりと示しなさい」。5.(そう言ったのは)イエスの兄弟たちは誰も、彼を信じていなかったからである。6.そこで、イエスは兄弟たちに言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。7.世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。何故なら、わたしは世について、彼らの行いが悪いと証ししているからである。8.あなたがたこそ祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りには上って行かない。わたしの時はまだ満ちていないからである」。9.イエスはこのように言って、ご自身はガリラヤにとどまっておられた。
10.しかし、イエスの兄弟たちが祭りのために上って行ったので、その時、イエスご自身も公然とではなく、ひそかに上って行かれた。11.そこで、ユダヤ人たちは祭りの最中、イエスを探しながら言った。「あの男はどこにいるのか」。12.また、人々の間には、イエスについてのささやきが多くあった。「彼は良い人だ」と言う者たちもいれば、「いや、そうではない。むしろ人々を惑わしているのだ」と言う者たちもいた。13.しかしながら、人々はユダヤ人たちを恐れていたので、だれ一人、イエスのことを公然と語る者はいなかった。
14.さて、祭りもすでに半ばとなり、イエスは神殿の庭に上って教えておられた。15.すると、ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は、学んでもいないのに、どうやって聖書を知ったのだろう」。16.そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えはわたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものである。17.その方のみこころを喜んで行おうとする者なら、この教えが神からのものか、それともわたし自身から語っているものか、わかるだろう。18.自分から語る者は自分の栄光を求めるが、彼を遣わされた方の栄光を求める者は真実であって、彼の中には不義がない。
19.あなたがたに律法を与えたのはモーセではなかったか。それなのに、あなたがたの中の誰も律法を行わない。なぜ、あなたがたはわたしを殺そうとねらうのか」。20.群衆が答えた。「おまえは悪霊にとりつかれている。誰がおまえを殺そうとねらうものか」。21.イエスは答えて彼らに言われた。「わたしが行った業ひとつにも、あなたがたはみな驚いている。22.だから、モーセはあなたがたに割礼を許したのだ。―とは言っても、これはモーセから出たものではなく、父祖達から出たものであるがー それで、あなたがたは安息日に人に割礼を施している。23.人が安息日に割礼を受けても、それがモーセの律法を破ることにはならないのに、わたしが安息日に人の全身を健康にしたことで、なぜあなたがたはわたしに対して怒るのか。24.うわべで裁かないで、正しい裁きを行いなさい」。
25.すると、エルサレムの住民のある者たちが言った。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。26.見よ、彼は公然と語っているのに、彼らは彼に対して何も言わない。もしかして役人たちは、この人がキリストであることを本当に認めたのではないだろうか。27.しかし我々はこの人がどこから来たかを知っている。しかしキリストが来られる時は、どこから来られるのか誰にもわからない」。28.すると神殿の庭で教えておられたイエスが叫んで言われた。「あなたがたはわたしを知っており、わたしがどこから来たかも知っている。わたしは自分から来たのではない。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実である。あなたがたはその方を知らない。29.わたしはその方を知っている。なぜなら、わたしはその方のそばにいて、その方がわたしを遣わされたのだから」。30.そこで彼らはイエスを捕らえようとしたが、彼に手をかける者はだれもいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。
31.群衆の中の多くの者たちがイエスを信じて言った。「キリストが来られるとき、この人が行ったことより多くのしるしをなさるだろうか」。32.ファリサイ派の人たちは、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを聞いた。そこで、祭司長たちやファリサイ派の人たちはイエスを捕らえようと、下役たちを遣わした。33.そこで、イエスは言われた。「もうしばらくの間、わたしはあなたがたと共にいる。それから、わたしをお遣わしになった方のもとへ去って行く。34.あなたがたはわたしを探すが、[わたしを]見つけられない。また、わたしのいるところに、あなたがたは来ることができない」。35.すると、ユダヤ人たちは互いに言った。「我々が彼を見つけられないとは、この人は一体どこへ行こうとしているのか。ギリシア人たちの間に離散している人々のところへでも行って、ギリシア人たちを教えようとしているのだろうか。36.『あなたがたはわたしを探すだろうが、[わたしを]見つけられない。わたしのいるところに、あなたがたは来ることができない』と、この人が言った言葉はどういう意味だろうか」。
37.さて、祭りの終わりの大事な日に、イエスは立ち上がって叫んで言われた。「誰でも渇いている人は、わたしのもとに来て飲みなさい。38.わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹から生ける水が川となって流れるだろう」。39.しかし、これはイエスが、ご自分を信じる者たちが受けようとしている御霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ(彼らに)くだっていなかったからである。
40.するとこれらの言葉を聞いた人々の中には、「この人はまことに預言者だ」と言う者や、41.「この人はキリストだ」と言う者たちもいたが、ある者たちは、「キリストはガリラヤから現れないのではないか、42.キリストはダヴィデの子孫から、ダヴィデのいたベツレヘムの村から現れると聖書は言っているではないか」と言っていた。43.そこで、群衆の間に、キリストのことで分裂が起きた。44.さらに、彼らの中にはイエスを捕らえようとする者たちがいたが、彼の上に手をくだす者はだれもいなかった。

45.さて、下役たちが、祭司長たちやファリサイ派の人たちのもとへ戻ってきたとき、彼らは下役たちに言った。「どうしてあの男を連れてこなかったのか」。46.下役たちは答えた。「あの人のように語った人は今までにいません」。47.するとファリサイ派の人たちが彼らに答えた。「お前たちもだまされたのか。48.役人たちやファリサイ派の人たちの中に、あの男を信じたものがいるだろうか。49.しかし、律法を知らないこの群衆は呪われている」。50.彼らの中の一人で、以前イエスのもとに行ったことのあるニコデモが彼らに言った。51.「我々の律法によると、まずその人から話を聞いて、どうするかを確かめた上でなければ、人を裁いてはならないのではないか」。52.彼らは答えてニコデモに言った。「あなたもガリラヤ出身ではないか。調べてみよ、ガリラヤから預言者は起こらないことが分かるから」。53.【こうして彼らはそれぞれ自分の家に帰って行った。

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●「自然の中で聴く聖書」ヨハネによる福音書 7章


★38節の「腹」は、比喩的な「心」、または比喩的な「魂」をさすものと思われる(新約聖書ギリシア語小辞典より)

★7章53節から8章11節の比較的長い本文中の【 】で示された部分は、元来の本文の一部ではないことの可能性を示しており、それは伝承のごく初期の段階に由来している可能性が高い。(ネストレ=アーラント ギリシア語新約聖書28版序文参照)