2015年9月2日水曜日

新約聖書原典「コリントの人々への手紙一」7章の翻訳(私訳)


コリントの人々への手紙  

7章


1.あなたがたが(手紙で)書いてきたことについてですが、女に触れないのは、男にとっては良いことです。2.しかし、不品行を避けるために、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。3.夫は妻に義務を果たし、同様に、妻も夫に義務を果たしなさい。4.妻は自分の体を自由にはできず、それができるのは夫です。同様に、夫も自分の体を自由にはできず、それができるのは妻です。5.互いに拒んではいけません。ただ、あなたがたが祈りに専念するために合意の上で少しの間離れ、再び一緒にいようとする場合は別です。それは、サタンがあなたがたの自制心のないのに乗じて、あなたがたを誘惑しないためです。6.わたしは譲歩のつもりでこう言っていて、命令のつもりで言っているのではありません。7.わたしはみんなに、わたし自身のようになってほしいのです。しかし、各自は神から自分の賜物をいただいています。ある人はこのように、他の人はあのように。
8.未婚の人たちと未亡人の人たちに言いますが、わたしのように(一人のままで)いられるなら、それがよろしい。9.しかし、自制できなければ、結婚しなさい。情欲で燃え上がるよりは、結婚する方がましだからです。10.結婚している人たちに命じます。これはわたしが言うのではなく、主が言われるのです。妻は夫と別れてはいけません。11.もし別れたのなら、結婚しないでいるか、夫と復縁しなさい。夫も妻を離縁させてはいけません。12.その他の人たちには、主ではなくわたしが言うのですが、ある(信者である)兄弟に信仰を持たない妻がいて、彼女が夫と一緒に住むことに同意しているのなら、夫は彼女と離縁してはいけません。13.また、(信者である)妻に信仰を持たない夫がいて、夫が彼女と一緒に住むことに同意しているのなら、彼女は夫と離縁してはいけません。14.信仰を持たない夫は、妻によって聖別され、信仰を持たない妻は、兄弟によって聖別されているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは、汚れた者ということになりますが、現に聖なる者なのです。15.しかし、信仰を持たない相手が離縁していくなら、離縁させなさい。兄弟や姉妹は、こういうことに縛られてはいけません。神はあなたがたが平和でいるようにと召されたのです。16.婦人よ、あなたが夫を救えるかどうか、どうしてわかりますか。夫よ、あなたが妻を救えるかどうか、どうしてわかりますか。
17.ただ、主が各自に分け与えてくださったように、神が各自を召してくださったように歩みなさい。わたしはどの教会でも、そのように命じています。18.割礼のある者が召された場合、(その跡を)消してはいけません。割礼のない者が召された場合、割礼を受けてはいけません。19.割礼があってもなくても、それは問題ではありません。大切なのは神の戒めを守ることです。20.各自は、召された時の召しの状態のままでいなさい。21.奴隷が召しを受けた場合、気にしてはなりません。ただし、自由になることができるなら、むしろ(その機会を)利用しなさい。22.主によって召しを受けた奴隷は、主によって解放された自由人なのですから。同様に、召しを受けた自由人は、キリストの奴隷なのです。23.あなたがたは代価を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。24.兄弟たちよ、各自は召されたままの状態で、神の御前にとどまっていなさい。
25.乙女たちについて、わたしは主からの命令を受けていませんが、主から憐みを受けている信仰者として意見を述べましょう。26.さて、わたしはこうするのが良いと考えています。苦難が間近に迫っているので、人は現状でいるのが良いと思います。27.あなたが妻を得ているなら、解こうとしてはいけません。あなたが妻から解かれているなら、妻を求めてはいけません。28.しかし、あなたが結婚しても、罪を犯すのではありません。また乙女が結婚しても、罪を犯すのではありません。ただ、この人たちはその身に苦労を背負うことになるでしょう。わたしとしては、あなたがたを(これらのことから)遠ざけたいのです。29.兄弟たちよ、わたしがこう言うのは、時が縮まっているからです。今後は、妻のある者たちはない者のように、30.また、泣く者たちは泣かない者のように、喜ぶ者たちは喜ばない者のように、買う者たちは持たない者のように、31.世にかかわる者たちは、かかわりのない者のようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。32.わたしはあなたがたを、思い煩うことのない者とさせたいのです。未婚の男性は主のことに心を用いて、どうにかして主を喜ばせようとします。33.しかし、既婚の男性はこの世のことに心を用いて、どうにかして妻を喜ばせようと、34.(心が)分散してしまいます。また、未婚の女性と乙女は、身も心も清くあろうとして、主のことに心を用います。しかし、既婚の女性は、この世のことに心を用いて、どうにかして夫を喜ばせようとします。35.わたしがこう言うのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが上品な生活をして、主に余念なく忠実に仕えるためなのです。
36.もし、ある人が、自分の(引き取って養育をしている)乙女に対し、体裁が悪いと思いつつも、適齢期を過ぎようとしていて、そうなるべきだと思うなら、彼が望むことをしなさい。それは罪を犯すのではありません。二人は結婚しなさい。37.しかし、自分の心の内に固く決心し、自分の欲求に権利を持ちながらも、強制ではなく、自分の(相手の)乙女をそのままにしておこうと自分の心に決めた人は、そうするのが良いでしょう。38.このように、自分の(相手の)乙女と結婚する人は良いことをするのですが、結婚しない人はさらに良いことをするのです。

39.妻は、自分の夫が生きている期間は縛られていますが、夫が死ねば自由となり、望む人と再婚できますが、(それができるのは)主にある人に限られます。40.わたしも神の霊をいただいていると思っていますので、わたしの意見では、彼女はそのままでいる方がずっと幸せなのです。






★「女に触れないのは」γυναικὸς μὴ ἅπτεσθαι· (7:1)
「結婚しないこと」の意

★「奴隷が召しを受けた場合、気にしてはなりません。ただし、自由になることができるなら、むしろ自由になりなさい」(7:21)

21節の後半の訳に注意してください。この部分を、新共同訳では真逆に訳しています。下記がその訳です。
自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい」(新共同訳 コリント一 7:21)

口語訳、新改訳では、ほぼ筆者と同様に訳しています。はたしてどちらの訳が正しいのでしょうか。原典は次のように言っています。

ἀλλʼ εἰ καὶ δύνασαι ἐλεύθερος γενέσθαι, μᾶλλον χρῆσαι (21の後半)

神の召しを受けた奴隷(クリスチャンに呼び出された奴隷)は、その家の主人から自由になることは、かならずしも保障されていないが、主人の恩寵によって自由になる選択の権利が与えられたならば、自由になる権利を用いなさい、という意味です。上記の μᾶλλον χρῆσαι は、「その権利、機会をむしろ用いなさ い」という積極的な意味をもつ。

★36~38の翻訳について
この部分の翻訳には主な翻訳を比較すると、三つの翻訳の違いがあることに気づく。それは、36の冒頭に現れる「ある人」と「乙女」との関係についてである。以下の三つの訳の違いに注意。

①「ある人」ー未婚の、ある男。 「乙女」ー未婚の、ある男の情熱の対象となっている乙女ーーー口語訳、新共同訳、筆者、

②「ある人」ー乙女を持つ父親。 「乙女」ーある父親のもとにいる婚期が過ぎようとしている娘。---新改訳。

③「ある人」ー未婚の、ある男。 「乙女」ー未婚のある男が結婚をしようとする、婚期が過ぎようとしている乙女。ーーーkjv、筆者

以上の訳の違いは原典の36節にある τὴν παρθένον αὐτοῦ  と ἐὰν ᾖ ὑπέρακμος  をどのように訳すかで、上記のように三つの翻訳の違いとなる。
τὴν παρθένον αὐτοῦ (彼の乙女を)ーーー(ある人の相手の乙女)か(ある人乙女)なのか。
ἐὰν ᾖ ὑπέρακμος (強い情熱を抱くなら・婚期を過ぎるかもしれない)。この場合いずれも訳しうるが、「ある人」「乙女」のどちらを主語とするかによって訳が異なる。筆者は後の方の解釈をとる立場です。








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