2013年11月22日金曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」22章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

22章


1.さて、過越祭と呼ばれる除酵祭が近づいていた。2.祭司長たちと律法学者たちは、民衆を恐れていたので、どのようにしてイエスを殺そうかと思案していた。
3.さて、イスカリオテと呼ばれるユダにサタンが入った。彼は十二人の中の一人に数えられていた。4.彼は祭司長たちと神殿長と部下たちの所に行って、どうやってイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。5.彼らは喜び、ユダに銀貨を与えることを申し合わせた。6.ユダもそれを全面的に承諾し、民衆のいない時にイエスを彼らに引き渡そうと、よい機会を狙っていた。
7.さて、過越の小羊がほふられることになっている除酵祭の日が来た。8.そこで、イエスはペトロとヨハネを遣わして、「行って、わたしたちのために、過越の食事ができるように準備をしなさい」と言われた。9.そこで、二人はイエスに言った。「わたしたちはどこに準備しましょうか」。10.イエスは彼らに言われた。「見よ、あなたがたが町へ入ると、水がめを担いだ人に出会うだろう。その人が入る家までその人について行きなさい。11.そして、その家の主人に言いなさい。『わたしの弟子たちと一緒に過越の食事ができる部屋はどこですかと、先生があなたに言っておられます』。12.すると、その人が整えられた二階の広間を見せてくれるだろう。そこに準備しなさい」。13.彼らは出掛けて行き、イエスが言われた通りだとわかったので、過越の食事の準備をした。
14.時間となったので、イエスは席に着かれ、使徒たちもイエスと一緒にいた。15.そして、彼らに言われた。「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることをどんなに切望していたことか。16.あなたがたに言うが、神の国で過越が完成するまで、わたしはもう決して過越の食事をすることはない」。17.そして、杯を取り感謝して言われた。「これを取って、各自に分け与えなさい。18.あなたがたに言うが、神の国が来るまで、わたしは今後、ぶどうの実からのものを飲むことは決してしない」。19.そして、パンを取り、感謝をして裂き、彼らに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えるわたしの体である。わたしを思い出すためにこれを行いなさい」。20.食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。
21.しかし、見よ、わたしを引き渡す者の手が、わたしと一緒に食卓の上にある。22.確かに人の子は、定められたとおり去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は不幸だ」。23.すると、使徒たちは「自分たちの中のいったい誰が、そのようなことをしようとしているのか」と互いに議論し出した。
24.また、「自分たちの中で誰が一番偉いか」と彼らの中で張り合いも起きた。25.しかし、イエスは彼らに言われた。「異邦人たちの間では、王たちが民を支配し、彼らの間で権力を振るう者が立派な人と呼ばれている。26.しかし、あなたがたはそうであってはならない。むしろ、あなたがたの中で一番偉い者はより若い者のように、指導者は仕える者のようになりなさい。27.食事の席につく者と給仕をする者とでは、どちらが偉いか。食事の席につく者ではないか。しかし、わたしはあなたがたの間では、給仕をする者のようにしている
28.あなたがたは、わたしがいろいろな試練の中にいたとき、わたしと共に踏みとどまった人たちである。29.だから、父がわたしに御国を授けてくださったように、わたしもあなたがたにそれを授ける。30.それは、あなたがたがわたしの国において、わたしの食卓で食べたり飲んだりするためである。またあなたがたは裁きの座に座り、イスラエルの十二の部族を裁くだろう。
31.シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを求めて許された。32.しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈った。だからあなたが立ち直った時、あなたの兄弟たちを力づけてやりなさい」。33.シモンがイエスに言った。「主よ、わたしはあなたと一緒に、牢にいたるも死にいたるも備えができています」。34.イエスは言われた。「ペトロよ、あなたに言っておく。あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと否認するだろう」。
35.そして、彼らに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も、旅の袋も、履物も持たずに遣わした時、何か不足でもしたか」。彼らは言った。「何も不足しませんでした」。36.イエスは彼らに言われた。「今はむしろ、財布のある者はそれを持って行きなさい。旅の袋のある者も同様にしなさい。剣のない者は自分の上着を売ってそれを買いなさい。37.だからわたしはあなたがたに言う。『彼は律法を破った者たちの仲間に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に成就されなければならない。わたしについて書かれていることは成就されるからである」。38.すると弟子たちが言った。「主よ、見てください。ここに剣が二振りあります」。イエスは彼らに言われた。「それで充分である」。
39.それからイエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。40.その場所に来られると、彼らに言われた。「誘惑に陥らないように祈っていなさい」。41.そしてイエスは、彼らから石を投げて届くほどの所まで離れて行かれ、両膝をついて祈り始められた。42.「父よ、御心でしたら、この杯をわたしから取り除いてください。しかし、わたしの思いではなく、むしろあなたの御心をなしてください」。【43.すると、天から一人の天使が現われ、イエスを力づけた。44.イエスは苦しみ悶えながらも、真剣に祈られた。汗が濃い血の大粒のしたたりのように地に落ちた。】45.イエスは祈りを終えて立ち上り、弟子たちのところに来てご覧になると、悲しみの果てに彼らは寝入っていた。46.イエスは彼らに言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。
47.イエスがまだ話しておられると、見よ、群衆が現れ、十二人の中の一人でユダと呼ばれる者が彼らを先導し、イエスに接吻しようと近づいて来た。48.しかし、イエスは彼に言われた。「ユダよ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」。49.イエスの周りにいた弟子たちは事の成り行きを見て、「主よ、剣で撃ちましょうか」と言った。50.そして彼らの中の一人が大祭司の僕を撃って、その右の耳を切り落とした。51.しかし、イエスはこのことに対し「もうそれでよい」と言って耳に触れ、その人をお癒しになった。
52.そして、イエスのそばに立っている祭司長たちや神殿の守備隊、また長老たちに対して言われた。「あなたがたは、強盗でも捕まえるかのように、剣やこん棒を持って出て来たのか。53.わたしは毎日、神殿の庭であなたがたと一緒にいたのに、あなたがたはわたしに手を下さなかった。しかし、今こそ闇の権威、あなたがたの時である」。
54.そこで彼らはイエスを捕らえ、大祭司の屋敷に連れて行った。ペトロは遠くからついて行った。55.人々は中庭の真ん中で火をたいて一緒に座っていたので、ペトロも彼らの中で座っていた。56.すると、ある女の召使いが、ペトロが火のそばに座っているのに気付き、彼をじっと見て「この人も彼と一緒でした」と言った。57.しかし、ペトロはそれを打ち消して「婦人よ、わたしはその人を知らない」と言った。58.しばらくして、ほかの人がペトロを見て言った。「あなたも彼らの仲間だ」。しかし、ペトロが言った。「人よ、わたしは仲間ではない」。59.また一時間ほど経って、ほかの誰かが強く主張して言った。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人なのだから」。60.しかし、ペトロが言った。「人よ、あなたの言っていることがわからない」。ペトロがなお話しているとき、直ちに鶏が鳴いた。61.主は振り向いてペトロを見つめられた。するとペトロは「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と、主が自分に言われた言葉を思い出した。62.そして、外へ出て激しく泣いた。
63.イエスを見張っていた男たちは、イエスをあざけりながら(棒で)殴っていた。64.そしてイエスに目隠しをさせ、「言い当ててみよ、お前を打ったのは誰か」と言って問うたりした。65.また、そのほか多くの汚しごとをイエスに浴びせた。

66.夜が明けると、民の長老会が、祭司長たち律法学者たちと共に集まり、イエスを彼らの議会に連れて行って、67.「もしお前がキリストなら、そうだと我々に答えよ」と言った。そこでイエスは彼らに言われた。「たとえわたしがそうだと言っても、あなたがたは決して信じないだろう。68.たとえわたしが尋ねても、決して答えないだろう。69.しかし、今から人の子は力ある神の右の座につくだろう」。70.皆の者が言った。「では、お前は神の子なのか」。イエスは彼らに言われた。「あなたがたの言うとおり、わたしがそれである」。71.彼らは言った。「もはや何の証言の必要があろうか。我々自身が彼の口から聞いたのだから」。





  καὶ γενόμενος ἐν ἀγωνίᾳ ἐκτενέστερον προσηύχετο· καὶ ἐγένετο ὁ ἱδρὼς αὐτοῦ ὡσεὶ θρόμβοι αἵματος καταβαίνοντες ἐπὶ τὴν γῆν (44)

44.「イエスは苦しみ悶えながらも、真剣に祈られた。汗が濃い血の大粒のしたたりのように地に落ちた」。
   上記は、十字架につけられる直前のゲッセマネにおけるイエスの祈りの様子を描いたものである。共観福音書の著者のいずれも、このゲッセマネのイエスの祈りを、特別なこととして描いている(マタイ26:37.38、マルコ14:34~36)。「苦しみ悶える」を意味する ἐν ἀγωνίᾳ は、「死の苦しみにもだえること」を表す。その後に続くἐκτενέστερον は「真剣に、絶え間なく」という意味。ゆえにイエスは「死の苦しみにもだえ苦しみながら、真剣に途切れることなく」祈られた。その結果、汗がまるで「濃い血の大粒のしたたりのように」地面にしたたり落ちたのであった。  
なお、43,44の【 】がついている部分は、元来の本文にはなかったもので、後の時代の伝承の中で生まれたものだというのが今日の解釈である。これについては、ネストレ=アーラントギリシア語新約聖書(28版)の序文から引用して紹介しておきます。
『本文中の【 】は、括弧内の大抵比較的長い語句が、元来の本文の一部ではないと知られていることを示している。これらの本文は伝承のごく初期の段階に由来し、また、教会の歴史上、しばしば重要な役割を果たしてきた』(ここの箇所以外にも、ヨハネによる福音書7:53~8:11、マルコによる福音書16:8後半~20なども)

καὶ στραφεὶς ὁ κύριος ἐνέβλεψεν τῷ Πέτρῳ(61)

「主は振り向いて、ペトロを見つめられた」


   「主は振り向いて」は、まさにペトロがイエスを三度拒んだ直後に鶏が鳴いたあの時である。一方ペトロは鶏が鳴いたことでイエスの言われたあの言葉を思い出した。主がペトロの方を振り向いて、ペトロを見つめられたことと、ペトロの一瞬にしての回顧が同時に起こったのであった。「見つめられた」を意味する ἐνέβλεψεν(エネブレプセン) は「じっと見た、直視した」で、単に見るのではなく、それより一層強調されている。