2015年10月2日金曜日

新約聖書原典「コリントの人々への手紙一」 12章の翻訳(私訳)


コリントの人々への手紙  

12章


1.兄弟がたよ、霊の賜物については、あなたがたに無知でいてほしくはありません。2.あなたがたがかつて異邦人であったときは、誘われるままに声も出せない偶像のもとへ連れて行かれたのを覚えておられるでしょう。3.ですから、あなたがたには知ってもらいたいのです。すなわち、神の霊によって語る人はだれも、『イエスは呪われたもの』とは言わないし、聖霊によらなければだれも、『イエスは主である』と言うことができません。
4.賜物には違いがありますが、(それをお与えになるのは)同じ御霊です。5.奉仕には違いがありますが、(それをお与えになるのは)同じ主です。6.働きには違いがありますが、すべてにおいてすべてをなされる方は同じ神です。7.各自に御霊の現れが与えられているのは、(全体の)益のためです。8.ある人には、御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、この同じ御霊によって知識の言葉が、9.ほかの人には、この同じ御霊によって信仰が、またほかの人には、この一つの御霊によって癒しの賜物が、10.またほかの人には、力強い働きが、またほかの人には預言が、またほかの人には霊を判別することが、別の人には種々の異言が、またほかの人には異言を解釈する(能力)が与えられています。11.これらすべてのことをなさっておられるのは一つの同じ御霊で、この方が御旨のままにそれぞれ一人ひとりに(賜物を)分け与えておられるのです。

12.体は一つでも、多くの肢体があるように、体の各肢体は多くても体は一つです。キリストの場合も同様です。13.というのは、わたしたちは、ユダヤ人であろうと、ギリシア人であろうと、奴隷であろうと、自由の身であろうと、皆が一つの御霊によって一つの体となるようにバプテスマを受け、また、わたしたちはみな一つの御霊を飲ませていただいたのですから。14.体は一つの肢体ではなく、多くの肢体から成っています。15.もし、足が、『わたしは手ではないから体には属さない』と言っても、それで体に属さないでおれるでしょうか。16.もし、耳が、『わたしは目ではないから体には属さない』と言っても、それで体に属さないでおれるでしょうか。17.体全部が目なら、どこで聞くのでしょうか。体全部が耳なら、どこでかぐのでしょうか。18.しかし今や、神はみこころに従って、体の中にそれぞれに各肢体を備えてくださいました。19.体全部が一つの肢体なら、体はいったいどこにありますか。20.ですから、肢体は多くあっても、体は一つなのです。21.目が手に向かって『お前はいらない』と言うことはできないし、あるいは、頭が足に向かって『お前たちはいらない』と言うこともできません。22.むしろ、体の最も弱いと思える肢体がかえってますます必要なのであり、23.体の見劣りがすると思える部分を覆って、わたしたちはそれらをより良くし、わたしたちの不恰好なところをもっと形の良いものにするのです。24.わたしたちの中の形の良い部分は、そうする必要がありませんが、神は不足した部分に一層の価値を与えて体を組み立てられました。25.それは、体に分裂がなく、各肢体が互いにいたわり合うためなのです。26.もしも、一つの肢体が苦しめば、(他の)すべての肢体も共に苦しみ、もしも、一つの肢体が尊ばれれば、(他の)すべての肢体も共に喜ぶのです。27.あなたがたはキリストの体であり、(一人ひとりは)それらの肢体の一部です。28.神は教会の中に人々を置かれました。それは第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に力ある業を行う者、次に癒しの賜物を持つ者、援助者、管理者、異言を語る者などです。29.全員が使徒でしょうか。全員が預言者でしょうか。全員が教師でしょうか。全員が力ある業を行うのでしょうか。30.全員が癒しの賜物を持つのでしょうか。全員が異言を語るのでしょうか。全員が(異言を)解釈するのでしょうか。31.しかし、あなたがたは、さらに優れた賜物を求めなさい。そこで、わたしはあなたがたに、最も優れた道を示しましょう。




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