2012年12月14日金曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」20章の翻訳(私訳)


マタイによる福音書 

20章


1.天の国は、自分のぶどう園に労働者たちを雇う為、朝早く出掛けた家の主人に似ている。2.さて、主人は労働者たちと一日一デナリオンの約束をして、彼らを自分のぶどう園へ遣わした。3.また、九時頃に出掛けると、広場で何もしないで立っている他の人たちを見て、4.その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園へ行きなさい。公正な賃金を払うから』。5.そこで彼らは(ぶどう園へ)行った。また主人は十二時頃と三時頃にも出掛けて行き、同じようにした。6.また五時頃に出掛けると、他の人たちが立っているのを見て、彼らに『なぜ何もしないで一日中ここに立っているのか』と言った。7.彼らは主人に『だれもわたしたちを雇ってくれないのです』と言うと、主人は彼らに言った。『あなたがたもぶどう園へ行きなさい』。8.夕方となったので、ぶどう園の主人が自分の家令に言った。『労働者たちを呼んで、後の者たちから始めて、初めの者たちにいたるまで、彼らに賃金を払ってやりなさい』。9.そこで、五時頃に来た人たちから、各一デナリオンを受け取った。10.そこで最初に来た者たちは、自分たちはもっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らも各一デナリオンを受け取った。11.受け取った者たちは、家の主人に対し不平を漏らして、12.言った。『この最後の者たちは一時間しか働きませんでした。なのに、あなたは暑い中を一日中、重い荷を運んだわたしたちを彼らと同じ扱いになさいました』。13.しかし、主人は彼らの一人に答えて言った。『友よ、わたしはあなたに不正なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。14.自分の賃金をもらって行きなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15.[それとも]わたしの物をわたしの思いどおりにすることがいけないのか。それとも、わたしが気前がよいので、ねたましく思うのか』。16.このように、あとの者たちは先になり、先の者たちはあとになるのである」。
17.イエスはエルサレムへ上るとき、十二人[の弟子たち]をひそかに連れて行かれたが、その道中、彼らに言われた。18.「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長たちや、律法学者たちに引き渡され、彼らは彼に死を宣告し、19.彼をあざけり、鞭打ち、十字架にかけるために異邦人に引き渡すだろう。そして、彼は三日目に復活させられるだろう」。
20.その時、ゼベダイの息子たちの母親が、息子たちと一緒にイエスに近づいて来てひれ伏し、何かをイエスに願おうとした。21.そこでイエスは彼女に言われた。「何か願いがあるのか」。彼女はイエスに言った。「私のこれらの二人の息子たちが、あなたの国で、一人はあなたの右に、一人はあなたの左に座ることになるだろうと言ってください」。22.しかしイエスは答えて言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているかわかっていない。あなたがたは、わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と言った。23.イエスは彼らに言われた。「確かにあなたがたは、わたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右、また左に座ることは、わたしが授けることではなく、わたしの父によって用意が整えられた人々に与えられるものである」。
24.十人の者はこれを聞き、二人の兄弟のことで憤慨した。25.そこでイエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたが知っているように、異邦人たちの支配者は、民の上に権力をふるい、偉い者たちは民に対して権力をほしいままにしている。26.あなたがたの間では、そのようであってはならない。むしろ、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、あなたがたに仕える者に、27.あなたがたの間で一番になりたい者は、あなたがたの僕となりなさい。28.人の子が仕えられるために来たのではなく、かえって仕えるために、そして、多くの人々のための身代金として、自分の命を与えるために来たのと同じように」。
29.一行がエリコから出て行くとき、多くの群衆がイエスに従った。30.すると見よ、道端に座っていた二人の盲人が、イエスの通られることを聞いて、叫んで言った。「[主よ、]ダヴィデの子よ、わたしたちを憐れんでください」。31.しかし、群衆は彼らを黙らせようと叱ったが、二人はますます叫んで言った。「主よ、ダヴィデの子よ、わたしたちを憐れんでください」。32.イエスは立ち止り、彼らに呼びかけて言われた。「何をしてほしいのか」。33.彼らはイエスに言った。「主よ、わたしたちの目を開けていただくことです」。34.そこでイエスは深い同情を寄せられ、彼らの目に触れられた。すると、彼らはすぐに見えるようになって、イエスに従った。


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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書  20章





2012年12月6日木曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」19章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 

19章


1.イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダンの反対側のユダヤの地方へ行かれた。2.大勢の群衆もイエスに従った。イエスはその所で彼らを癒された。
3.すると、ファリサイ派の人々がイエスを試みようとして近づき、「人は何かの理由があれば、自分の妻を離縁することは許されるのでしょうか」と言った。4.イエスは答えて言われた。「『創造主は、初めから彼らを男と女とに造られた』ということを読んだことがないのか」。5.そして言われた。「『この故に、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人の者は一つの体となるであろう』。6.彼らはもはや二人ではなく、一つの体なのである。だから、神が結び合わされたものを、人がこれを引き離してはならない」。7.彼らはイエスに言った。「では、どうしてモーセは、離縁状を渡して[妻を]離縁するように命じたのですか」。8.イエスは彼らに言われた。「モーセはあなたがたの心が強情なので、妻を離縁することを許したが、初めからそうではなかった。9.しかし、わたしはあなたがたに言う。姦淫でもないのに自分の妻を離縁し、他の女と結婚する者は、姦淫の罪を犯すのである」。
10.弟子たちがイエスに言った。「男と女の関係がこのようなものなら、結婚しない方が得です」。11.しかし、イエスは彼らに言われた。「全ての者たちが[この]言葉を受け入れることができるのではなく、ただ(受け入れる能力を)与えられた者たちだけである。12.というのは、母の胎から生まれながらにして独身者となる者たちがいる。また人々によって独身者とされた者たちもいる。また天の国の為に自分から独身者となった者たちもいるからである。受け入れることのできる人は、受け入れなさい」。
13.その時、手を置いて祈っていただく為に、人々が幼い子供たちをイエスのところに連れて来た。しかし、弟子たちは彼らを叱った。14.しかしイエスは言われた。「幼子たちをそのままにしてあげなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものなのだから」。15.そして、彼らに手を置いてから、そこから立ち去られた。
16.すると見よ、ひとりの人がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るために、どんな善いことを行えばいいのでしょうか」。17.イエスは彼に言われた。「善いことについて、なぜわたしに尋ねるのか。善い方は一人だけである。しかし、もしあなたが命に入りたいと願うなら、戒めを守りなさい」。18.彼はイエスに言った。「どの戒めですか」。そこでイエスは言われた。「これである。『あなたは殺してはならない。あなたは姦淫してはならない。あなたは盗んではならない。あなたは偽証してはならない。19.父と母を敬え。また、自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』」。20.青年はイエスに言った。「わたしはこれら全てを保ってきました。ほかに何が足りないでしょうか」。21.イエスは彼に言われた。「あなたが完全でありたいのなら、行ってあなたの財産を売って、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになる。それから来て、わたしに従いなさい」。22.しかし、青年はこの言葉を聞いて、悲しみながら立ち去った。沢山の財産を持っていたからである。
23.そこで、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたによく言っておく。金持ちが天の国に入るのはむずかしい。24.さらに言うが、金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通り抜ける方がずっと易しい」。25.しかし、弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「では、誰が救われることができるのだろうか」と言った。26.イエスは彼らを見つめて言われた。「これは人間にはできないが、神には全てがおできになる」。

27.そのときペトロが答えてイエスに言った。「御覧ください、わたしたちは一切を捨ててあなたに従いました。では、何がいただけるのでしょうか」。28.イエスは彼らに言われた。「あなたがたによく言っておく。あなたがたはわたしに従ったので、新しい世界の更新において、人の子がその栄光の王座に座る時、あなたがたもイスラエルの十二の部族を裁く十二の座に座ることになる。29.また、だれでも、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者はその百倍を受け、永遠の命を受け継ぐだろう。30.しかし、多くの先の者たちはあとになり、あとの者たちは先になるだろう」。

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書  19章


★ εἰ δὲ θέλεις εἰς τὴν ζωὴν εἰσελθεῖν, τήρησον τὰς ἐντολάς. (17)
「もし、あなたが命に入りたいと望むなら、戒めを守りなさい」


イエスがこの青年に言われた戒め(τὰς ἐντολάς・タス  エントラース)複数である。ἐντολάς はモーセの律法の個々の条文、この場合は特に十戒を意味していることは、その後のイエスの言葉、五条から十条を示して語られたことからわかる。
さらに、イエスの言われた「守りなさい」(τήρησονテーレーソン) は、救いの『結果』としての順守を意味するのに対して、20節でこの青年が答えた「わたしはこれらすべてを守って(保って)きました」の『守ってきました』は、救いの『手段』としての順守を意味するφυλάσσω(フュラッソー)が使われている。これは「番をする」「見張る」という意味で、囚人を監視する語(番人、看守)から作られた動詞。ゆえに「義務として守る」「義務として保つ」という意味合いが強い。ゆえに、イエスが言われた「守りなさい」と青年が答えた「守ってきました」には意味内容に違いがあった。




2012年11月20日火曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」18章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 

18章

  
1.その時、弟子たちがイエスのもとに来て、「天の国では誰が一番偉いのですか」と言った。2.イエスは、幼子を呼び寄せて彼らの真ん中に立たせて、3.言われた。「よくあなたがたに言っておくが、心を入れかえて幼子たちのようにならなければ、決して天の国へ入ることはできない。4.だから、この幼子のように自分を低くする者が、天の国で一番偉いのである。5.また、わたしの名の故に、このような幼子の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
6.しかし、わたしを信じるこれらの小さい者たちの一人を躓かせる者は、ロバのひき臼を首にかけられ、海の深みに沈められる方が、その人にとって得である。7.悲しいかな、世には躓きがあるものだ。だから、躓きが起こるのは避けられない。しかし、躓きをもたらす者はわざわいだ。8.もし、あなたの一方の手か足があなたを躓かせるなら、それを切り取って捨てなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足を失ったまま命に入る方があなたにとって良いことである。9.またもし、あなたの一方の目があなたを躓かせるなら、それを抜き出して捨てなさい。両方の目がそろったまま火のゲヘナへ投げ込まれるよりは、片目のまま命へ入る方があなたにとって良いことである。
 10.これらの小さい者たちの一人をも軽んじないように気をつけなさい。あなたがたに言うが、天において、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父のみ顔をいつも仰ぎ見ているからである。
12.あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があるとして、その内の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残し、行ってその迷い出た羊を探さないだろうか。13.そしてそれを見つけたなら、よくあなたがたに言っておくが、迷い出なかった九十九匹の羊たちのこと以上に、その一匹のことで喜ぶのである。14.このように、これらの小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父の御前に、それは御心ではないのである。
15.しかしもし、あなたの兄弟が[あなたに対して]罪を犯すなら、行って、あなたと彼だけの間で、彼に忠告しなさい。もしあなたの言う事を聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。16.しかしもし、聞いてくれなかったら、他に一人か二人をあなたと一緒に連れて行きなさい。『すべての事がらは、二人または三人の証人の証言によって確定される』ためである。17.しかしもし、彼らの言う事を聞いても従わなければ、教会に申し出なさい。教会の言う事を聞いても従わなければ、その人を異邦人か徴税人同様に見なしなさい。18.あなたがたによく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは全て天でもつながれ、地上で解くことは全て天でも解かれる。
19.もう一度あなたがたに[よく]言っておく。あなたがたの内、もし二人の者がどんなことでも地上で一致して願うなら、天におられるわたしの父がそれらをかなえてくださる。20.二人または三人がわたしの名のために集まる所に、わたしもその人たちの中にいるからである」。
21.その時、ペトロがイエスに近寄って言った。「主よ、わたしの兄弟がわたしに罪を犯した場合、何回、彼を赦せば良いでしょうか。七回までですか」。22.イエスは彼に言われた。「わたしは七回までとは言わない。むしろ七を七十倍するまで赦しなさい。

23.だから天の国は、自分の僕たちと清算しようとした人間の王に似ている。24.王が清算を始めたとき、一万タラントン《一タラントンは六千デナリオンで、労働者六千日分の労賃に相当。一万タラントンはその一万倍》の負債がある一人の僕が王のところへ連れて来られた。25.しかし返すことができなかったので、主人は僕に、その妻と子供たち、持ち物をみな売り払って返すよう命じた。26.そこでこの僕は、主人に『どうか待ってください。全部お返ししますから』と言って伏し拝んだ。27.その僕の主人はかわいそうに思って彼を赦し、その負債を免除してやった。28.その僕は出て行ったが、自分に百デナリオン《労働者百日分の労賃に相当》の借金をしている僕仲間の一人を見つけ、これを捕まえ首を絞めて、『借金を返せ』と言った。29.そこで、その僕仲間はひれ伏し、『どうか待ってください。返しますから』と言って彼に助けを求めた。30.しかし、彼は承知せず、その僕仲間を引いて行き、借金を返すまで牢に入れた。31.そこで、この出来事を見た彼の僕仲間たちは非常に心を痛め、自分たちの主人のところへ行って、事の次第を全て説明した。32.そのとき彼の主人は、この僕を呼びつけて言った。『悪い僕よ、お前が願ったから、わたしはその全ての負債を赦してやったのだ。33.わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の僕仲間を憐れんでやるべきではなかったか』。34.そして、彼の主人は怒って、全ての負債を返し終わるまで、僕を獄吏たちに引き渡した。35.もし、あなたがた一人ひとりが心から自分の兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるだろう」。

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書  18章


πεσὼν οὖν ὁ δοῦλος προσεκύνει αὐτῷ  26
「そこで僕はひれ伏し、主人に何度もひれ伏し頭を下げて

προσεκύνει は未完了過去時制で、その時制は、過去における動作の継続、反復である。主人から負債の返済を求められたこの僕は、余りにもその負債が大きかったため、主人に返済できず、ただ何度も頭を下げて詫びるしかなかった。προσεκύνει は「ひれ伏して拝む」という意味もある。 πεσὼν も「ひれ伏す」の意味。「ひれ伏す」が二重に使用されていることで、この負債の大きさが強調されている。

πεσὼν οὖν ὁ σύνδουλος αὐτοῦ παρεκάλει αὐτὸν 29

「そこで彼の僕仲間はひれ伏し、彼に何度も乞うた

上記の26と全く同じ構文。παρεκάλει も「何度も乞うた」「何度も願った」の意味で、時制も26と同じく未完了過去。この僕仲間は100デナリオン(現在の100万円位の価値)の借金を僕にしていたが、これは待てば返せる金額。しかし、この悪い僕は、自分の場合と全く同じ赦しを乞い願ったこの僕仲間に憐れみを示さなかった。そのことが彼の罪を一層大きなものにしている。29の「どうか待ってください」は意訳であり、直訳は「わたしに対し怒りを延ばしてください」である。




2012年10月23日火曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」17章の翻訳(私訳)


マタイによる福音書 

17章


1.六日の後、イエスは、ペトロとヤコブと彼の兄弟ヨハネとを連れて、ひそかに高い山に登られた。2.すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔が太陽のように輝き、また、その衣が光のように白くなった。3.すると見よ、モーセとエリヤが彼らに現れ、イエスと語り合っていた。4.そこでペトロが答えてイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは尊いことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたの為に、一つはモーセの為に、一つはエリヤの為に」。5.ペトロがまだ話していると、見よ、輝いた雲がその人たちをおおった。そして、見よ、雲の中から、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。これに聞け」と言う声がした。6.弟子たちはそれを聞いて非常に恐れ、その人たちの前に倒れた。7.すると、イエスが近寄って来て彼らに触れて言われた。「起き上りなさい。恐がるな」。8.彼らが目を上げたが、イエスお一人のほか誰も見えなかった。
9.そして、彼らが山を下りているとき、イエスは弟子たちに、「人の子が死者たちの中から復活するまでは、見たことを誰にも話してはならない」とお命じになった。10.弟子たちはイエスに、「ではどうして律法学者たちは、『エリヤが最初に必ず来ることになっている』と言っているのですか」と言って尋ねた。11.イエスは答えて言われた。「確かにエリヤが来て、すべてを元通りに直すだろう。12.しかし、わたしはあなたがたに言う。エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めようとしないばかりか、したい放題のことを彼におこなった。人の子も同じように、彼らから苦しみを受けようとしている」。13.その時、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
14.一行が群衆のところに戻ると、一人の人がイエスに近づき、ひざまずいて、15.言った。「主よ、わたしの息子を憐れんでください。てんかんを患いひどく苦しんでいます。たびたび火の中、水の中に倒れるのです。16.あなたのお弟子さんたちのもとに、息子を運んで来たのですが、治してはいただけませんでした」。17.そこで、イエスは答えて言われた。「ああ、なんという不信仰で曲がった時代だろうか。いつまでわたしはあなたがたと一緒にいられようか。いつまであなたがたに我慢できようか。その子をここへ、わたしのもとに連れて来なさい」。18.そして、イエスがその子にお命じになると、悪霊はその子から出て行き、子供はその時から癒された。
19.その時、弟子たちがひそかにイエスのみもとに来て言った。「どうして、わたしたちに悪霊を追い出せなかったのですか」。20.イエスは彼らに言われた。「あなたがたの信仰が足りないからだ。よくあなたがたに言っておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここからあそこへ移れ』と言えば、移るだろう。あなたがたに出来ないことは何もない」。
22.一行がガリラヤに集まった時、イエスは彼らに言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。23.そして、人々は彼を殺すだろう。そして彼は三日目に復活させられるだろう」。弟子たちは非常に悲しんだ。
24.一行がカファルナウムに来た時、神殿税を集める人たちがペトロのところに近寄って来て言った。「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか」。25.彼は「はい、納めておられます」と言って家に入ると、イエスはペトロの先を越して言われた。「シモンよ、あなたはどう思うか。この地上の王たちは通行税や人頭税を誰から得ているか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか」。26.そこでペトロが「ほかの人々からです」と言うと、イエスが彼に言われた。「では子供たちはその束縛を受けないで済むわけである。27.しかし、彼らをつまずかせない為に、あなたは湖へ行って釣り針を垂れなさい。そして最初にかかった魚を引き上げなさい。その口を開けるとスタテル金貨一枚《4デナリオン、労働者4日分の賃金で、二人分の神殿税に相当》が見つかるだろう。それを取って、わたしとあなたのために彼らに納めなさい」。

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 17章










2012年10月12日金曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」16章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 

16章


1.ファリサイ派の人々と、サドカイ派の人々がイエスに近づいて来て、イエスを試そうとして、「天からのしるしを自分たちに見せていただきたい」と願った。2.そこで、イエスは答えて彼らに言われた。[「あなたがたは、夕方となって空が真っ赤だと『晴れだ』と言い、3.早朝に空が赤く曇っていると『今日は嵐だ』と言う。あなたがたは、空模様を見分けられるのに、時のしるしを見分けられないのか。]4.邪悪で背信の時代はしるしを求める。しかし、ヨナのしるし以外には、この時代にしるしは与えられないだろう」。そして、イエスは彼らを残して立ち去られた。
5.弟子たちも(湖の)向こう岸へ行ったが、パンを持って来るのを忘れた。6.そこでイエスは弟子たちに言われた。「ファリサイ派の人々と、サドカイ派の人々のパン種に注意し警戒しなさい」。7.弟子たちは、「これは、自分たちがパンを持って来なかったからだ」と言って、互いに論じ始めた。8.イエスはそれに気づいて言われた。「信仰のうすい者たちよ、パンを持っていないことで、なぜ論じ合っているのか。9.まだ分からないのか。五つのパンを五千人に配って、(余ったかけらを)いく籠集めたか思い出さないのか。10.また、七つのパンを四千人に配って、(余ったかけらを)いく籠集めたか思い出さないのか。11.わたしがパンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。しかし、あなたがたはファリサイ派の人々とサドカイ派の人々のパン種に警戒しなさい」。12.その時、弟子たちはイエスがパンの種のことを警戒するように言われたのではなく、「ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えに警戒しなさい」と言われたのだと悟った。
13.さて、イエスはフィリポ・カイサリア地方へ行かれたとき、弟子たちに、「人々は人の子を誰だと言っているか」と言ってお尋ねになった。14.そこで彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人々、ほかにエリヤだと言う人々、またほかにエレミヤ又は預言者の一人だと言う人々もいます」。15.イエスは、彼らに言われた。「それでは、あなたがたはわたしを誰だと言うか」。16.シモン・ペトロが答えて言った。「あなたは生ける神の子キリストです」。17.イエスは答えて彼に言われた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに現わされたのは、肉と血ではなく、天におられるわたしの父である。18.わたしもあなたに言う。あなたはペトロである。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てよう。ハデスの扉も彼女に打ち勝つことはできない。19.わたしはあなたに天の国の鍵を与えよう。あなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれるだろう」。20.その時イエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることを、誰にも言わないようにとお命じになった。
21.この時から、イエスは、ご自分が必ずエルサレムへ行き、長老たちや祭司長たち、律法学者たちからも多くの苦しみを受け、そして殺され、三日目に甦るべきことを、弟子たちに示し始められた。22.すると、ペトロがイエスを脇に引き寄せ、いさめ始めて、「主よ、とんでもないことです。そんなことは決してありません」と言った。23.しかし、イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタンよ、引きさがれ。わたしを躓かせる者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。

24.それからイエスは、ご自分の弟子たちに言われた。「誰でも、わたしについて来たいと思うなら、自分を否定し、自分の十字架を負うてわたしに従いなさい。25.自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしの為に自分の命を失う者は、それを得るだろう。26.たとえ人が全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得になるだろうか。あるいは、人は自分の命を買い戻すのに、どんな代価を払えるだろうか。27.人の子は、その父の栄光の内に天使たちと共に来ようとしているが、その時、その行いに応じてそれぞれに報いるだろう。28.あなたがたによく言っておくが、ここに立っている者たちの中に、人の子が王として来るのを見るまでは、決して死を経験しない者たちがいる。」

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 16章



πόσους κοφίνους ἐλάβετε; (9)   「(余ったかけらを)幾籠集めたか」    
     πόσας σπυρίδας ἐλάβετε; (10)   「(余ったかけらを)大籠でいくつ集めたか」
  9節の κοφίνους も、10節の σπυρίδας も「籠」という意味では同じであるが、10節の σπυρίδας は9節の κοφίνους に比べ大型の籠を意味する。      

ἠρώτα τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ λέγων· τίνα λέγουσιν οἱ ἄνθρωποι εἶναι τὸν υἱὸν τοῦ ἀνθρώπου; (13) 
イエスはご自分の弟子たちに繰り返し尋ねて(尋ね始めて)言った。「人々は人の子について誰だと言っているか」     上記はイエスが弟子たちと共にフィリポ・カイザリア地方へ行かれた時に、弟子たちに尋ねられた質問である。しかしこの問いかけが何度か繰り返して行われたか、または尋ね始められた事が、ἠρώτα(エーロータ・ἐρωτάω ”尋ねる”の未完了過去形)が使われていることから分かる。ギリシア語で未完了過去は、過去における動作の継続、反復、または開始を意味するからである。
       
σὺ εἶ Πέτρος, καὶ ἐπὶ ταύτῃ τῇ πέτρᾳ οἰκοδομήσω μου τὴν ἐκκλησίαν καὶ πύλαι ᾅδου οὐ κατισχύσουσιν αὐτῆς(18)
「あなたはペトロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てよう。ハデスの扉も彼女に打ち勝てないだろう」

18節は鍵を与えられたペトロの「権威」の問題に関して、これまで論争を生じさせる部分となって来た。Πέτρος(ペトロス) は確かに「岩」を意味するが、これは明らかに男性名詞としての岩である。次の ταύτῃ τῇ πέτρᾳ (ペトラ)「この岩」は女性名詞の岩であって、文法上、ペトロを指し示すものではない事は明白である。では女性名詞として、「この岩」が特定された使い方をしているのは、その上に建てられることになっている τὴν ἐκκλησίαν (教会)が女性名詞であることによるのかも知れない。従って、
ταύτῃ τῇ πέτρᾳ (ペトラ)「この岩」は教会の頭であり土台であるキリストを意味すると考えられる。これは16節のペトロの告白 「あなたこそ生ける神の子キリストです」という文脈の中で理解しなければならない。なお、「ハデスの扉」または「死の世界の扉」という表現は、「生」から断絶する「死」の拘束力を指すヘブライ的比喩的表現か(ヨブ38:17、イザヤ38:10参照)。

οἵτινες οὐ μὴ γεύσωνται (28)
「決して死を経験しない人たちが…いる」

上記は明らかに死を経験(ヘブライ的表現)しない人たちが一人ではなく、複数いる事を示している。キリストによって永遠の命が約束された者たちのことであろうか。
 



 

2012年10月1日月曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」15章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書 

15章


1.そのような時に、ファリサイ派の人々と律法学者たちがエルサレムからイエスのもとに来て言った。2.「あなたの弟子たちはなぜ、先祖たちの言い伝えに違反するのですか」。それは弟子たちが、パンを食べる時に[自分たちの]手を洗わなかったからである。3.イエスは答えて彼らに言われた。「ではなぜ、あなたがたも自分たちの言い伝えのために、神の戒めに違反するのか。4.神は『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は必ず死ぬべきである』と言われたのだから。5.しかし、あなたがたは、父または母に対して、『あなたがわたしから受けて益となるはずのものを、(神への)献げ物にします』と言う者は、6.『自分の父を敬まってはならない』と言っている。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えによって神の言葉を無にしたのだ。7.偽善者たちよ、イザヤはあなたがたについて、よくぞ預言したものだ。こう言っている。
8.『この民は唇ではわたしを敬うが、
彼らの心は遠くわたしから離れている。
9.彼らは無意味にわたしを拝み、
人間の決まりごとを、教えとして教えている。』」
10.そして、イエスは群衆を呼び寄せて、彼らに言われた。「聞いて、悟りなさい。11.口に入ったものが人を汚すのではなく、むしろ口から出て来るものこそが、人を汚すのである」。
12.その時、弟子たちが近寄って来てイエスに言った。「お言葉を聞いたファリサイ派の人たちがつまずいたのをご存知ですか」。13.イエスは答えて言われた。「わたしの天の父が植えられなかった草木は、すべて抜き去られるだろう。14.彼らをそのままにさせておきなさい。彼らは[盲人を]道案内する盲人なのだ。盲人が盲人を道案内すれば、両方とも穴に落ち込む」。
15.するとペトロが答えてイエスに言った。「わたしたちに[その]譬えを説明してください」。16.イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。17.口に入るものはみな腹に入って出て行き、外に捨てられることがわからないのか。18.口から出るものは心から出て来るので、それが人を汚すのである。19.心から出て来るのは、論争、悪意、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、冒瀆などである。20.これらが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事をしても、それが人を汚すのではない」。
21.さて、イエスはそこを出てティルスとシドンの地方へ行かれた。22.すると、見よ、その地方出身のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダヴィデの子よ、私を憐れんでください。私の娘が悪霊にひどく苦しめられています」と言って叫んだ。23.しかし、イエスは彼女にお言葉を返されなかった。すると弟子たちがイエスに近寄って来て、「彼女を追い払ってください。わたしたちの後ろで叫び続けていますから」と言って懇願した。24.そこで、イエスは答えて言われた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たちのほかには遣わされていない」。25.しかし、女はイエスのもとに来て、ひれ伏し、「主よ、私をお助けください」と言った。26.しかし、イエスは答えて言われた。「子供たちのパンを取り上げて、小犬たちに投げてやるのは良くない」。27.しかし、女は言った。「主よ、そうです。でも小犬たちも、その主人たちの食卓から落ちるパンくずはいただきます」。28.その時イエスは答えて彼女に言われた。「おお!女よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」。こうして、彼女の娘はその時から癒された。
29.さて、イエスはそこを去って、ガリラヤ湖畔へ行かれ、山に登られてそこに座っておられた。30.すると、大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の不自由な人たち、体の曲がった人たち、口の利けない人たち、そのほか大勢の人たちをイエスのところに連れて来て、その足元に横たえた。そこで、イエスは彼らを癒された。31.群衆は、口の利けない人たちが話し、体の曲がった人たちが治り、歩けない人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神をほめたたえた。
32.イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。すでに三日もわたしと一緒にいるのに、何も食べものがないのだから。彼らを空腹のまま解散させたくない。途中で疲れきってしまうといけないから」。33.すると弟子たちがイエスに言った。「こんな人里離れた場所で、これほどの大勢の群衆に充分食べさせるだけのパンを、どこから(手に入れるのですか)」。34.イエスは弟子たちに、「パンはいくつあるか」と言われた。彼らは「七つと少しの小魚です」と言った。35.イエスは、群衆に地面に座るようにお命じになり、36.七つのパンと少しの魚を取り、感謝して裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。37.みんなは食べて満腹になった。裂いたかけらの余りを寄せ集めると、七つのかごにいっぱいになった。38.食べた人は女と子供以外に、男の人が四千人であった。
39.群衆を解散させてから、イエスは舟に乗ってマガダンの地方へ行かれた。 

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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 15章


 οὐ μὴ τιμήσει τὸν πατέρα αὐτοῦ
「決して自分の父を敬ってはならない」6

οὐ μὴ は強い禁止の言葉で「決して~してはならない」を意味する。イエスはユダヤ人たちが神の言葉(律法)を無視して、自分たちの律法を厳しく制定した点を指摘された。

ὅτι κράζει ὄπισθεν ἡμῶν.
「私たちの後ろで叫び続けていますから」23
ἡ δὲ ἐλθοῦσα προσεκύνει αὐτῷ λέγουσα· κύριε, βοήθει μοι.(25)

「女はイエスのもとに来て、”主よ、私をお助けください”と言って何度もひれ伏していた

23と25節をよく読むと、このカナンの女がいかに本気で、真剣にイエスに願ったかがわかる。23の動詞 κράζει は現在形が使われており、彼女が今何度もくりかえし叫び続けているということ。25の動詞 προσεκύνει は未完了過去形が使われていて、これは過去の動作(行為)が何度も繰り返されていたことを示している。