2013年10月14日月曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」20章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

20章


1.ある日のこと、イエスが神殿の庭で民衆を教え、良い知らせを告げておられると、祭司長たちと律法学者たちは、長老たちと一緒に(イエスに)のもとに来て、2.イエスに問うて言った。「なんの権威によってこれらのことをしているのか、また、この権威をあなたに与えたのは誰か、わたしたちに答えてください」。3.そこでイエスは答えて彼らに言われた。「わたしも一言あなたがたに尋ねよう。わたしに答えなさい。4.ヨハネのバプテスマは天からのものであったか、それとも、人々からのものであったか」。5.彼らは互いに相談して心の中で言った。「もし『天からのものだ』と言えば、『では、なぜ彼を信じなかったのか』と言うだろう。6.しかし、もし『人々からのものだ』と言えば、民衆がいっせいに我々に石を投げるだろう」。民衆は、ヨハネが預言者だと確信していたからである。7.そこで、彼らは「どこからのものか、わたしたちには分かりません」と答えた。8.イエスも彼らに言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか、あなたがたに言わないでおこう」。
9.そこで、イエスは民衆にこの譬えを話し始められた。「ある人がぶどう園を造り、農夫たちにそれを貸して、長い旅に出かけた。10.収穫の時期となったので、彼はぶどう園の収穫を納めさせようと、僕を農夫たちの所へ遣わした。しかし、農夫たちは僕を殴って、から手で送り返した。11.そこでさらに、ほかの僕を遣わしたが、農夫たちはこの僕も殴って侮辱を加え、から手で送り返した。12.また、さらに三人目の僕を送ったが、彼らはこの僕にも傷を負わせて追い返した。13.そこで、このぶどう園の主人が言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ろう。この息子なら、たぶん敬ってくれるだろう』。14.ところが農夫たちは息子を見て、互いに相談し合って言った。『これはあと継ぎだ。これを殺してしまおう。そうすれば、遺産は我々のものになる』。15.そうして、息子をぶどう園の外に放り出して殺した。さて、ぶどう園の主人はこれらの農夫たちをどうするだろうか。16.主人は帰って来て、これらの農夫たちを滅ぼし、ぶどう園を他の者たちに与えるだろう」。人々はこれを聞いて言った。「そんなことがあってはなりません」。17.イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「では、こう書かれてあるのはなぜか。
『家造りたちが拒んで捨てた石が、隅のかしら石となった。』
18.その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれるが、(その石が)その人の上に落ちれば、その人を押しつぶしてしまうだろう」。
19.その時、律法学者たちと祭司長たちが、イエスに手をかけようとした。なぜなら、この譬えが自分たちに対して言われたのだということを、彼らが知ったからである。しかし、彼らは民衆を恐れた。
20.慎重に機会を狙っていた彼らは、自分を正しい者と見せかけている密偵たちを遣わしてイエスの言葉尻をとらえて、総督の支配と権威とに彼を引き渡そうとした。21.そして、彼らはイエスに質問して言った。「先生、わたしたちは、あなたのお話しも教えも正しく、(人を)分け隔てなさらず、真理にもとづいて神の道を教えておられるのを知っています。22.皇帝に税を納めることはよいのでしょうか、それとも、よくないのでしょうか」。23.イエスは、彼らの悪巧みを見抜いて、彼らに言われた。24.「デナリオンを見せなさい。これは誰の肖像、誰の銘刻か」。彼らは言った。「皇帝のです」。25.イエスは彼らに言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。26.彼らは民衆の手前、イエスの言葉尻をとらえることができず、その返答に驚いて黙ってしまった。
27.復活はないと[反対]論を唱えているサドカイ派のある人々が近寄って来て、イエスに質問して、28.言った。「先生、モーセはわたしたちに、『もし、ある兄に妻がいて、この人が、子供がいなくて死んだなら、彼の弟がその妻を迎え、兄のために子孫をもうけなければならない』と書きました。29.さて、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが、子供がいなくて死にました。30.次男も、31.そして三男も彼女を妻に迎え、こうして七人とも同じように子供を残さないで死にました。32.最後にはこの女も死にました。33.では、復活の時、この女は彼らの中の誰の妻となるのですか。七人が彼女を妻にしたのですが」。
34.イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり嫁いだりする。35.しかし、かの世を受けるにふさわしく、また、死者たちの中から復活するにふさわしいとみなされた人々は、めとったり嫁いだりはしない。36.彼らはもう死ぬことはできないのだから。彼らは天使たちのようなものであって、復活の子として神の子供たちなのだから。37.死者が復活することについては、モーセも柴の個所で知らせている。彼が主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と言っているように、38.神は死んだ者たちの神ではなく、生きている者たちの神である。全ての者はこの方によって生きるからである」。
39.そこで、ある律法学者たちが答えて言った。「先生、あなたが言われたことはまさにその通りです」。40.だから、もう誰も敢えてイエスに質問しようとはしなかった。
41.しかし、イエスは彼らに言われた。「人々がキリストをダヴィデの子と言っているのはどうしてなのか。42.ダヴィデ自身、詩篇の中でこう言っている。
『主は、わたしの主に言われた。
あなたは、わたしの右に座していなさい。
43.わたしがあなたの敵どもを、あなたの足台に据えるまで。』
44.このように、ダヴィデがキリストを主と呼んでいるのに、どうして彼がダヴィデの子なのだろうか」。

45.民衆がみなこれを聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。46.「長い衣を着て歩きたがる律法学者たちに気をつけなさい。彼らは広場で挨拶されることを好み、諸会堂では最上席を、宴会では最上座を好む。47.彼らはやもめたちの家を食いつぶし、見せかけの長い祈りをする。この人たちはいっそう厳しい裁きを受けるだろう」。






★「そんなことがあってはなりません」(16)
 μή γένοιτο
  新約聖書の中ではめずらしい『希求法』で書かれていて、ローマ書の中でパウロが数回使っている。『そんなことがあってたまるか!』という強い否定願望を表す。

  ἰσάγγελοι γάρ εἰσιν (36)
「彼らは天使たちのようなものである」(36)  

36節は「彼らは天使たちに等しい」とも訳せる。天使たちには死がないと同じように、復活にあずかる者たちには、再び死ぬと言うことはあり得ないという意味。




0 件のコメント:

コメントを投稿