2016年12月25日日曜日

新約聖書原典「エフェソの人々への手紙」3章の翻訳(私訳)

エフェソの人々への手紙 

3章


1.このようなわけで、あなたがた異邦人のために、キリスト・[イエス]の囚人となっているわたしパウロ。2.―あなたがたが、もし本当に、あなたがたのためにわたしに与えられた神の恵みの務めを聞いたのなら、3.すなわち、先にも少し書きましたように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのですが、4.それを読むことによって、あなたがたはキリストの奥義についてわたしがどう理解しているかを知ることができます。5.この奥義は、他の時代には人の子らには知らされていませんでしたが、今は御霊によって神の聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されました。6.その奥義とは、異邦人が、福音を通してキリスト・イエスにあって共に御国を受け継ぐ者となり、同じ体に属する者となり、約束に共にあずかる者となるということです。7.わたしは、神の力強い働きにより、わたしに与えられた神の恵みの賜物によって、福音の僕とされたのです。
8.異邦人たちに、キリストの無尽蔵の富を告げ知らせるために、すべての聖徒たちの中で最も小さいわたしに、この恵みが与えられました。9.それは、すべてのものを造られた神のうちに世の始めから隠されていた奥義がどのような務めであるかを、[すべての人々に]明らかに示すためでした。10.それは、今や、神の多種多様な知恵が、教会を通して、天上にある支配と権威に知られるようになるためであり、11.わたしたちの主キリスト・イエスにおいて実現された(神の)永遠の計画に基づくものです。12.わたしたちは、このキリストにある確信を持っているので、キリストによる信仰によって、信頼して(神に)近づくことができるのです。13.ですから、わたしがあなたがたのために受けている苦難によって、落胆しないようにお願いします。この苦難は、あなたがたの栄光なのです。
14.このようなわけで、わたしは御父に両膝をかがめて(祈ります)。15.天と地の上にある部族と呼ばれるものはすべて、この方から出ています。16.どうか、その栄光の富に従い、その御霊によって、力をもってあなたがたの内なる人を強くしてくださるように。17.そして、信仰によってキリストがあなたがたの心の内に住み、愛に根ざし愛を土台とすることにより、18.すべての聖徒たちと共に、その広さ、長さ、高さ、深さを充分に理解することができ、19.(人の)知識をはるかに超えたキリストの愛を知って、神に満ちているものの全てをもって、あなたがたが満たされるように。

20.わたしたちが願い、また思うことを遥かに超えて、わたしたちの内に働く力によって、全てにまさって実現することのできる方に、21.栄光が、教会によって、またキリスト・イエスによって、世々限りなくありますように、アーメン。



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★「天上にある支配と権威」(10)

「支配と権威、やみの世の主権者」「天上の悪の霊」(エフェソ6:12 口語訳参照)と同じ意味。



2016年12月16日金曜日

新約聖書原典「エフェソの人々への手紙」2章の翻訳(私訳)

エフェソの人々への手紙 

2章


1.あなたがたは自分の罪過と罪とによって死んでいた者であり、2.かつては、それらの罪の中にあって、この世のならわしと空中の権を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働く霊に従って歩んでいました。3.わたしたちも皆、かつては彼らの中にあって、おのれの肉の欲望の赴くままに生活し、肉と思いの欲することを行っていて、ほかの人々と同じように、生まれながらに(神の)怒りを受けるべき子供たちでありました。4.しかし、憐れみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくださったその大いなる愛によって、5.罪過によって死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、―あなたがたが救われたのは恵みによるのですー 6.キリスト・イエスにあって共に復活させ、共に天における座につかせてくださったのです。7.それは、キリスト・イエスによってわたしたちに与えられた慈愛により、神の卓越した恵みの豊かさを来るべき世に示すためでありました。8.あなたがたが救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。それはあなたがたから出たものではなく、神の賜物です。9.行いによるのではありません。それは、だれも誇ることのないためです。10.なぜなら、わたしたちは神によって造られたものであり、神があらかじめ用意された善き業のために、またそれらによってわたしたちが生活するようにとキリスト・イエスにあって創造されたからです。

11.こういうわけですから、思い出してもみなさい。あなたがたは、肉によればかつては異邦人であり、手によって行われる肉による割礼を受けたと称される人々からは、無割礼の者と呼ばれていました。12.すなわち、その頃のあなたがたはキリストとは無縁であり、イスラエルの住民からは遠ざけられ、約束された種々の契約にも縁がなく、この世で希望もなく神もない者たちでした。13.しかし、かつては遠くにあったあなたがたですが、今は、キリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者とされたのです。14.実に、キリストは、わたしたちの平和であって、両者を一つとし、ご自分の肉によって敵意という隔ての仕切り壁を打ち壊し、15.諸規定からなる命令の律法を無用にされました。それは、これら双方をご自分によって一人の新しい人に創造して平和をもたらし、16.十字架によって両者を一つの体として神と和解させるためであり、敵意を十字架によって滅ぼされたのです。17.こうして、キリストは来られて、遠くにいるあなたがたに平和を告げ知らせ、近くにいる人々にも平和を告げ知らせられたのです。18.というのは、このキリストによって、わたしたち両方の者が、一つの御霊によって御父に近づくことができるからです。19.こういうわけですから、あなたがたはもはや、よそ者でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族であって、20.使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられているのです。キリスト・イエスご自身が隅のかなめ石であって、21.キリストによって建物全体が組み合わせられ、主にある聖なる神殿へと成長するのです。22.あなたがたも主にあって共に建てられ、御霊によって神の住まいとなるのです。



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★「両者(二つのもの)を一つとし」(14)の「両者(二つのもの)」は「両方の者」(16、18)と同じギリシア語ἀμφότεροι(両方の者)が使われている。つまり、ユダヤ人と異邦人の両方の意。それに対し、15節の「双方」は「二者」(τοὺς δύοの訳。しかし、「両者」「双方」はいずれもユダヤ人と異邦人の二者を指すことに変わりはない。


★「諸規定からなる戒めἐντολῶνー命令とも訳すー複数の律法(νόμον単数)を無用に(廃止)されました」(15)

前後の文脈から、これらの律法がユダヤ人と異邦人との間を隔てる「敵意という隔ての壁」(14)となっていたことは明らか。ユダヤ人は旧約時代から律法を彼らの宗教(ユダヤ教)の中心に置いて、他の民族との壁を作ってきた。今やキリスト教(17節でパウロが言う『平和の福音』と呼ぶもの)が異邦人に伝えられるに及んで、ユダヤ人が築いてきたこの律法の壁こそが異邦人への敵意の原因となっていたことが問題の本質として浮かび上がって来る。ユダヤ人は『平和の福音』を受け入れた異邦人に対しても彼らに律法を強要したが、パウロはイエスがご自分の死によって打ち砕かれた敵意という壁こそが、このような形骸化、形式化された律法のことであり、そのようなものはすでに打ち砕かれて無用(廃止)とされたのであり、両者は十字架によって一つにされたのだと言おうとしているのである。ゆえに、15節を解釈する場合、どの律法が廃されたのかといういわば律法廃止論を導き出すのではなく、第一義的には、ユダヤ人と異邦人を隔てている『敵意という隔ての壁』としての律法が廃止されたと解釈すべきであろう。
 その上で、上記15節の言葉の使い方に注目すると、まず、『諸規定』(ドグマシン=複数)はエフェソ2:15以外に、新約聖書においては、コロサイ2:14『その諸規定もろともぬり消し、これを取り除いて十字架につけてしまわれた』だけで使われ、両者共、廃止されたという否定的な意味で使われている。また、『戒め』ἐντολῶν:複数属格形)も、多くは単数形で新約聖書に登場するが、複数属格形で使われているのは新約聖書でエフェソを含め3か所(マタイ5:19『これらの最も小さい戒めの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれる』、一コリント7:19『割礼があってもなくてもそれは問題ではない。大事なのは神の戒めを守ることである』)だけで、新約では極めてめずらしい。いずれの場所でも、戒めを守ることの重要性を強調していて、肯定的な意味で使われている。15節の「諸規定からなる…律法」ように諸規定(ドグマシン)が戒めや律法と共に使用される場合、これは、旧約時代の聖所にかかわる諸礼典、犠牲制度や割礼などを指すという解釈がある。




2016年12月12日月曜日

新約聖書原典「エフェソの人々への手紙」1章の翻訳(私訳)

エフェソの人々への手紙


1章


1.神の御心によって、キリスト・イエスの使徒とされたパウロから、[エフェソにいる]聖徒たちと、キリスト・イエスを信じる人たちへ。
2.わたしたちの父であられる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。
3.わたしたちの主イエス・キリストの父であられる神は、誉めたたえられるべき方。神は わたしたちを、キリストにあって天に於けるあらゆる霊的な祝福にあずからせてくださいました。4.神は、わたしたちがご自身の御前で聖く傷のない者となるように、世界の基礎が据えられる前からキリストにあってわたしたちを選び、5.わたしたちにイエス・キリストを通して、子としての身分を授けようと、その御心の喜びとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めてくださいました。6.それは、愛する御子によってわたしたちを恵んでくださった神の栄光ある恵みを賛美するためです。7.わたしたちは、この御子により、その血による贖い、その豊かな恵みによって罪過の赦しを得ているのです。8.神は恵みにより、あらゆる知恵と賢さで、わたしたちを豊かにし、9.その御心の奥義をわたしたちに知らせてくださいました。それは、御子の内にあらかじめ計画された神のみこころにそうものであり、10.時の満ちるに及んで実現された、神の救いの計画にほかなりません。神は、天上のものも地上のものも、あらゆるものをキリストにあって一つに合わせられました。11.わたしたちは、すべてのことを御心の計画のままになさる方の決意により、このキリストにあって、あらかじめ定められ、御国を受け継ぐ者とされたのです。12.それは、キリストにあって、以前から望みを抱いているわたしたちが、神の栄光をたたえる者となるためです。13.あなたがたも、キリストにあって真理の言葉、あなたがたの救いの福音を聞き、キリストにあって信じ、約束の聖霊による証印を押されたのです。14.この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐことの保証であって、わたしたちが贖われて神の所有となって、神の栄光をたたえるようになるためです。

15.こういうわけで、わたしも、あなたがたの主イエスにある信仰と、すべての聖徒たちに対する愛を聞き、16.わたしの祈りの度ごとに、あなたがたのことを覚え、絶えず感謝しています。17.どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の御父が、ご自分を知る知恵と啓示との霊をあなたがたに与えてくださり、18.[あなたがたの]心の目を明るくしてくださるように。そして、神が招いてくださっている望みがどんなものであるか、聖徒たちにとって、御国を受け継ぐことがどれほど栄光に富んだものであるか、19.また、力強く働かれる神の力が、信じるわたしたちにとってはるかに優って、いかに強力で絶大なものであるかを、あなたがたが知ることができるように。20.神はこの力を、キリストのうちに働かせ、彼を死者たちの中から復活させ、天にあるご自分の右の座につかせ、21.すべての支配と権威と力と主権の上につかせ、この世においてばかりでなく、来るべき世においても唱えられるあらゆる名の上につかせられたのです。22.そして、『すべてのものを彼の足の下に従わせ』、彼を、すべてのものの上に頭として、教会にお与えになりました。23.教会はキリストの体であり、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしている方が満ちておられるところなのです。




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★5節の「愛の内に」は、原典では、4節末尾にある言葉であるが、実際は5節の「愛の内にあらかじめ定めてくださいました」につながる副詞句とも解釈できる。

πρὸ καταβολῆς κόσμου「世の造られる前から」「世界の基礎が据えられる前から」(4)
 このフレーズはこの章の重要なキーワードとなっており、5節、11節で現れる「あらかじめ定め」、「あらかじめ計画され」(9)につながる言葉でもある。

8.神は恵みにより、あらゆる知恵と賢さで、わたしたちを豊かにし、9.神の御心の奥義をわたしたちに知らせてくださいました。(8,9)

パウロはユダヤ教の中にも始まりつあったグノーシス派の影響を心配していたのであろう。天使礼拝や悪霊崇拝といった異端が入り込み、健全な教えに影を落とし始めていた。このような背景の中で8節以降を読むべきであろう。神の与えてくださる真の知恵と賢さ(知識)こそが誤った異端の教えを排除し、神の奥義を理解するのである。

★14節の「保証」と訳した言葉は、「手付金」「保証金」とも訳され、救いを保証する手付金を意味する。





2016年12月1日木曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」16章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

16章


1.ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベをあなたがたに紹介します。2.どうか、彼女を、主にある聖徒たちにふさわしく受け入れ、彼女があなたがたの助けを必要としていることがあれば、主にあって彼女を助けてあげてほしいのです。彼女は多くの人の助け手となり、このわたしの助け手ともなってくれたからです。
3.キリスト・イエスにあるわたしの共労者プリスカとアキラをよろしく。4.彼らは、わたしの命のために、自分たちの首をも差し出してくれたのです。彼らには、わたしだけでなく、異邦人たちの全ての教会も感謝しています。5.彼らの家ごとの教会にも(よろしく)。わたしの愛するエパイネトによろしく伝えてください。彼はキリストに(ささげられた)アジアでの初穂です。6.あなたがたのために大いに苦労したマリアによろしく。7.わたしの同族で、わたしの囚人仲間のアンドロニコとユニアスによろしく。彼らは使徒たちの中で評判の良い人たちで、わたしより先にキリストにある者となった人たちです。8.主にあるわたしの愛するアンプリアトによろしく。9.キリストにあるわたしたちの共労者ウルバノと、わたしの愛するスタキスによろしく。10.キリストにあって鍛錬されたアペレによろしく。アリストブロ家の人たちによろしく。11.わたしの同族ヘロディオンによろしく。主にあるナルキソ家の人たちによろしく。12.主にあって苦労しているトリファイナとトリフォサによろしく。主にあって非常に苦労している、愛するペルシスによろしく。13.主にあって選ばれたルフォスと、彼の母によろしく。彼の母は、わたしの母でもあります。14.アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、そして、彼らと共にいる兄弟たちによろしく。15.フィロロゴとユリアに、ネレウスと彼の姉妹に、また、オリンパと彼らと共にいる全ての聖徒たちによろしく。16.聖なる口づけをもって、互いに挨拶を交わしなさい。キリストの全ての教会が、あなたがたによろしくと言っています。
17.兄弟たちよ、あなたがたに勧告します。あなたがたが学んで実行している教えに反して、分裂と躓きをもたらす人々を警戒し、彼らから遠ざかりなさい。18.このような人たちは、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分たちの腹に仕えているのであって、甘い言葉や、お世辞をもって純真な人々の心を欺いているのです。19.あなたがたの従順さは、すべての人々に届いています。ですから、わたしは、あなたがたのことで喜んでいるのです。ですが、あなたがたは、善にはさとく、悪にはうとくあってほしいのです。20.平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを打ち砕いてくださるでしょう。
わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にありますように。
21.わたしの共労者テモテと、わたしの同族のルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言っています。22.主にあってこの手紙を書いているわたしテルティオが、あなたがたに挨拶します。23.わたしと教会全体の家主であるガイオが、あなたがたによろしくと。また、市の会計係エラストと兄弟クアルトが、あなたがたによろしくと言っています。

25.あなたがたを強くすることのできるかたに(栄光が世々限りなくありますように)。わたしの福音と、イエス・キリストの宣教により、世の始まる前から隠されていた奥義は明かされ、26.今や、(その奥義は)預言者たちの書物によっても明かされ、永遠の神の命令によって、信仰による従順に至る全ての異邦人にも知らされたのです。27.知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通し、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。

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★「自分たちのに仕えている」(18)
  腹とは欲望のこと。

★16章はほとんどが「○○によろしく」という挨拶文。大勢の人が登場するが、その数は35人に及ぶ。その男女の区別は次のとおり。頭の数字は節を表す。

1.フォイベ(女)
3.プリスカ(女)、アクラ(男)
5.エパイネト(男)
6.マリア(女)
7.アンドロニコ(男)、ユニアス(女)
8.アムプリアト(男)
9.ウルバノ(男)、スタキュス(男)
10.アペレ(男)、アリストブーロ(男)
11.ヘロディオン(女)、ナルキス(男)
12.トリュファイナ(女)、トリュフォーサ(女)、ペルシス(女)
13.リュフォ(男)
14.アシュンクリト(男)、フレゴン(男)、ヘルメス(男)、パトロバ(男)、ヘルマス(男)
15.フィロロゴ(男)、ユリア(女)、ネレユス(男)、オリュムパ(男)
21.ティモテ(男)、ルキオ(男)、ヤソン(男)、ソシパトロ(男)
22.テルティオ(男)
23.ガイオ(男)、エラスト(男)、クアルト(男)



               古代ローマ遺跡:チルコ・マッシモ

2016年11月28日月曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」15章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

15章


1.わたしたち強い者は、弱い者たちの弱さを担うべきで、自分を喜ばせようとしてはいけません。2.わたしたち各自は、隣人に対し、その徳を高めるために良いことを行って彼らを喜ばすべきです。3.というのは、キリストもご自分を喜ばすことをなさいませんでした。むしろ、こう書かれているとおりです。『あなたをそしる者たちのそしりが、わたしの上にふりかかった』と。4.これらのことがあらかじめ書かれたのは、わたしたちを教えるために書かれたのであって、それは、聖書の忍耐と慰めによって、わたしたちが希望を持つようになるためです。5.忍耐と慰めの神が、あなたがたに、この同じ思いを互いの内に、キリスト・イエスを通して与えてくださるように。6.また、思いを一つにし、声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの父でもあられる神を讃えることができますように。
7.こういうわけですから、キリストがあなたがたを神の栄光に受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。8.わたしは言います。キリストは、神の真実をあらわすために、割礼のある者の僕となられました。それは、先祖たちとの約束を成就するためであり、9.また、異邦人が憐れみのゆえに、神を讃えるためでした。こう書かれているとおりです。
『それゆえ、
わたしは異邦人たちの中であなたを讃え、
あなたの御名をほめ歌うであろう。』
10.また、さらに言っています。
『異邦の民よ、喜べ。神の民とともに。』
11.そして、さらに、
『すべての異邦人よ、主をたたえよ。
すべての民よ、主をたたえよ。』
12.そして、さらに、イザヤは言っています。
『エッサイの根が生じて、
異邦人たちを治める者が立ち上がる。
異邦人たちは彼の上に望みを置くであろう』と。
13.希望の神が、信仰によるあらゆる喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって、あなたがたを希望で満ち溢れさせてくださるように。
14.わたしの兄弟たちよ、わたし自身はあなたがたが善意に満ち、あらゆる知識にも満たされていて、互いに諭し合うことのできる人たちであると確信しています。15.しかし、わたしは、神からわたしに与えられた恵みによって、あなたがたに記憶を新たにしてもらうため、ところどころ、かなり思い切って書きました。16.それは、わたしが、異邦人たちのために働くキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音を(伝える)祭司の務めを果たすためです。それは、異邦人たちが聖霊によって聖別され、かつ、(神に)受け入れられるささげ物となるためなのです。17.ですから、わたしは、この神への奉仕を、キリスト・イエスによって誇りに思っているのです。18.わたしは、異邦人たちが従順に至るために、言葉においても、行いにおいても、19.しるしと奇跡の力においても、[神の]霊の力においても、キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、何も敢えて語ろうとは思いません。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコンまで巡って、キリストの福音を満たしてきました。20.このようにして、キリストの名が知らされていない所に福音を宣べ伝えるために、わたしは熱心に努力しているのです。それは、他人が築いた土台の上に建てることがないためです。
21.むしろ、
『彼のことを知らされていなかった人々が見、
聞いたことのなかった人々は、悟るであろう』
と書かれているとおりです。
22.こういうわけですから、わたしは、あなたがたのところへ行くことを度々妨げられてきました。23.しかし今、もうこの地方では、わたしの(働く)場所がありません。しかし、わたしは、何年もあなたがたのところへ行きたいと切望してきましたので、24.イスパニアへ行く際、そちらを通り、あなたがたを訪ねたいと希望しています。そして、先ずは、しばらくの間あなたがたと共にいて、ある程度満たされてから、あなたがたによって、イスパニアへ送り出してもらいたいのです。25.しかし、今は、聖徒たちに奉仕するため、わたしはエルサレムへ行こうとしています。26.マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムにいる聖徒たちの中の貧しい者たちに援助することに喜んで賛成したからです。27.彼らは喜んで賛成しました。それは、彼らの義務でもあるからです。異邦人たちは、その人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のものでその人たちに仕えるのは当然のことなのです。28.ですから、わたしはこのことを済ませ、この(愛の募金で得た)成果を彼らに確実に手渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニアへ行こうと思います。29.わたしがあなたがたのところに行く時は、キリストの祝福に満たされて行けるものと思っています。

30.そこで[兄弟たちよ]、わたしたちの主イエス・キリストによって、また御霊の愛によってあなたがたにお願いします。共に力を注いで、わたしのために神に祈ってください。31.「わたしがユダヤにいる不従順な者たちから助けられ、エルサレム(の教会)へのわたしの奉仕が、聖徒たちに受け入れられるものとなりますように」と。32.また、「神の御心によって喜びのうちにあなたがたのところへ行き、共に慰め合うことができますように」と。33.どうか、平和の神が、あなたがた一同と共にいてくださいますように、アーメン。

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★「彼らに確実に手渡してから」(28)
 ここで使われているギリシア語は σφραγίζω(調印して彼らに手渡す、または安全のために封印して手渡す)という意味をもつ。パウロはこれほど用心深く、封印した状態で、集めた募金を安全にエルサレムに届けたのである。



2016年11月18日金曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」14章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

14章


1.信仰の弱い人を受け入れなさい。さまざまな意見を批判してはいけません。2.ある人は何を食べてもよいと信じていますが、(信仰の)弱い人は野菜を食べます。3.食べる人は食べない人を軽んじてはならず、食べない人も食べる人を裁いてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。4.他人の僕を裁くあなたはいったい何者ですか。彼が立つのも倒れるのも、自分の主人によるのです。彼はやがて立たせていただけるでしょう。主はその人を立たせることがお出来になるからです。5.ある人は、ある日が他の日よりも良いとし、ある人はどの日でも良いとします。各自は自分の理解するところに基づいて確信していなさい。6.日を重んじる人は、主のために重んじる。食べる人は、主のために食べる。彼は神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べない。彼も神に感謝しているからです。7.だれも自分のために生きる者はなく、自分のために死ぬ者もいない。8.わたしたちが生きるのも主のために生き、わたしたちが死ぬのも主のために死ぬのです。わたしたちが生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものだからです。9.そのために、キリストは死んで、また生きられたのです。それは、死んだ者たちと生きている者たちの主となられるためです。10.それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟を裁くのですか。あるいは、なぜ、自分の兄弟を軽んじるのですか。実に、すべての者はみな、神の裁きの座の前に立つことになるのです。11.こう書かれているからです。
『わたしは生きている。
すべての膝は、わたしに対してかがみ、
すべての舌は、神をほめたたえるであろうと
主は言われる。』
12.だからこそ、わたしたち一人ひとりは、自分について[神に対し]申し開きをすることになるのです。

13.ですから、今後、わたしたちは、互いに裁き合わないようにしましょう。兄弟に対し、妨げとなるものや、つまずきとなるものを置かないようにと決心しなさい。14.それが汚れていると思う人は別ですが、それ自体で汚れたものは一つもないと、わたしは主イエスにあって知り、また確信しています。15.あなたの兄弟が食物のことで心を痛めているなら、もはや、あなたは愛に添って生活してはいないのです。食物のことで、あなたの兄弟を滅ぼしてはいけません。この兄弟のためにも、キリストは死なれたのです。16.ですから、あなたがたの善が、(神の御名を)汚すことのないようにしなさい。17.神の国は飲み食いではなく、聖霊による義と平和と喜びです。18.こうして、キリストに仕える人は神に喜ばれ、人々にも信頼されます。19.ですから、平和と互いの徳を築くことを追い求めようではありませんか。20.食物のために、神の働きを無駄にしてはいけません。すべてのものは清い。しかし、食べて人をつまずかせるなら、それはその人にとっては悪となります。21.肉を食べず、酒も飲まず、そのことであなたの兄弟がつまずかないのは良いことです。22.あなたが持っている信仰を、神の御前で、自分自身のために持っていなさい。自分が正しいと決めたことで、自分を非難しない人は幸いです。23.疑いながら食べる人は、罪に定められます。なぜなら、信仰によらないからです。すべて信仰によらないことは罪です。


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ὁ δὲ ἀσθενῶν λάχανα ἐσθίει(2)
「しかし、弱い人は野菜を食べる」

「野菜だけ」とは言っておらず、「野菜を食べる」である。


ὁ φρονῶν τὴν ἡμέραν κυρίῳ φρονεῖ(6)
 「その日を重んじる人は、主のために重んじる」
 
 ὁ φρονῶν(重んじる人)は、その日を神聖なものとして守る者のこと。

★「それ自体で汚れたものは一つもないと、わたしは主イエスにあって知り、また確信しています。それが汚れているのと思うなら、それは、その人にとっては汚れているのです。」(14)

14節は上のようにも訳せる。「汚れ」と訳されているギリシア語は κοινός である。この言葉は「不潔」や一般的汚れを意味するのではなく、ユダヤ的用法であって、「世俗的汚れ」「不浄」などを意味し、「聖」の反意語として使われる。これが「食物」とか「肉」という口に入るものの関係の中で使われる場合は、「偶像への捧げものとしての肉」を指すことが多い(1コリント10:25~28、使徒10:14参照)。ゆえに14節はそういう文脈の中で読む必要がある。

★「すべてのものは清い

ここでの清さは祭儀的清さのこと。14節からの文脈から推察される。ティトス1:15も参照のこと。