2016年11月1日火曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」11章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

11章


1.では、尋ねます。神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそうではありません。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫、ベニアミンの部族に属する者です。2.『神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けられなかった』。それとも、エリヤのことで聖書が何と言っているか、あなたがたは知らないのですか。彼はイスラエルに反対して神にこう訴えています。3.『主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが生き残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています』。4.しかし、彼に対する神の答えは何だったでしょうか。『わたしは、バアルにひざまずかなかった者、七千人をわたしのために残しておいた』。5.ですから、同じように、今の時代にも、恵みの選びによって残された者がいます。6.もし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。7.では、どうなのでしょうか。イスラエルは、求めているものを得ないで、選ばれた者が(それを)得たのです。他の者たちはかたくなにされました。8.このように書かれているとおりです。
『神は、彼らに鈍い心、
見ることができない目、
聞くことができない耳を与えられた。
今日に至るまで。』
9.ダヴィデもこう言っています。
『彼らの食卓は罠となれ、網となれ、
つまずきとなれ、また復讐となれ。
10.彼らの目は暗くなって見えなくなれ、
彼らの背中はいつも曲がっておれ。』
11.では、尋ねますが、彼らがつまずいたのは、倒れるためだったのでしょうか。決してそうではありません。それはむしろ、彼らの罪過によって救いが異邦人にもおよび、イスラエルを奮起させるためだったのです。12.もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らの(救いが)完成することは、どんなにかすばらしいことでしょう。
13.しかし、わたしはあなたがた異邦人たちに言います。―もっとも、わたし自身は異邦人のための使徒なのですから、わたしの務めを光栄に思っていますがー14.なんとかして、わたしの同胞を奮起させ、彼らの中の幾人かでも救えたらと(願っています)。15.もし、彼らが拒絶されたことが、世の和解となったとすれば、彼らが受け入れられることは、死者たちの中から生きることでなくて何でしょう。16.初穂が聖なら、こね粉も聖です。根が聖なら、枝たちも聖です。17.ある枝たちが切り落とされ、野生のオリーブであるあなたがそれらに接ぎ木され、オリーブの根の豊かな養分にあずかるようになったからと言って、18.あなたはそれらの枝に対し誇ってはいけません。もし誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。19.そこで、あなたは言うでしょう。「枝たちが切り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためであった」と。20.そのとおりです。彼らは不信仰のために切り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。高ぶった思いを抱かず、むしろ恐れなさい。21.もし、神が、自然のままの枝を惜しまれなかったとすれば、[おそらく]あなたを惜しまれるようなことはないでしょう。22.だから、神の思いやりと厳しさとを見なさい。倒れた者たちの上には厳しさがあります。しかし、あなたが慈愛のうちに留まっているなら、神の慈しみはあなたの上にあります。そうでなければ、あなたも切り取られてしまうでしょう。23.しかし、彼らも不信仰に留まらなければ、接ぎ木されるでしょう。なぜなら、神は再び彼らを接ぎ木することがお出来になる方だからです。24.もし、あなたが本来の性質のままの野生のオリーブの木から切り取られ、本来の性質に反して良いオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、自然のままのこれらの枝は、もっとたやすく元のオリーブの木に接ぎ木されることでしょう。
25.兄弟たちよ、わたしはあなたがたが、自分が知者だと思うことのないように、この奥義を知らないでいてほしくありません。すなわち、一部のイスラエルがかたくなになったのは、異邦人が入って来て満ちるまでのことであり、26.こうして、すべてのイスラエルが救われるでしょう。こう書かれているように。
『救い主がシオンから来て、
ヤコブから不敬神を取り除くであろう。
27.そして、わたしが彼らの罪を除き去るとき、
これが、彼らへのわたしからの契約である。』
28.福音によれば、彼らはあなたがたのゆえに神に敵対する人々ですが、選びによれば、彼らは先祖たちのゆえに愛されている人々です。29.神の賜物と召しは、取り消されることがないからです。30.ちょうど、あなたがたが、かつては神に対して不従順でしたが、今は、彼らの不従順によって憐みを受けているように、31.こうして、今は、彼らも、あなたがたが受けている憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も[今]憐みを受けるようになるためなのです。32.すなわち、神はすべての人々を不従順へと閉じ込められました。それは、すべての人々を(等しく)憐れむためだったのです。
33.ああ、なんと深いことか、神の知恵と知識との富は。その裁きは究め尽くし難く、その道は測り難い。
34.『だれが、主の御心を知っただろうか。
また、だれが、主の助言者となっただろうか。
35.また、だれが、まず主に与え、
報いを受けるだろうか。』

36.すべてのものは、神から出て、神によって(成り)、また、神に返る。栄光がとこしえに主にありますように。アーメン。



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★「彼らの背中はいつも曲がっておれ」(10)

「曲がっておれ」と訳せる συγκάμπτω は、「敗れた敵兵に背を曲げて、三本槍のアーチの下をくぐらせた古代ローマの風習からきている服従のしるし」(新約聖書ギリシア語辞典・玉川直重)

★「イスラエルを奮起させるため」(11)

「奮起させるため」は、「ねたみを起こさせるため」「張り合わせるため」の意。

★「まして、彼らの(救いが)完成することは、どんなにかすばらしいことでしょう」(12)

「彼らの(救いが)完成することは」の直訳は、「彼ら(ユダヤ人クリスチャン)が満ちることは」である。「彼らの充満」つまり、充分な数のユダヤ人クリスチャンが、教会の中に満ちることを意味し、ユダヤ人全体の救いを願うパウロの思いから出たもの。ただし、そのイスラエルとは26節(すべてのイスラエルが救われるでしょう)という表現で暗示しているように、ユダヤ人と異邦人の中から選ばれ残された霊的意味でのイスラエル全体を指すのかもしれない(ダニエル書12:1も参照)。

★「兄弟たちよ、わたしはあなたがたが、自分が知者だと思うことのないように、この奥義を知らないでいてほしくありません。すなわち、一部のイスラエルがかたくなになったのは、異邦人が入って来て満ちるまでのことであり」(25)

太字の部分は二つの解釈が考えられる。
①「異邦人の(救いが)完成するにいたるまで」「異邦人の(時が)満ちるまで」(ギリシア語で同様の表現があるルカ21:24を参照)とも訳しうる。この部分は、12節と同様の言葉(プレーローマ)が使用されていて、「異邦人の(救いが)満たされるに至るまで」と訳してもよい。「異邦人が全部救われるに至るまで」(口語訳、新共同訳)

②「異邦人が入って来て満ちるまでのことであり」(私訳)
 「異邦人の満ちる時が来るまでのことであり」(聖書協会共同訳2018)
この解釈の背景は、ヨハネによる福音書10:16のイエスの言葉である。囲いである教会の中に他の羊たち(異邦人)を連れてきて、囲い(教会)が異邦人で充満することがイエスの強い願いであった。この解釈は25節にギリシア語の(エイセルテェー・入って来る)が使われていることから分かる。


★33節の「裁き」「道」はいずれも複数。


         
              古代ローマ遺跡(フォーロ・ロマーノ)で1999・12月

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