2015年8月26日水曜日

新約聖書原典「コリントの人々への手紙一」 6章の翻訳(私訳)


コリントの人々への手紙  

6章


1.あなたがたの内のだれかが、他の人に対して争いを起こした場合、聖なる人たちに裁いてもらおうとしないで、なぜ正しくない人々に裁いてもらおうとするのですか。2.それとも、あなたがたは、聖なる人々が世を裁くことを知らないのですか。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたは、ごくささいなことをも裁けないのですか。3.わたしたちは天使たちをも裁く、ということを知らないのですか。それなら、日常生活に関することはなおさらではありませんか。4.日常生活に関する訴訟が起きた場合、教会で軽んじられている人たち、こうした人たちをあなたがたは裁判の席に着かせるのですか。5.わたしはあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。あなたがたの中には、その兄弟の間を仲裁できる賢い者はだれもいないのですか。6.信仰のない人々の前で、兄弟が兄弟を訴えるのですか。7.お互いの間に訴訟があることが、そもそもすでにあなたがたには失態なのです。どうして、むしろ不正な扱いを受けようとしないのですか。どうして、むしろ欺き取られようとしないのですか。8.むしろあなたがたが不正をし、欺き取っているのです。しかも、兄弟たちを。9.それとも、正しくない者たちが神の国を相続できないことを、あなたがたは知らないのですか。間違わないでください。不品行な者たち、偶像を礼拝する者たち、姦淫する者たち、男娼となる者たち、男色をする者たち、10.盗人たち、貪欲な者たち、酒に酔う者たち、悪口を言う者たち、詐欺師などは神の国を受け継ぐことができません。11.あなたがたの中にはそのような人もいましたが、(今は)主イエス・キリストの名と、わたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義なる者とされたのです。

12.わたしには、すべてのことが許されていますが、すべてが有益なのではありません。わたしには、すべてのことが許されていますが、わたし自身は、何にも支配されることはありません。13.食物は腹のため、腹は食物のため(にあります)。しかし、神はそれもこれも滅ぼされるでしょう。体は不品行のためではなく主のため、主は体のためです。14.神は主を復活させられましたが、わたしたちをもその力によって復活させてくださいます。15.あなたがたは、自分たちの体がキリストの(体の)一部であることを知らないのですか。それなのに、キリストの(体の)一部を娼婦の一部とするのですか。決してそうであってはなりません。16.それとも、娼婦と結ばれた者は一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人の者は一つの体となる」と言われていますから。17.しかし、主と結ばれる者は(主と)一つの霊となるのです。18.不品行を避けなさい。人が犯すあらゆる罪は体の外にありますが、不品行を行う者は、自分自身の体に対して罪を犯すのです。19.それとも、あなたがたは知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいて、あなたがたの内にある聖霊の宮であって、あなたがた自身のものではないことを。20.あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だからこそ、自分たちの体をもって神に栄光を帰しなさい。



2015年8月19日水曜日

新約聖書原典「コリントの人々への手紙一」5章の翻訳(私訳)

コリントの人々への手紙  

5章


1.現に、あなたがたの内に不品行が、それも、異邦人たちの間にもないような不品行があると聞いています。すなわち、ある人は父親の妻を所有しているということです。2.それなのに、あなたがたは高ぶっています。あなたがたの中から、そのような行いをした者を除くために、もっと悲しむべきではありませんか。3.実際、わたしは体では(あなたがたから)離れていても、霊ではその場に居るのです。ですから、わたしは、その場に居る者のように、このような行いをした者をすでに裁いているのです。4.あなたがたが、[わたしたちの]主イエスの名によって集められたとき、わたしの霊も、わたしたちの主イエスの力によって共にいて、5.そのような者を、肉が滅びるようにサタンに引き渡したのです。それは、霊が主の日に救われるためです。6.あなたがたが誇るのは、良いことではありません。少しのパン種でも、練り粉全体を膨らませることを知らないのですか。7.新しい練り粉であるために、古いパン種を取り除きなさい。事実、あなたがたはパン種のない人々なのです。わたしたちの過越の小羊であられるキリストはほふられたからです。8.ですから、わたしたちは、古いパン種や邪悪で不義のパン種によるのではなく、パン種によらない誠実と真実とによって過越祭を祝おうではありませんか。
9.わたしは(以前に)手紙で、不品行を行う者たちと交際してはいけないと書きましたが、10.それは、この世の不品行を行う者たちや、貪欲で意地汚い者たち、偶像礼拝者たちと一切、交際してはならないということではありません。もしそうであれば、あなたがたは世から出て行かねばならないでしょう。11.実際、わたしがあなたがたに書いたのは、兄弟と呼ばれている人で、不品行を行う者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、悪口を言う者、酒に酔う者、強欲な者がいれば、そのような者とは交際してはいけない、食事も共にしてはいけないということです。12.外の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。中にいる人たちを裁くことが、あなたがたの務めではありませんか。13.外の人々は、神が裁かれます。
『あなたがたの中から、悪を除き去れ』




ἐξάρατε τὸν πονηρὸν ἐξ ὑμῶν αὐτῶν (13)
「あなた方の中から、彼らの悪を除き去れ」

上記は申命記13:5、17:7、21:21、22:21などからの引用である。申命記では「悪を除き去れ」と訳しているように、コリント5:13でも「彼らの悪」とも訳すことが可能。ただし、5章の文脈を考えるなら、例えば、5:2「そのような行いをした者を除くために、もっと悲しむべきではありませんか」と諭していることから、排除するのは「悪を行った者」である。



2015年8月13日木曜日

新約聖書原典「コリントの人々への手紙一」4章の翻訳(私訳)


コリントの人々への手紙  

4章


1.こういうわけですから、人はわたしたちを、キリストの従属者、また、神の奥義の管理者だと思いなさい。2.ここで最後に、管理者に要求されるのは、だれもが忠実であるということです。3.わたしにとって、あなたがたから裁かれようと、あるいは、人間の法廷の日に裁かれようと、それはささいなことにすぎません。否、わたしは自分自身を裁くことすらしないのです。4.わたし自身には、何もやましいところはありませんが、それでわたしが義とされるわけではありません。わたしを裁く方は主なのです。5.ですから、主が来られるまでは、先走って誰をも裁いてはいけません。主は暗闇の隠れたことを明るみに出し、人々の心にある計画を明らかにされるでしょう。そのとき、それぞれの人に神からの称賛が臨むでしょう。
6.さて、兄弟たちよ、わたしはあなたがたのために、これらの説明をわたし自身とアポロとにあてはめてしてきました。それは、わたしたちの例によって、あなたがたが(聖書に)書かれていること以上にそれを超えないことを学ぶため、一人のために他の一人をないがしろにして、うぬぼれることがないようにするためでした。7.では誰が、あなたを(優れた者と)判定したのですか。あなたが持っているもので、いただかなかったものが何かありますか。もしいただいたのなら、どうして、いただかなかったかのように自慢するのですか。
8.あなたがたはすでに満足しており、すでに富んでいるのです。わたしたちはさておき、あなたがたは王となっているのです。いや実際、あなたがたが王になっていたらよかったのに。そうすれば、わたしたちも一緒に王になっていたことでしょう。9.わたしは、こう考えます。神はわたしたちを最後の使徒として、死の宣告を受けた囚人のように見せ物となさいました。それは、わたしたち(使徒)は、世に対しても、天使たちに対しても、人々に対しても見せ物とされたからです。10.わたしたちは、キリストのために愚か者となっていますが、あなたがたはキリストにあって賢い者となっています。わたしたちは弱いですが、あなたがたは強いのです。あなたがたは尊敬されていますが、わたしたちは卑しめられています。11.今に至るまで、わたしたちは飢え、渇き、裸であり、鞭打たれ、住む家もなく、12.自分の手で苦労して働いています。また、ののしられながらも讃美し、迫害されながらも耐え、13.悪口を言われながらも勧めをなし、現在に至るまで、世のクズ、あらゆるもののカスの様になっています。

14.わたしがこのように書くのは、あなたがたに恥をかかすためではなく、わたしの愛する子供たちとして諭すためです。15.あなたがたに、キリストにある養育係が一万人いようとも、父親が大勢いるわけではありません。実に、キリスト・イエスにあって、福音によって、わたしがあなたがたを生んだのです。16.そこで、わたしはあなたがたに勧めます。わたしに倣う者となりなさい。17.こういうわけで、わたしはティモテをあなたがたに派遣したのです。彼はわたしの愛する子で、主にある忠実な者です。彼は、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスにあるわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。18.ある人たちは、わたしがあなたがたのところへ行くことはもうないと思いあがっているようです。19.しかし、主のみこころであれば、すぐにでもあなたがたのところへ行きます。そして、思いあがった人たちの、言葉ではなく力を見せていただきましょう。20.神の国は、言葉の内にあるのではなく、力の内にあるからです。21.あなたがたはどちらを望みますか。わたしはあなたがたのところに、鞭を持って行きましょうか、それとも、愛と柔和な心で行きましょうか。





ὃς ὑμᾶς ἀναμνήσει τὰς ὁδούς μου τὰς ἐν Χριστῷ [Ἰησοῦ] (17)

「彼(ティモテ)は、キリスト・イエスにおけるわたしの生き方を、あなた方に思い起こさせることでしょう」
τὰς ὁδούς μου は way of life の意味。このパウロの「生き方」は、10~13でパウロが告白しているような使徒としての決して人には誇れない「生き方」であり、この生き方をコリントのクリスチャンたちにも「倣う」ようにと願っている(16)。