2012年5月31日木曜日

新約聖書原典「マタイによる福音書」6章の翻訳(私訳)

マタイによる福音書

6章


1.人々に見てもらおうと、あなたがたの義を人々の前で行わないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父の御前で、報いを得ることができなくなる。
2.だから、施しをする時は、偽善者たちが人々からの賞讃を得る為、諸会堂や、人の行き交う通りでしているように、あなたの前でラッパを吹きならしてはならない。よく言っておくが、彼らは自分たちの報いを受けてしまっているのだ。3.あなたが施しをする時、あなたの右の手がしていることを、あなたの左の手に知らせてはならない。4.それは、あなたの施しが隠れるようになるためである。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父は、あなたに報いてくださるだろう。
5.また、あなたがたが祈る時、偽善者たちのようであってはならない。なぜなら、彼らは人々にわかるように、会堂や大通りの街角に立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らは自分たちの報いを受けてしまっているのだ。6.だから、あなたが祈る時、あなたの奥まった部屋に入り、扉を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父は、あなたに報いてくださるだろう。
7.また祈る時、異邦人たちのようにくどくどと祈ってはならない。彼らは自分たちの言葉数が多ければ聞かれるものと思っている。8.だから彼らの真似をしてはならない。あなたがたの父は、あなたがたが願う前から、あなたがたの必要をご存知なのだから。
9.だから、あなたがたはこのように祈りなさい。
『天におられる、わたしたちの父よ。
あなたの御名があがめられますように。
10.あなたの御国が来ますように。
あなたの御心が、天でなされるとおり、
地の上でもなされますように。
11.わたしたちの必要とする食物を、
今日、わたしたちに与えてください。
12.わたしたちに負債がある人々を、わたしたちも赦しましたように、
わたしたちの負債をもお赦しください。
13.わたしたちを試みにあわせず、
悪い者からわたしたちを救ってください。』
14.もし、あなたがたが人々の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださる。15.しかし、あなたがたが人々を赦さないなら、あなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してはくださらない。
16.また、あなたがたが断食する時は、偽善者たちのように暗い顔つきになってはならない。彼らは断食しているのを人々に見られようとして、自分たちの顔を陰気にする。よくあなたがたに言っておくが、彼らは自分たちの報いを受けてしまっているのだ。17.あなたが断食する時、頭に油をぬり、あなたの顔を洗いなさい。18.それは断食しているのを人々に気づかれず、隠れた所におられるあなたの父に知られるためである。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父は、あなたに報いてくださる。
19.あなたがたは、この地上に宝をたくわえてはならない。そこではしみや錆がそれらを駄目にし、また盗賊どもが押し入って盗んだりする。20.あなたがたは宝を天にたくわえなさい。そこではしみや錆がついて駄目になることもなく、また盗賊どもが押し入って盗むこともない。21.あなたの宝がある所には、あなたの心もそこにあるからだ。22.体の明かりは目である。だから、あなたの目が健康なら、あなたの全身も明るい。23.しかし、あなたの目が悪ければ、あなたの全身も暗い。だから、あなたの中にある光が暗ければ、その暗さはどれほどだろう。
24.誰も二人の主人に兼ね仕えることはできない。なぜなら一方を憎み、他方を愛するか、あるいは一方を親しみ、他方を軽んじるからである。あなたがたは神と富とに兼ね仕えることはできない。

25.だからわたしはあなたがたに言う。何を食べようか、[あるいは、何を飲もうか]と、あなたがたの命のことで、また、何を着ようかと、あなたがたの体のことで心配してはならない。命は食物にまさり、体は衣服にまさるではないか。26.空の鳥たちを見なさい。蒔くことも、刈り取ることも、倉に取り入れることもしない。それなのに、あなたがたの天の父は、それらを養っていてくださる。あなたがたはそれらよりはるかに優れた者ではないか。27.あなたがたのうち、誰が心配したところで、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。28.衣服のことでなぜ心配するのか。野のユリがどのように育っているかよく観察してみなさい。労苦もせず紡ぎもしない。29.しかし、わたしはあなたがたに言う。栄華を極めたソロモンでさえ、これらの花の一つほどにも身につけてはいなかった。30.今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたにそれ以上に装ってくださらないことがあろうか。信仰のうすい者たちよ。31.だから何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って心配してはならない。32.これらのことは全て、異邦人たちが求めていることで、あなたがたの天の父は、これらのものが皆あなたがたに必要なのをご存知なのだから。33.だから先ず、[神の]国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは全てあなたがたに追加して与えられるだろう。34.だから、明日のことを心配してはならない。明日のことは明日自らが心配するからである。その日の苦労は、その日だけで充分である。


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●「自然の中で聴く聖書」マタイによる福音書 6章
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 Προσέχετε [δὲ] τὴν δικαιοσύνην ὑμῶν μὴ ποιεῖν ἔμπροσθεν τῶν ἀνθρώπων πρὸς τὸ θεαθῆναι αὐτοῖς (1)
「人々に見てもらうために、あなた方の義を人々の前で行わないように注意しなさい。」

1節のδικαιοσύνην(義) は 2節の ἐλεημοσύνην (施し)を指す言葉とほとんど同義で使われている。故に(善き行い)と訳すこともできる。
 
★ ὡς καὶ ἡμεῖς ἀφήκαμεν τοῖς ὀφειλέταις ἡμῶν (12)

「私たちの負債者たちを、わたしたちも赦しましたように…」
 
12節の言葉は重要な意味をもつ。12節全体を直訳すると、「私たちの数ある負債をお赦しください。私たちの負債者たちを、私たちも赦しましたように」 となる。 ἀφήκαμεν (私たちが赦した)とアオリスト時制(過去の一回的行為)が使われているのは、自分の負債を赦していただく、そのような祈りをする前に、先ず私たちの負債者を私たちが赦すことが条件ではなく、すでに赦していることが前提となる、ということを教えている。このことは次に続く14、15節の文脈の中で読むと一層明白になる。
 
★ οἶδεν γὰρ ὁ πατὴρ ὑμῶν ὁ οὐράνιος ὅτι χρῄζετε τούτων ἁπάντων. (32)

「あなた方の天の父は、あなた方がこれら全てを必要としていることを、ご存知なのだから

οἶδεν (オイデン・彼は知った)は完了形が使われている。この形は行為は過去に終わっているが、その結果が現在にも及んでいることを表している。故にその意味は 「あなた方の天の父はあなた方の必要をご存知だったし、今もご存知である」。




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