2016年11月28日月曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」15章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

15章


1.わたしたち強い者は、弱い者たちの弱さを担うべきで、自分を喜ばせようとしてはいけません。2.わたしたち各自は、隣人に対し、その徳を高めるために良いことを行って彼らを喜ばすべきです。3.というのは、キリストもご自分を喜ばすことをなさいませんでした。むしろ、こう書かれているとおりです。『あなたをそしる者たちのそしりが、わたしの上にふりかかった』と。4.これらのことがあらかじめ書かれたのは、わたしたちを教えるために書かれたのであって、それは、聖書の忍耐と慰めによって、わたしたちが希望を持つようになるためです。5.忍耐と慰めの神が、あなたがたに、この同じ思いを互いの内に、キリスト・イエスを通して与えてくださるように。6.また、思いを一つにし、声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの父でもあられる神を讃えることができますように。
7.こういうわけですから、キリストがあなたがたを神の栄光に受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。8.わたしは言います。キリストは、神の真実をあらわすために、割礼のある者の僕となられました。それは、先祖たちとの約束を成就するためであり、9.また、異邦人が憐れみのゆえに、神を讃えるためでした。こう書かれているとおりです。
『それゆえ、
わたしは異邦人たちの中であなたを讃え、
あなたの御名をほめ歌うであろう。』
10.また、さらに言っています。
『異邦の民よ、喜べ。神の民とともに。』
11.そして、さらに、
『すべての異邦人よ、主をたたえよ。
すべての民よ、主をたたえよ。』
12.そして、さらに、イザヤは言っています。
『エッサイの根が生じて、
異邦人たちを治める者が立ち上がる。
異邦人たちは彼の上に望みを置くであろう』と。
13.希望の神が、信仰によるあらゆる喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって、あなたがたを希望で満ち溢れさせてくださるように。
14.わたしの兄弟たちよ、わたし自身はあなたがたが善意に満ち、あらゆる知識にも満たされていて、互いに諭し合うことのできる人たちであると確信しています。15.しかし、わたしは、神からわたしに与えられた恵みによって、あなたがたに記憶を新たにしてもらうため、ところどころ、かなり思い切って書きました。16.それは、わたしが、異邦人たちのために働くキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音を(伝える)祭司の務めを果たすためです。それは、異邦人たちが聖霊によって聖別され、かつ、(神に)受け入れられるささげ物となるためなのです。17.ですから、わたしは、この神への奉仕を、キリスト・イエスによって誇りに思っているのです。18.わたしは、異邦人たちが従順に至るために、言葉においても、行いにおいても、19.しるしと奇跡の力においても、[神の]霊の力においても、キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、何も敢えて語ろうとは思いません。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコンまで巡って、キリストの福音を満たしてきました。20.このようにして、キリストの名が知らされていない所に福音を宣べ伝えるために、わたしは熱心に努力しているのです。それは、他人が築いた土台の上に建てることがないためです。
21.むしろ、
『彼のことを知らされていなかった人々が見、
聞いたことのなかった人々は、悟るであろう』
と書かれているとおりです。
22.こういうわけですから、わたしは、あなたがたのところへ行くことを度々妨げられてきました。23.しかし今、もうこの地方では、わたしの(働く)場所がありません。しかし、わたしは、何年もあなたがたのところへ行きたいと切望してきましたので、24.イスパニアへ行く際、そちらを通り、あなたがたを訪ねたいと希望しています。そして、先ずは、しばらくの間あなたがたと共にいて、ある程度満たされてから、あなたがたによって、イスパニアへ送り出してもらいたいのです。25.しかし、今は、聖徒たちに奉仕するため、わたしはエルサレムへ行こうとしています。26.マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムにいる聖徒たちの中の貧しい者たちに援助することに喜んで賛成したからです。27.彼らは喜んで賛成しました。それは、彼らの義務でもあるからです。異邦人たちは、その人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のものでその人たちに仕えるのは当然のことなのです。28.ですから、わたしはこのことを済ませ、この(愛の募金で得た)成果を彼らに確実に手渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニアへ行こうと思います。29.わたしがあなたがたのところに行く時は、キリストの祝福に満たされて行けるものと思っています。

30.そこで[兄弟たちよ]、わたしたちの主イエス・キリストによって、また御霊の愛によってあなたがたにお願いします。共に力を注いで、わたしのために神に祈ってください。31.「わたしがユダヤにいる不従順な者たちから助けられ、エルサレム(の教会)へのわたしの奉仕が、聖徒たちに受け入れられるものとなりますように」と。32.また、「神の御心によって喜びのうちにあなたがたのところへ行き、共に慰め合うことができますように」と。33.どうか、平和の神が、あなたがた一同と共にいてくださいますように、アーメン。

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★「彼らに確実に手渡してから」(28)
 ここで使われているギリシア語は σφραγίζω(調印して彼らに手渡す、または安全のために封印して手渡す)という意味をもつ。パウロはこれほど用心深く、封印した状態で、集めた募金を安全にエルサレムに届けたのである。



2016年11月18日金曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」14章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

14章


1.信仰の弱い人を受け入れなさい。さまざまな意見を批判してはいけません。2.ある人は何を食べてもよいと信じていますが、(信仰の)弱い人は野菜を食べます。3.食べる人は食べない人を軽んじてはならず、食べない人も食べる人を裁いてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。4.他人の僕を裁くあなたはいったい何者ですか。彼が立つのも倒れるのも、自分の主人によるのです。彼はやがて立たせていただけるでしょう。主はその人を立たせることがお出来になるからです。5.ある人は、ある日が他の日よりも良いとし、ある人はどの日でも良いとします。各自は自分の理解するところに基づいて確信していなさい。6.日を重んじる人は、主のために重んじる。食べる人は、主のために食べる。彼は神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べない。彼も神に感謝しているからです。7.だれも自分のために生きる者はなく、自分のために死ぬ者もいない。8.わたしたちが生きるのも主のために生き、わたしたちが死ぬのも主のために死ぬのです。わたしたちが生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものだからです。9.そのために、キリストは死んで、また生きられたのです。それは、死んだ者たちと生きている者たちの主となられるためです。10.それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟を裁くのですか。あるいは、なぜ、自分の兄弟を軽んじるのですか。実に、すべての者はみな、神の裁きの座の前に立つことになるのです。11.こう書かれているからです。
『わたしは生きている。
すべての膝は、わたしに対してかがみ、
すべての舌は、神をほめたたえるであろうと
主は言われる。』
12.だからこそ、わたしたち一人ひとりは、自分について[神に対し]申し開きをすることになるのです。

13.ですから、今後、わたしたちは、互いに裁き合わないようにしましょう。兄弟に対し、妨げとなるものや、つまずきとなるものを置かないようにと決心しなさい。14.それが汚れていると思う人は別ですが、それ自体で汚れたものは一つもないと、わたしは主イエスにあって知り、また確信しています。15.あなたの兄弟が食物のことで心を痛めているなら、もはや、あなたは愛に添って生活してはいないのです。食物のことで、あなたの兄弟を滅ぼしてはいけません。この兄弟のためにも、キリストは死なれたのです。16.ですから、あなたがたの善が、(神の御名を)汚すことのないようにしなさい。17.神の国は飲み食いではなく、聖霊による義と平和と喜びです。18.こうして、キリストに仕える人は神に喜ばれ、人々にも信頼されます。19.ですから、平和と互いの徳を築くことを追い求めようではありませんか。20.食物のために、神の働きを無駄にしてはいけません。すべてのものは清い。しかし、食べて人をつまずかせるなら、それはその人にとっては悪となります。21.肉を食べず、酒も飲まず、そのことであなたの兄弟がつまずかないのは良いことです。22.あなたが持っている信仰を、神の御前で、自分自身のために持っていなさい。自分が正しいと決めたことで、自分を非難しない人は幸いです。23.疑いながら食べる人は、罪に定められます。なぜなら、信仰によらないからです。すべて信仰によらないことは罪です。


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ὁ δὲ ἀσθενῶν λάχανα ἐσθίει(2)
「しかし、弱い人は野菜を食べる」

「野菜だけ」とは言っておらず、「野菜を食べる」である。


ὁ φρονῶν τὴν ἡμέραν κυρίῳ φρονεῖ(6)
 「その日を重んじる人は、主のために重んじる」
 
 ὁ φρονῶν(重んじる人)は、その日を神聖なものとして守る者のこと。

★「それ自体で汚れたものは一つもないと、わたしは主イエスにあって知り、また確信しています。それが汚れているのと思うなら、それは、その人にとっては汚れているのです。」(14)

14節は上のようにも訳せる。「汚れ」と訳されているギリシア語は κοινός である。この言葉は「不潔」や一般的汚れを意味するのではなく、ユダヤ的用法であって、「世俗的汚れ」「不浄」などを意味し、「聖」の反意語として使われる。これが「食物」とか「肉」という口に入るものの関係の中で使われる場合は、「偶像への捧げものとしての肉」を指すことが多い(1コリント10:25~28、使徒10:14参照)。ゆえに14節はそういう文脈の中で読む必要がある。

★「すべてのものは清い

ここでの清さは祭儀的清さのこと。14節からの文脈から推察される。ティトス1:15も参照のこと。




2016年11月13日日曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」13章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

13章


1.人はみな、上に立つ権威に従いなさい。というのは、神に依らない権威はなく、存在する権威は神によって定められたものだからです。2.ですから、権威に逆らう者は、神の定めに逆らうのです。(神の定めに)逆らう者たちは、自分の身に裁きを招くことになるでしょう。3.支配者たちは、善を行う者には恐ろしくはありませんが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威ある人を恐れたくはないと願っているが、それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威ある人からほめられるでしょう。4.彼は、あなたに善を行わせるための、神の奉仕者なのです。しかし、もし、あなたが悪を行うなら、(彼を)恐れなさい。彼はいたずらに剣を帯びているのではなく、神の奉仕者ですから、悪を行う者に対しては怒りをもって報います。5.ですから、怒りのためだけでなく、良心のためにも従う必要があります。6.あなたがたが税金を納めるのも同じ理由からです。神に仕える人々は、まさしくこのために専念しているのですから。7.すべての人に義務を果たしなさい。貢物を納めるべき人には貢物を、税を納めるべき人には税を、恐れるべき人には恐れを、敬うべき人には敬意を払いなさい。
8.互いに愛し合うこと以外には、だれからも借りがあってはいけません。実に、他人を愛する人は、律法(の要求)を満たしているのです。9.と言うのは、『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、その他どんな戒めがあっても、『自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』という、この言葉に要約されます。10.愛は隣人に対し、悪を行いません。ですから、愛は律法を完成するものなのです。

11.あなたがたは時を知っています。すなわち、あなたがたが眠りから覚めるべき時がすでに(来ています)。今、わたしたちの救いが、かつて信じた時よりもさらに近づいているからです。12.夜はふけ、日が近づいています。ですから、闇の業を捨て、光の武具を着ようではありませんか。13.昼間に歩くように、上品に歩こうではありませんか。酒宴と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、14.主イエス・キリストを着なさい。そして、欲望を満たそうと、肉のことに心を用いてはいけません。



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★「すべての人に義務を果たしなさい」(7)

 直訳は「すべての人に負債を返しなさい」。

★「人はみな」(1)

 多くの訳は「人は皆」と訳しているが、原語は「命ある者はみな」Πᾶσα ψυχὴ ἐξουσίαις
 である。「命ある者」⇒「人」である。


2016年11月9日水曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」12章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

12章


1.そこで、兄弟たち、わたしは神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたの体を神に喜ばれる生きた聖なる供え物としてささげなさい。これがあなたがたの霊的な礼拝です。2.あなたがたはこの世に同化してはいけません。むしろ、こころが新たにされることによって造り変えられ、何が神の御心であり、何が善であり(神に)喜ばれ、かつ、完全に整ったことであるかをわきまえるようにしなさい。

3.わたしは、わたしに与えられた恵みによって、あなたがた各自に言います。限度を超えて、高ぶった思いを抱かず、むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに従って、分別のある考え方をしなさい。4.一つの体に多くの肢体があっても、すべての肢体が同じ働きをしないのと同じように、5.わたしたちは多くいても、キリストにあって一つの体であり、一人ひとりは互いに肢体なのです。6.わたしたちは、わたしたちに賜った恵みによって、種々の異なった賜物を持っていますので、信仰の程度に従って、それが預言であれば預言をし、7.奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、8.勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しみなく与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んで行いなさい。9.愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみ、10.兄弟の愛をもって互いに愛し合い、尊敬をもって互いに相手を自分より優った者としなさい。11.怠ることなく勤勉で、熱い霊をもって主に仕え、12.望みをもって喜び、苦しみに耐え、絶えず祈り続けなさい。13.聖徒たちの欠乏を分かち合い、旅人を心からもてなしなさい。14.[あなたがたを]迫害する者たちを祝福しなさい。祝福して呪ってはいけません。15.喜ぶ者たちと共に喜び、泣く者たちと共に泣きなさい。16.互いに思いを同じにしなさい。高慢にならないで、むしろ、身分の低い人たちと協力し合いなさい。自分で賢いと思ってはいけません。17.誰に対しても、悪をもって悪に報いず、すべての人の前に善を(行うよう)心がけなさい。18.できる限り、すべての人と平和に過ごしなさい。19.愛する者たちよ、自分で復讐しないで、むしろ、(神の)怒りに任せなさい。こう書かれているからです。「『復讐はわたしのすること、わたし自身が復讐するであろう』と主は言われる」。20.むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、彼に食べさせよ。渇いているなら、彼に飲ませよ。そうする者たちは、彼の頭に燃える炭火を積むことになる』。21.悪に負けないで、むしろ、善をもって悪に勝ちなさい。

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          古代ローマの住居跡

2016年11月1日火曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」11章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

11章


1.では、尋ねます。神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそうではありません。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫、ベニアミンの部族に属する者です。2.『神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けられなかった』。それとも、エリヤのことで聖書が何と言っているか、あなたがたは知らないのですか。彼はイスラエルに反対して神にこう訴えています。3.『主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが生き残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています』。4.しかし、彼に対する神の答えは何だったでしょうか。『わたしは、バアルにひざまずかなかった者、七千人をわたしのために残しておいた』。5.ですから、同じように、今の時代にも、恵みの選びによって残された者がいます。6.もし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。7.では、どうなのでしょうか。イスラエルは、求めているものを得ないで、選ばれた者が(それを)得たのです。他の者たちはかたくなにされました。8.このように書かれているとおりです。
『神は、彼らに鈍い心、
見ることができない目、
聞くことができない耳を与えられた。
今日に至るまで。』
9.ダヴィデもこう言っています。
『彼らの食卓は罠となれ、網となれ、
つまずきとなれ、また復讐となれ。
10.彼らの目は暗くなって見えなくなれ、
彼らの背中はいつも曲がっておれ。』
11.では、尋ねますが、彼らがつまずいたのは、倒れるためだったのでしょうか。決してそうではありません。それはむしろ、彼らの罪過によって救いが異邦人にもおよび、イスラエルを奮起させるためだったのです。12.もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らの(救いが)完成することは、どんなにかすばらしいことでしょう。
13.しかし、わたしはあなたがた異邦人たちに言います。―もっとも、わたし自身は異邦人のための使徒なのですから、わたしの務めを光栄に思っていますがー14.なんとかして、わたしの同胞を奮起させ、彼らの中の幾人かでも救えたらと(願っています)。15.もし、彼らが拒絶されたことが、世の和解となったとすれば、彼らが受け入れられることは、死者たちの中から生きることでなくて何でしょう。16.初穂が聖なら、こね粉も聖です。根が聖なら、枝たちも聖です。17.ある枝たちが切り落とされ、野生のオリーブであるあなたがそれらに接ぎ木され、オリーブの根の豊かな養分にあずかるようになったからと言って、18.あなたはそれらの枝に対し誇ってはいけません。もし誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。19.そこで、あなたは言うでしょう。「枝たちが切り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためであった」と。20.そのとおりです。彼らは不信仰のために切り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。高ぶった思いを抱かず、むしろ恐れなさい。21.もし、神が、自然のままの枝を惜しまれなかったとすれば、[おそらく]あなたを惜しまれるようなことはないでしょう。22.だから、神の思いやりと厳しさとを見なさい。倒れた者たちの上には厳しさがあります。しかし、あなたが慈愛のうちに留まっているなら、神の慈しみはあなたの上にあります。そうでなければ、あなたも切り取られてしまうでしょう。23.しかし、彼らも不信仰に留まらなければ、接ぎ木されるでしょう。なぜなら、神は再び彼らを接ぎ木することがお出来になる方だからです。24.もし、あなたが本来の性質のままの野生のオリーブの木から切り取られ、本来の性質に反して良いオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、自然のままのこれらの枝は、もっとたやすく元のオリーブの木に接ぎ木されることでしょう。
25.兄弟たちよ、わたしはあなたがたが、自分が知者だと思うことのないように、この奥義を知らないでいてほしくありません。すなわち、一部のイスラエルがかたくなになったのは、異邦人が入って来て満ちるまでのことであり、26.こうして、すべてのイスラエルが救われるでしょう。こう書かれているように。
『救い主がシオンから来て、
ヤコブから不敬神を取り除くであろう。
27.そして、わたしが彼らの罪を除き去るとき、
これが、彼らへのわたしからの契約である。』
28.福音によれば、彼らはあなたがたのゆえに神に敵対する人々ですが、選びによれば、彼らは先祖たちのゆえに愛されている人々です。29.神の賜物と召しは、取り消されることがないからです。30.ちょうど、あなたがたが、かつては神に対して不従順でしたが、今は、彼らの不従順によって憐みを受けているように、31.こうして、今は、彼らも、あなたがたが受けている憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も[今]憐みを受けるようになるためなのです。32.すなわち、神はすべての人々を不従順へと閉じ込められました。それは、すべての人々を(等しく)憐れむためだったのです。
33.ああ、なんと深いことか、神の知恵と知識との富は。その裁きは究め尽くし難く、その道は測り難い。
34.『だれが、主の御心を知っただろうか。
また、だれが、主の助言者となっただろうか。
35.また、だれが、まず主に与え、
報いを受けるだろうか。』

36.すべてのものは、神から出て、神によって(成り)、また、神に返る。栄光がとこしえに主にありますように。アーメン。



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★「彼らの背中はいつも曲がっておれ」(10)

「曲がっておれ」と訳せる συγκάμπτω は、「敗れた敵兵に背を曲げて、三本槍のアーチの下をくぐらせた古代ローマの風習からきている服従のしるし」(新約聖書ギリシア語辞典・玉川直重)

★「イスラエルを奮起させるため」(11)

「奮起させるため」は、「ねたみを起こさせるため」「張り合わせるため」の意。

★「まして、彼らの(救いが)完成することは、どんなにかすばらしいことでしょう」(12)

「彼らの(救いが)完成することは」の直訳は、「彼ら(ユダヤ人クリスチャン)が満ちることは」である。「彼らの充満」つまり、充分な数のユダヤ人クリスチャンが、教会の中に満ちることを意味し、ユダヤ人全体の救いを願うパウロの思いから出たもの。ただし、そのイスラエルとは26節(すべてのイスラエルが救われるでしょう)という表現で暗示しているように、ユダヤ人と異邦人の中から選ばれ残された霊的意味でのイスラエル全体を指すのかもしれない(ダニエル書12:1も参照)。

★「兄弟たちよ、わたしはあなたがたが、自分が知者だと思うことのないように、この奥義を知らないでいてほしくありません。すなわち、一部のイスラエルがかたくなになったのは、異邦人が入って来て満ちるまでのことであり」(25)

太字の部分は二つの解釈が考えられる。
①「異邦人の(救いが)完成するにいたるまで」「異邦人の(時が)満ちるまで」(ギリシア語で同様の表現があるルカ21:24を参照)とも訳しうる。この部分は、12節と同様の言葉(プレーローマ)が使用されていて、「異邦人の(救いが)満たされるに至るまで」と訳してもよい。「異邦人が全部救われるに至るまで」(口語訳、新共同訳)

②「異邦人が入って来て満ちるまでのことであり」(私訳)
 「異邦人の満ちる時が来るまでのことであり」(聖書協会共同訳2018)
この解釈の背景は、ヨハネによる福音書10:16のイエスの言葉である。囲いである教会の中に他の羊たち(異邦人)を連れてきて、囲い(教会)が異邦人で充満することがイエスの強い願いであった。この解釈は25節にギリシア語の(エイセルテェー・入って来る)が使われていることから分かる。


★33節の「裁き」「道」はいずれも複数。


         
              古代ローマ遺跡(フォーロ・ロマーノ)で1999・12月