2015年5月27日水曜日

新約聖書原典「使徒たちの働き」24章の翻訳(私訳)


使徒たちの働き 

24章


1.さて、五日後、大祭司アナニアは、何人かの長老たちと代弁人のテルティロという者と共に(エルサレムから)下って来て、総督にパウロのことを訴えた。2.パウロが呼び出されると、テルティロが訴えはじめて言った。
「フェリクス閣下、わたしたちは、あなたのお陰で大いなる平和を得ています。またこの国ではあなたのご配慮によって改革が行われております。3.わたしたちはあらゆる面で、また、どこにいても(このことを)享受していて、大いに感謝しています。4.しかし、わたしは閣下に長い時間、ご迷惑をおかけしないよう、手短に申し上げますから、寛容をもってお聞きいただきますようお願いいたします。5.実は、この男は危険人物で、ユダヤ中の住民の間で反乱を引き起こしている、ナザレ人の分派の首謀者であります。6.この男は神殿をも汚そうとしましたので、わたしたちはこの男を捕らえました。8.あなた様ご自身でこれらすべてをお調べになれば、わたしたちがこの男を告発している事がおわかりになります」。9.そこで、(他の)ユダヤ人たちも、一緒になって非難し、これらの申し立てに「その通りだ」と言い張った。10.総督がパウロに発言するよう促したので、彼は答えた。
「わたしは、あなたがこの国において長年、裁判官をしておられるかたであると承知していますので、喜んで自分のことについて弁明をさせていただきます。11.お分かりになることですが、わたしが礼拝のためにエルサレムに上ってから、十二日しか経っておりません。12.また、神殿でも会堂でも町中でも、群衆は、わたしが人に議論をしかけたり攻撃したりするのを見たことがありません。13.(それですから)今、彼らがわたしを告発していることについて、何もあなたに(証拠を)挙げることはできません。14.しかし、わたしは、彼らが分派と呼んでいるこの道に従って、このように先祖の神に仕えていることを告白します。わたしは、律法にかなったあらゆることと、預言者たちがその書に書き記したこととを信じています。15.わたしは、義なる者も不義なる者もやがて復活するという、この人たちも受け入れている希望を神に対して抱いています。16.こうしてわたしは、神に対しても、人々に対しても、あらゆる点で責められるところのない良心を持つよう、絶えず努力してきました。17.さて、わたしは自分の同胞に援助を行うため、また供え物を捧げるために、何年かぶりで帰ってきました。18.わたしが神殿で清めにあずかり、供え物を捧げているのを人々は見ましたが、群衆はおらず、騒動もありませんでした。19.ただ、アジアから来た数人のユダヤ人たちがいましたが、もし、わたしに対して何か訴えることがあれば、彼らが閣下のもとに来て訴えるべきだったのです。20.あるいは、ここにいる人たち自身が、わたしが議会で立っていた時に、どんな不正を見つけたのか言いなさい。21.わたしは(議会で)彼らの中に立っていた時、わたしはただひと言、『今日、わたしは、あなたがたの前で、死人たちの復活のことについて裁かれているのです』と叫んだだけなのです」。
22.そこでフェリクスは、「この道」のことについては詳しく知っていたので、「千人隊長リシアスが下って来た時に、お前たちの件については調べることにしよう」と言って裁判を延期した。23.総督は百人隊長に、「パウロを監視するように」と命じ、またある程度の苦痛を和らげ、仲間たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた。
24.数日後、フェリクスはユダヤ人である自分の妻ドルシラと一緒に現れ、パウロを呼び出して、キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。25.パウロと、義や節制や来るべき裁きについて話をしていると、フェリクスは恐ろしくなって、「今日は帰ってよろしい。また機会を持って、あなたを呼び出すことにしよう」と答えた。26.また同時に、総督はパウロから金をもらおうと期待していたので、彼はパウロをたびたび呼び出しては話し合っていたのである。

27.さて、二年の期間が満ちて、ポルキウス・フェストゥスがフェリクスの後任となったが、フェリクスは、ユダヤ人たちの歓心を買おうとして、パウロを縛ったままにしておいた。


●「自然の中で聴く聖書」使徒たちの働き 24章


石神井池

τὴν ὁδὸν (この道・14、22)
「イエス」、または「イエスの教え」の意。フェリクスは「この道」のことは詳しく知っていた(22)。カイサリアはエルサレムから2~3日で行ける距離である。このためエルサレムで今起こっている事件については逐一千人隊長などによって報告がもたらされていたのだろう。すでにカイサリアに住むローマの百人隊長コルネリウスが熱心なクリスチャンになっていた(10章)から、この彼によって、ある程度「この道」については予備知識を得ていたのであろう。
しかしフェリクスが真摯に「キリスト・イエスへの信仰」(24)についてパウロから話を聞いたとは思われない。事実、信仰のことより、彼には下心があり(26)、そういうものが邪魔をして、コルネリウスのようにはならなかった。

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