2016年10月11日火曜日

新約聖書原典「ローマの人々への手紙」6章の翻訳(私訳)

ローマの人々への手紙 

6章


1.では、わたしたちは何と言いましょうか。恵みが増し加わるために、わたしたちは罪にとどまるのでしょうか。2.決してそうではありません。罪に対して死んだわたしたちが、どうしてなおも罪の中に生きることができるでしょうか。3.それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちはみな、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのだということを。4.ですから、わたしたちは、(彼の)死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのです。それは、キリストが父の栄光によって死者たちの中から復活されたように、こうして、わたしたちもまた、新しい命に生きるようになるためです。5.もし、わたしたちが、彼の死のありさまにあずかったのなら、復活のありさまにもあずかることでしょう。6.わたしたちはこのことを知っています。すなわち、わたしたちの古い人はすでに(キリストと共に)十字架につけられました。それは、罪の体が滅ぼされ、わたしたちがもうこれ以上、罪の奴隷となることがないためです。7.死んだ者は、罪から解放されているからです。8.わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、また、彼と共に生きることにもなると信じています。9.わたしたちは、死者たちの中から復活させられたキリストは、もう死ぬことがないということ、また、死はもう彼を支配しないことを知っています。10.キリストが死なれたのは、ただ一度だけ罪に対して死なれたのであり、今、生きておられるのは、神に対して生きておられるからです。11.このように、あなたがたも、自分自身を、罪によって死んでいたが、今はキリスト・イエスによって神に対して生きている者であると心得なさい。
12.だから、罪があなたがたの死ぬべき体を支配し、その欲望に従わせるようなことをせず、13.あなたがたの肢体を、不義の道具として罪にささげてはいけません。むしろ、死者たちの中から生かされた者として、また、あなたがたの肢体を神のための義の道具として、自分自身を神にささげなさい。14.というのは、あなたがたの罪は、(もうあなたがたを)支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法のもとに存在しているのではなく、恵みのもとに存在しているからです。

15.では、どうなのでしょうか。わたしたちは律法のもとにあるのではなく、恵みのもとにあるからと言って、罪を犯してもよいのでしょうか。決してそうではありません。16.あなたがたは知らないのですか。すなわち、あなたがたが誰かに従うために、自分自身を奴隷としてささげれば、あなたがたは従っているその人の奴隷です。つまり、死に至る罪の奴隷とも、義に至る従順の僕ともなるということを。17.しかし、神に感謝です。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの模範に心から従い、18.罪から解放されて、義に仕える僕とされました。19.わたしはあなたがたの肉の弱さのゆえに、人間的ないい方をします。あなたがたがかつて自分の肢体を、汚れと不法の奴隷として悪行のためにささげたように、今度は同様に、自分の肢体を、義の僕として聖となることのためにささげなさい。20.あなたがたがかつて罪の奴隷であった時、あなたがたは義とは無縁な者でした。21.その時、あなたがたはどんな実を結んでいましたか。あなたがたにとってそれは今では恥となるものです。それらのものの結末は死だからです。22.しかし今では、あなたがたは罪から解放され、神に仕える者とされ、聖なる者となる実を結んでいます。そして、その結果は永遠の命です。23.罪の報酬は死です。しかし、神の賜物はわたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命です。




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●「自然の中で聴く聖書」ローマの人々への手紙 6章


μὴ γένοιτο(1)(15)「決してそうではありません」
上記のパウロの表現は3:31にも使われているが、希求法(願望)という聖書中、ごくまれに現れる古典ギリシア語の動詞の使用法である。これは、『願望』を表す。よって、上記の意味は、『まさか、そんなことになるはずがない』『そんなことになってたまるか』といった強い願望を含む。

★「わたしたちの古い人間はすでに十字架につけられました。それは、罪の体が滅ぼされ」(6)
太字の動詞はいづれも過去、受動態。古典ギリシア語において、過去はその出来事の過去における一回的事実をあらわす。よって、『十字架につけられた』『滅ぼされた』は過去における一回的出来事である。

★「死んだ者は、罪から解放されているからです」(7)
ὁ γὰρ ἀποθανὼν δεδικαίωται ἀπὸ τῆς ἁμαρτίας
太字の『解放されている』の動詞は完了形。ギリシア語における完了は、過去における出来事の結果が現在なお続いていることを表す。よって、前節(6)の一回的出来事により、古い人間としてのわたしは十字架につけられてすでに死んでおり、罪から解放され、それによって今も罪から解放され続けている、ということを意味する。なお、『解放されている』のギリシア語は、『義とされている』とも訳す。依って、『死んだ者は、罪から義とされている』と訳しうる。

★「律法の下」ὑπὸ νόμον「恵みの下」ὑπὸ χάριν(14、15)
ローマの人々への手紙に現れる重要な言葉のひとつ。6章においてはじめて現れる。『律法の下(もと、した)』、『恵みの下(もと、した)』。要するに『支配されている』ことを意味する。



                 ローマの古代遺跡の一部。 筆者撮影

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