2016年5月25日水曜日

新約聖書原典「ガラテヤの人々への手紙」6章の翻訳(私訳)

ガラテヤの人々への手紙 

6章


1.兄弟たちよ、もし人が罪過に陥っていることが分かったなら、霊に満たされているあなたがたは、このような人を柔和な心をもって正しなさい。また、あなたがたも誘惑に陥らないように、自分自身を見張っていなさい。2.互いに重荷を負い合いなさい。こうしてあなたがたはキリストの律法を全うするのです。3.自分が何者でもないのに、そうであるかのように考える人がいれば、その人は自分自身を欺いているのです。4.各自は自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れても、他人に対しては誇れなくなるでしょう。5.各自はこれからも自分の重荷を負っていくのですから。
6.御言葉を教えてもらう人は、教える人とあらゆる良きものをもって分かち合いなさい。7.間違ってはいけません。神は侮られるような方ではありません。人が種を蒔けば、人はまたそれを刈り取ることになるのですから。8.すなわち、自分の肉に対して種を蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に対して種を蒔く者は、霊から永遠のいのちを刈り取ることになるのです。9.わたしたちが落胆しないで良い業に励んでいると、わたしたちはふさわしい時期に、弱り果てることなく(実を)刈り取ることになるでしょう。10.ですから、わたしたちは時のあるうちに、すべての人に、特に、信仰の仲間の者たちに対して善を行おうではありませんか。
11.ごらんなさい、わたし自身の手で、こんなに大きな字であなたがたに書きました。12.肉において見栄を飾ろうとする人たちが、あなたがたに割礼を受けることを強要しているのです。彼らは、キリストの十字架のゆえに、自分たちが迫害されないようにしているだけなのです。13.割礼を受けているこれらの人たちは律法を守らないで、ただ、あなたがたの肉によって彼らが誇りたいために、あなたがたに割礼を受けさせたいのです。14.しかし、わたしたちには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架による以外に、断じて誇るものがあってはなりません。この十字架によって、世はわたしたちに対してはりつけにされ、わたしも世に対してはりつけにされたのです。15.割礼か無割礼かは問題ではありません。むしろ新しく創造されることが重要なのです。16.この法則に従って歩む人たちの上に、平安と憐みがありますように。また、神のイスラエルの上にもありますように。
17.これからは、誰もわたしに苦労をかけないでください。わたしはイエスの焼印をこの体に帯びているのですから。

18.兄弟たちよ、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように、アーメン。




τὰ στίγματα τοῦ Ἰησοῦ(17)
「イエスの焼印」。「焼印」は複数。よってこれがパウロの受けたからだ上の数々の傷跡を意味するのだとすれば分かりやすい。それらの傷は「ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度」(2コリント11:24)などによる生身の傷跡を想像するが、パウロにとってはイエスに属することの消し難い証しとなった。



           散歩道の風景②

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