2015年10月21日水曜日

新約聖書原典「コリントの人々への手紙一」15章の翻訳(私訳)


コリントの人々への手紙  

15章


1.さて兄弟たちよ、わたしがあなたがたに宣べ伝えた福音を教えてあげましょう。その福音を、あなたがたは受け入れ、その福音によってあなたがたは(今)立っているのです。2.わたしがどんな言葉であなたがたに宣べ伝えたかをしっかり保っていれば、あなたがたはその福音によって救われるのです。そうでないと、あなたがたが信じたことが無駄になってしまいます。3.わたしは自分が受けたことを、まず初めにあなたがたに伝えたのです。それは、聖書に書かれているとおり、キリストがわたしたちの罪のために死なれたこと、4.また、聖書に書かれているとおり、葬られ三日目に復活させられたこと、5.そしてケファに現れ、次に十二人に現れたこと、6.その後、一度に五百人以上の兄弟たちに現れました。その中の何人かはすでに眠りにつきましたが、大部分の者たちは今日まで生きています。7.その後、ヤコブに現れ、次にすべての使徒たちに現れました。8.最後にいわば月足らずで生まれたようなわたしにも現れてくださったのです。9.わたしは使徒たちの中で最も小さい者で、使徒と呼ばれるに値しない者です。なぜなら、わたしは神の教会を迫害したのですから。10.しかし、神の恵みによって今のわたしがあります。わたしに与えられた神の恵みは無駄にはならず、むしろ、彼らの中のだれよりも多く働きました。しかし、働いたのはわたしではなく、わたしと共にある神の恵みです。11.ですから、わたしにしても、かの人たちにしても、わたしたちがこうして宣べ伝えたので、あなたがたはこのように信じたのです。
12.ところで、キリストが死者たちの中から復活させられたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある人たちは、死者たちの復活などはない、と言っているのはどうしてでしょうか。13.もしも、死者たちの復活がないとすれば、キリストも復活させられなかったでしょう。14.もし、キリストが復活させられなかったとすれば、わたしたちの宣教は空しく、わたしたちの信仰も空しい。15.もし本当に死者たちが復活させられないとすれば、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたとして、わたしたちは神に反する証しを立てて、神を偽って証言していることになります。16.もし、死者たちが復活させられないとすれば、キリストも復活させられなかったことでしょう。17.もしキリストが復活させられなかったとすれば、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたはなお罪の中にいることになるのです。18.すると、キリストにあって眠りについている人々は滅びたことになります。19.もし、わたしたちが、この世の生活でキリストに希望を抱いているだけだとすれば、わたしたちはすべての人々の中で最もみじめな存在です。
20.しかし、今や、キリストは死者たちの中から復活させられて、眠った人々の初穂となられたのです。21.なぜなら、死は一人の人によってもたらされたのですから、死者たちの復活も一人の人によってもたらされるのです。22.アダムによってすべての人が死んでいるのと同じように、こうしてキリストによってすべての人が生きることとなるのです。23.各自には、それぞれ定められた順序があります。初めにキリスト、次にキリストの来臨の際にキリストに属する者たち、24.それから終わりが(来ます)。その時、キリストはすべての支配とすべての権威と力とを滅ぼし、父でもある神に王権を渡されます。25.それは、キリストが、すべての敵をご自分の足下に置くその時まで、王である必要があるからです。26.最後の敵である死が滅ばされます。27.『キリストは、すべてのものをその足下に服従させた』からです。しかし、すべてが服従させられたと宣言されるとき、すべてのものをご自身に服従させた方はそれに含まれないことは明白です。28.すべてのものがキリストに服従するとき、その時に、御子自身も、すべてのものをご自分に服従させてくださった方に服従されるでしょう。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。
29.こう言う訳なのに、死んだ人々のためにバプテスマを受ける人たちは、いったいなぜそういうことをするのでしょうか。実際、死者たちが復活しないのなら、どうして彼らのためにバプテスマを受けるのでしょうか。30.わたしたちはなぜいつも危険をおかすのでしょうか。31.日々、わたしは死んでいます。[兄弟たちよ]、これは、わたしたちの主キリスト・イエスにあってわたしが持っているあなたがたの誇りにかけて(言えます)。32.わたしが人間的にエフェソで野獣と戦ったとしたら、わたしに何の益があったでしょうか。もし、死者たちが復活させられないとすれば、『我々は食い飲みしよう、明日は死ぬのだから』。33.惑わされてはいけません。「悪い付き合いは、良い習慣を破壊」します。34.酔いをさまして身を正しなさい。罪を犯してはいけません。神について無知な人々がいるからです。わたしはあなたがたを恥じ入らせるためにこう言っているのです。
35.ところが、死者たちは、どのようにして復活させられるのだろう、どんな体で現れるのだろう、とある人たちは言います。36.愚かな者よ、あなたが蒔くものは、死ななければ生きたものとはなりません。37.あなたが蒔いているものは、やがて現れる体ではなく、ひょっとしたら穀物か何かその他のただの種粒です。38.しかし、神はみこころに従ってそれに体を与え、それらの種の一つひとつに固有の体をお与えになります。39.すべての肉が同じ肉なのではなく、人の肉もあれば動物の肉もあり、鳥の肉もあれば魚の肉もあります。40.また、天上の体もあり、地上の体もあります。しかし、天上の輝きと、地上の輝きとは異なります。41.ほかにも太陽の輝き、月の輝き、星々の輝きがあり、星と星とにもその輝きに違いがあります。
42.これと同じように、死者たちの復活も、朽ちるものとして蒔かれますが、朽ちないものとして復活させられます。43.卑しい者で蒔かれますが、栄光の内に復活させられます。弱い者で蒔かれますが、強い者で復活させられます。44.自然のままの体で蒔かれますが、霊的な体で復活させられます。自然のままの体があるなら、霊的な体もあります。45.『最初の人アダムは生きる者となった』と書かれているように、最後のアダムは命を与える霊の人となったのです。46.しかし、霊的な体が最初なのではありません。自然のままの体が最初です。その後に霊的な体となるのです。47.最初の人は地から出て土から造られましたが、第二の人は天から出られました。48.土から造られた人がそうであるように、土から造られた人たちもまさにそれと同じです。天から出た方がそうであるように、天から出た人たちもまさにそれと同じです。49.わたしたちが土から造られ姿を着たように、天から出た姿をも着ることになるでしょう。
50.兄弟たち、わたしはこう言っておきます。肉や血は神の国を受け継ぐことができないし、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。51.ごらんなさい。わたしはあなたがたに奥義を告げましょう。わたしたちすべての者は眠り続けるのではなく、わたしたちすべての者は変えられるのです。52.最後のラッパが鳴り響く中、またたく間に一瞬にして変えられます。ラッパが鳴ると、死者たちは朽ちないものとして復活させられ、わたしたちは変えられます。53.なぜなら、この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着ることになるからです。54.この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着る時、こう書かれている言葉が実現するのです。
『死は勝利にのまれた。
55.死よ、おまえの勝利はどこか。
死よ、おまえのとげはどこか。』

56.死のとげは罪であり、罪の力は律法です。57.しかし、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を与えてくださっている神に感謝します。58.ですから、わたしの愛する兄弟たちよ、堅固で動かされることなく、主の業にいつも励んでいなさい。あなたがたは自分たちの労苦が主の御前に無駄ではないことを知っているのですから。




Εἰ δὲ Χριστὸς κηρύσσεται ὅτι ἐκ νεκρῶν ἐγήγερται (12)
「キリストは死者たちの中から復活させられたと宣べ伝えられているのに…」

15章は死者の復活を扱っていますが、パウロによると、死者の復活はイエスの復活をその根拠にあげています。15章で、「復活された」という言葉が多く出てきますが、いずれもἐγήγερται と完了形、受動態で現れます。ギリシア語では完了形の場合、受動態と中動態は同じ形をしているので、中動態として「(自ら復活した」とも訳し得るが、15節を読むと、「神がキリストを復活させて…」と言っているので、ἐγήγερται は「復活させられた」と訳すのが正しいと思われる。したがってキリストは自ら復活されたのではなく、死者たちが「復活させられる」のと同様に、神によって「復活させられた」のである。







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