2014年5月1日木曜日

新約聖書原典「ヨハネの黙示録」14章の翻訳(私訳)


ヨハネの黙示録 

14章


1.また、わたしは見た。見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々も小羊と共にいて、彼らの額には小羊の名と小羊の父の名が書かれていた。2.そして、大水のとどろきのような、大きな雷鳴のような声が天から聞こえた。わたしが聞いたその声は、竪琴を弾く者たちが自分の竪琴を弾きながら歌う声のようであった。3.彼らは御座の前と、四つの生き物と長老たちの前で新しい歌を歌った。これは、地から贖われた十四万四千の人々以外には誰も学ぶことができない歌であった。
4.これらの人々は、女で汚されなかった人々、身を清く保った人々である。これらの人々は、小羊が行く所ならどこへでもついて行く。これらは神と小羊とにささげられる初穂、人々の中から贖われた者たちで、5.彼らの口には偽りがなく、傷がない。
6.わたしはまた、ほかの天使が、中空を飛んでいるのを見た。彼は、地上に住む人々とすべての国民、部族、言葉の違う民、民衆に知らせようと、永遠の福音を携えて、7.大声で言った。
「神を畏れ、神に栄光を帰せよ。
神の裁きの時が来たからである。
天と地と海と水の源を造られた方を礼拝せよ。」
8.また、ほかの第二の天使が続いて来て言った。
「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。彼女の偶像礼拝による激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国の民に飲ませた者。」
9.また、ほかの第三の天使が彼らに続いて来て、大声で言った。
「もし、獣とその像を礼拝し、その額や手に刻印を受ける者がいれば、10.この者は、神の御怒りの杯に、混ぜものなしに注がれた神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、また、聖なる天使たちの前と小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられるであろう。11.彼らの苦しみの煙はいつまでも限りなく立ち昇り、獣とその像を礼拝する者たち、また、その名の刻印を受ける者がいれば、彼らは昼も夜も休息が得られない。12.ここに、神の戒めと、イエスの信仰を守る聖なる者たちの忍耐がある。」
13.わたしはまた、天からこう語る声を聞いた。
「書き記せ、今から主にあって死ぬ死者たちは幸いだ」。御霊が言う、「然り、彼らはその労苦から解かれ休息を得るであろう。彼らの行いが、彼らと共についてくるからである。」
14.また、わたしは見た。見よ、輝く雲が。その雲の上には、人の子のような方が座しておられ、その頭上には金の冠を戴き、その手に鋭い鎌を持っていた。15.また、ほかの天使が聖所から出て来て、雲の上に座しておられる方に大声で叫んだ。
「あなたの鎌を入れて刈り取りなさい。
刈り入れの時が来て、地の作物が熟したから。」
16.そこで、雲の上に座っておられる方が、鎌を地上に投げ入れると、地は刈り取られた。

17.また、ほかの天使が天にある聖所から出て来た。その天使も鋭い鎌を持っていた。18.また、火をつかさどる権威を持つほかの天使が祭壇から[出てきて]、鋭い鎌を持つこの天使に大声で叫んで言った。「あなたの鋭い鎌を入れて、地のぶどうの房を収穫しなさい。ぶどうの実が熟したから」。19.そこで、天使は自分の鎌を地に投げ入れ、地のぶどうを刈り集め、神の怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。20.その酒ぶねは都の外で踏まれ、血が酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに達するまでになり、(その範囲は)千六百スタディオン《296キロメートル》に及んだ。



●「自然の中で聴く聖書」ヨハネの黙示録 14章
https://youtu.be/P9ZgzTCPN0M


★6~12節は三天使のメッセージと言われるもの。このメッセージが重要視されるのは、この三人の天使が、ἔχοντα εὐαγγέλιον αἰώνιον εὐαγγελίσαι ἐπὶ τοὺς καθημένους ἐπὶ τῆς γῆς 「地上に住んでいる人々に永遠の福音を携えて」(6)いるからである。そして三天使はいずれも πετόμενον ἐν μεσουρανήματι 、「空中を飛ぶ」(6)という表現とともに、λέγων ἐν φωνῇ μεγάλῃ大声で言った」(7)、ἠκολούθησεν λέγων 第二の天使が「続いて言った」、ἠκολούθησεν αὐτοῖς λέγων ἐν φωνῇ μεγάλῃ  第三の天使が「彼らに続いて大声で言った」(9)など、次々と連続して緊急なメッセージを地上に住む人々に伝えようとしている表現からもわかる。

★14:12の「イエスの信仰」について
「ここに、神の戒めと、イエスの信仰を守る聖なる者たちの忍耐がある。」

口語訳聖書を使用してきた多くの信徒の方々は「イエスを信じる信仰」と訳された口語訳になじみがあるので、『イエスの信仰』との訳に違和感を持たれる方は多いとおもいます。そこで、この訳そのものの違いがどうして生まれるのか、またその違いから生じる釈義上の問題について私なりに整理して簡単に述べてみたいと思います。

 まず、原文のギリシア語でこの部分(ネストレ=アーラント28版)を表記しておきます。

 Ωδε ἡ ὑπομονὴ τῶν ἁγίων ἐστίν, οἱ τηροῦντες τὰς ἐντολὰς τοῦ θεοῦ καὶ τὴν πίστιν Ἰησοῦ.

 アンダーラインで示した部分を直訳しますと、『神の戒めとイエスの信仰』となり、欽定訳も『the commandments of God,and the faith of Jesus』と訳しています。ただし、これは τοῦ θεοῦ(トゥー テェウー)、Ἰησοῦ(イエースー)を、『神の』『イエスの』と訳すギリシア語属格の一般的な訳し方です。ですから、ここを属格(所有を意味する)で訳すと上記のようになり、それはそれで正しいのですが、釈義的な意味を加えると奪格(起源を意味する)として訳す必要が出てきます。それら(戒め、信仰)は、もともと神、キリストが所有するものであり(起源)神とキリストに起源があり、それが人間である我々に与えられたものであると言う解釈です。ですから奪格として訳せば、つぎのようになります。

 

『神から与えられた戒め、イエスから与えられた信仰』

 

上記の聖句の『神の』『イエスの』を属格と考えるのか奪格と考えるのかは、ひとえに前後の文脈によります。どちらを採るにしても、この聖句には上記の本義が含まれることを覚えている必要があります。

 口語訳聖書の訳『イエスを信じる信仰』にしても、イエスを信じる『わたしに起源をもつわたしの信仰』ではなく、本来はそれがイエスのみに起源があり、イエスの所有であった信仰が、今や受肉と十字架とによって信じる我々に『イエスから与えられ、われわれのものとなった信仰』という理解が必要かと思います。

 

★14~20節は前節の6~12節に続く人類歴史のクライマックス(歴史的終末論的キリスト再臨)の出来事を予告している。14~20は二つの部分からなり、14~16の鎌で地の作物が収穫されることを予告し、17~20は鎌で地の熟したぶどうの房が刈り集められ、酒ぶね(圧搾機)で搾られ、搾られたぶどうが血に変わることを予告している。両者は6~12節の緊急の警告を受け入れたグループと拒んだグループの二つの結末を象徴的に描いている。





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