2017年4月12日水曜日

新約聖書原典「ヘブライの人々への手紙」6章の翻訳(私訳)

ヘブライの人々への手紙 

6章


1.そういうわけですから、わたしたちは、キリストの教えの初歩をあとにして、完成に向かって進もうではありませんか。死んだ行いからの悔い改め、神への信仰、2.浸礼や手を置くことなどに関する教え、死者たちの復活と永遠の裁きなどの基本的なことがらを、再び繰り返すのをやめようではありませんか。3.神がお許しになるなら、そうしよう。
4.ひとたび光を受けて、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者とせられ、5.神の良き言葉と、来たらんとする世界の力とを経験した者たちが、6.(その後)再び堕落した場合は、神の子を自分たちでまた十字架につけてさらしものにするのですから、再び悔い改めて元の状態に戻ることはできません。7.地が、度々その上に降る雨を吸い込み、それによって耕す人々のために役立つ作物を生み出すなら、神からの祝福にあずかります。8.しかし、地が、いばらやあざみを生えさせるなら、それは無用のものとなり、やがて呪われ、ついには焼かれてしまいます。
9.しかし、愛する人々よ、こう言っていても、わたしたちは、あなたがたについては、さらに優ったこと、すなわち救いがあると確信しています。10.神は不誠実な方ではないので、あなたがたの働きと、あなたがたが聖徒たちにこれまで仕え、また今も仕え続けている神の御名のために示した愛をお忘れになることはありません。11.わたしたちは、あなたがた一人ひとりが最後まで望みを満たし続けるために、その同じ熱心さを示し、12.怠け者とならず、信仰と忍耐とによって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるようにと切に望んでいます。
13.神がアブラハムに約束されたとき、誓いを立てるのに、ご自身より大いなる者がいなかったので、ご自身を指して誓って、
14.『わたしは必ずあなたを豊かに祝福し、
必ずあなたの子孫を大いに増やす』

と言われました。15.このようにして、アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを受けたのです。16.人は、自分より偉大なものを指して誓います。そして、その誓いは、あらゆる反対論を終わらせ、確信を持つに至らせます。17.神は、約束を受け継ぐ人々に、その計画が変わらないことをいっそうはっきり示したいと望まれ、誓いによって保証されたのです。18.それは二つの不変の事がらによって、―その二つの事において、神は偽ることがお出来になりません― 前に置かれている望みを捕らえようと(世を)逃れて来たわたしたちが、力強い慰めを得るためです。19.わたしたちが持っているこの望みは、たましいを安定させ、不動のものとするいわば錨のようなものであって、垂れ幕の内側に入り行かせるものです。20.その場所に、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられたイエスが、先駆者としてわたしたちのために入られたのです。


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★「再び繰り返すのをやめようではありませんか」(2)
  繰り返す⇒「基礎を据える」の意味がある。

★「垂れ幕の内側」(19)τὸ ἐσώτερον τοῦ καταπετάσματος
  この垂れ幕(καταπετάσμα)は①聖所と至聖所の間を隔てている幕、②聖所の入口にある幕、の両者に適用可能であるが、ヘブライ9:3では①の幕を「第二の幕」という言い方で区別していることから、ここでは②の聖所の入口にある幕と解釈するのが正しいようである。




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