2015年8月13日木曜日

新約聖書原典「コリントの人々への手紙一」4章の翻訳(私訳)


コリントの人々への手紙  

4章


1.こういうわけですから、人はわたしたちを、キリストの従属者、また、神の奥義の管理者だと思いなさい。2.ここで最後に、管理者に要求されるのは、だれもが忠実であるということです。3.わたしにとって、あなたがたから裁かれようと、あるいは、人間の法廷の日に裁かれようと、それはささいなことにすぎません。否、わたしは自分自身を裁くことすらしないのです。4.わたし自身には、何もやましいところはありませんが、それでわたしが義とされるわけではありません。わたしを裁く方は主なのです。5.ですから、主が来られるまでは、先走って誰をも裁いてはいけません。主は暗闇の隠れたことを明るみに出し、人々の心にある計画を明らかにされるでしょう。そのとき、それぞれの人に神からの称賛が臨むでしょう。
6.さて、兄弟たちよ、わたしはあなたがたのために、これらの説明をわたし自身とアポロとにあてはめてしてきました。それは、わたしたちの例によって、あなたがたが(聖書に)書かれていること以上にそれを超えないことを学ぶため、一人のために他の一人をないがしろにして、うぬぼれることがないようにするためでした。7.では誰が、あなたを(優れた者と)判定したのですか。あなたが持っているもので、いただかなかったものが何かありますか。もしいただいたのなら、どうして、いただかなかったかのように自慢するのですか。
8.あなたがたはすでに満足しており、すでに富んでいるのです。わたしたちはさておき、あなたがたは王となっているのです。いや実際、あなたがたが王になっていたらよかったのに。そうすれば、わたしたちも一緒に王になっていたことでしょう。9.わたしは、こう考えます。神はわたしたちを最後の使徒として、死の宣告を受けた囚人のように見せ物となさいました。それは、わたしたち(使徒)は、世に対しても、天使たちに対しても、人々に対しても見せ物とされたからです。10.わたしたちは、キリストのために愚か者となっていますが、あなたがたはキリストにあって賢い者となっています。わたしたちは弱いですが、あなたがたは強いのです。あなたがたは尊敬されていますが、わたしたちは卑しめられています。11.今に至るまで、わたしたちは飢え、渇き、裸であり、鞭打たれ、住む家もなく、12.自分の手で苦労して働いています。また、ののしられながらも讃美し、迫害されながらも耐え、13.悪口を言われながらも勧めをなし、現在に至るまで、世のクズ、あらゆるもののカスの様になっています。

14.わたしがこのように書くのは、あなたがたに恥をかかすためではなく、わたしの愛する子供たちとして諭すためです。15.あなたがたに、キリストにある養育係が一万人いようとも、父親が大勢いるわけではありません。実に、キリスト・イエスにあって、福音によって、わたしがあなたがたを生んだのです。16.そこで、わたしはあなたがたに勧めます。わたしに倣う者となりなさい。17.こういうわけで、わたしはティモテをあなたがたに派遣したのです。彼はわたしの愛する子で、主にある忠実な者です。彼は、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスにあるわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。18.ある人たちは、わたしがあなたがたのところへ行くことはもうないと思いあがっているようです。19.しかし、主のみこころであれば、すぐにでもあなたがたのところへ行きます。そして、思いあがった人たちの、言葉ではなく力を見せていただきましょう。20.神の国は、言葉の内にあるのではなく、力の内にあるからです。21.あなたがたはどちらを望みますか。わたしはあなたがたのところに、鞭を持って行きましょうか、それとも、愛と柔和な心で行きましょうか。





ὃς ὑμᾶς ἀναμνήσει τὰς ὁδούς μου τὰς ἐν Χριστῷ [Ἰησοῦ] (17)

「彼(ティモテ)は、キリスト・イエスにおけるわたしの生き方を、あなた方に思い起こさせることでしょう」
τὰς ὁδούς μου は way of life の意味。このパウロの「生き方」は、10~13でパウロが告白しているような使徒としての決して人には誇れない「生き方」であり、この生き方をコリントのクリスチャンたちにも「倣う」ようにと願っている(16)。

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