2013年10月9日水曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」19章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

19章


1.イエスはエリコに入り、そこを通って行かれた。2.すると見よ、(その町に)ザアカイという名の人がいた。この人は徴税人の頭で金持ちであった。3.彼は、イエスがどんな方か見ようと試みたが、群衆にさえぎられて見ることができなかった。身長が低かったからである。4.そこで、先頭の方へ走り寄り、イエスを見るためにいちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。5.イエスはその所まで来られると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイよ、急いで降りてきなさい。今日、わたしはかならずあなたの家に泊まることにしているから」。6.そこで彼は急いで降りてきて、喜んでイエスを(自分の家に)迎え入れた。7.多くの者たちはこれを見て「あの人は罪深い男の所へ入って行って、客となった」と言って互いにつぶやいた。8.ザアカイは立って主に言った。「主よ、御覧ください、わたしは自分の財産の半分を貧しい人々に施します。また、もし誰かから何かゆすり取ったものがあるなら、四倍にして返します」。9.イエスは彼に「今日、救いがこの家に来た。この人もアブラハムの子なのだから。10.人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と言われた。
11.人々がこれらのことを聞いているとき、イエスは更にある譬えを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられたので、彼らは、神の国はもうすぐ現れるものと思っていたからである。12.そこで言われた。「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ろうと遠い所へ旅に出た。13.そこで、彼は十人の自分の僕たちを呼んで、彼らに十ムナを与えて彼らに言った。『わたしが帰って来るまで、これで商売をしていなさい』。14.しかし、彼の(町の)住民たちは彼を憎んでいたので、あとから使者を遣わして『我々の上に、この人を王にするのは望まない』と言った。15.この人が王位を受けて帰って来たとき、銀貨を預けていたこれらの僕たちを呼んで、どれほどの儲けがあったかを知ろうとした。16.そこで、最初の僕が来て言った。『ご主人様、あなたの一ムナでわたしは他に十ムナを儲けました』。17.主人は僕に言った。『よくやった。良い僕よ。あなたは小さな事に忠実だったから、さらに十の町を治める者となりなさい』。18.また、二番目の僕が来て言った。『ご主人様、あなたの一ムナでわたしは五ムナを儲けました』。19.主人はこの僕にも言った。『あなたはさらに五つの町を治める者となりなさい』。20.また、ほかの僕が来て言った。『ご主人様、ご覧下さい。わたしが預かっていたあなたの一ムナを、手ぬぐいにしまっておきました。21.あなたは預けないものを取り立て、蒔かないものを刈り取る厳しい方なので、わたしはあなたを恐れていたからです』。22.主人は彼に言った。『悪い僕よ、わたしはおまえの口から出た(言葉)によってお前を裁く。お前は、わたしが預けないものを取り立て、蒔かないものを刈り取る厳しい人であるのを知っていたのか。23.ではどうして、わたしの金を銀行に預けておかなかったのか。そうすればわたしが帰って来た時、利子と一緒にそれを引き出せたであろうに』。24.そして、そばに立っていた者たちに言った。『彼から一ムナを取り上げて、十ムナを持っている者に与えなさい』。25.すると、彼らは主人に言った。『ご主人様、彼はすでに十ムナを持っています』。26.(主人が言った)『あなたがたに言っておくが、だれでも持っている者にはさらに与えられる。しかし、持っていない者からは、持っているものまでも取り上げられるだろう。27.さて、わたしを彼らの上に立てて王にさせたくなかったこれらの敵対する者どもをここに連れて来て、わたしの前で彼らを打ち殺してしまえ』」。
28.これらのことを話されてから、イエスは先頭を歩いてエルサレムへと上って行かれた。
29.そして、オリーブとよばれる山のふもとのベトファゲとベタニアに近づいたとき、イエスは二人の弟子をお遣わしになって、30.言われた。「向こうの村へ行きなさい。村へ入って行くと、まだ誰も乗ったことがないロバの子がつながれているのを見つけるだろう。そのロバの子を解いて引いてきなさい。31.もし、誰かがあなたがたに『なぜロバの子を解くのか』と聞くなら、このように言いなさい。『ロバの子のご主人様がご入り用なのです』と」。32.そこで、遣わされた弟子たちが出かけると、主が彼らに言われたとおりであることがわかった。33.さて、二人がロバの子を解いていると、その飼い主である主人たちが彼らに言った。「なぜそのロバの子を解くのか」。34.そこで、彼らは『ロバの子のご主人様がご入り用なのです』と言った。35.そして、彼らはロバの子をイエスのところへ引いて行き、その上に自分たちの上着をかけ、イエスをお乗せした。36.イエスが進んで行かれると、人々は自分たちの上着を道に敷いた。37.イエスがオリーブ山の下り道に近づかれたとき、弟子たちの群れはみな喜びにあふれ、彼らが見た力ある全てのことにつき、大声で神を賛美し始めて、
38.こう言った。
『主の名によって来られる方、
王に祝福があるように。
天には平和、
いと高きところには栄光があるように。』
39.しかし、あるファリサイ派の人たちが群衆の中からイエスに言った。「先生、あなたの弟子たちを叱ってください」。40.するとイエスは答えて言われた。「あなたがたに言うが、もし、この人たちが黙れば、石が叫ぶだろう」。
41.イエスが(エルサレムに)近づかれた時、その町をご覧になり、そのために泣いて、42.言われた。「もし、お前がこの日に、平和に至る道を知っていたなら。しかし今、お前の目からは隠されてしまった。43.お前の敵が、お前に対し塁壁を築いてお前を取り囲み、あらゆる方角から攻め込む日が、お前の上に臨むだろう。44.そして、お前と、その中にいるお前の子供たちとを滅ぼし尽し、お前の中にある石の一つをも、(他の)石の上に残してはおかないだろう。なぜなら、お前が自分に対する(神の)訪れの時を悟らなかったからだ」。
45.そして、イエスは神殿の庭に入って行かれ、商売をしている人たちを追い出し始められ、46.彼らに言われた。「聖書に、『わたしの家は祈りの家となるだろう』と書かれている。それなのに、あなたがたはそれを『強盗どもの巣窟』にしてしまった」。

47.イエスは毎日、神殿の庭で教えておられた。しかし、祭司長たちと律法学者たち、民衆の指導者たちも、イエスを殺そうとねらっていた。48.しかし、彼らはどうしてよいかわからなかった。民衆が皆、イエスの言われることに熱心に聞き入っていたからである。






★「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(10)

 「失われたもの」=失われた羊  のこと。
 ここで使用されているものが『中性』を示す冠詞だからである。それは転義で人を意味する。

ἐπορεύετο ἔμπροσθεν (28)   
「イエスは先頭を歩いて行かれ…」エルサレムへと上って行かれた。(28)

エリコにおけるエルサレム入場直前の説教を終えると、イエスは意を決したかのように、ご自分の最終使命を果たすべく、エルサレムへ向かわれた。28節はその時のイエスの心情をよく表している。エリコはガリラヤからエルサレムに向かう旅程にある最後の町。エリコからエルサレムまでは直線距離で20Kあまり。一日で行ける距離である。エリコでの民衆を教えた後、イエスの隊列は12弟子のほか、多くの民衆も同伴したはずである。突然イエスはその先頭に立たれ、エルサレムに向かわれたのである。  


ἀνθʼ ὧν οὐκ ἔγνως τὸν καιρὸν τῆς ἐπισκοπῆς σου(44)  
 「なぜなら、お前が自分に対する(神の)訪れの時を悟らなかったからだ」(44)

イエスのエルサレム滅亡の預言。このエルサレムの徹底的な壊滅の預言(一つの石が他の石の上に残らない)はAD70年に実現したが、その原因が 「お前が自分に対する神の訪れの時を悟らなかったからだ」 とイエスは言われた。イエスのエルサレム入場はまさに、神の訪れの時であったし、十字架の死の出来事はまさにその時の成就を意味する。がしかし、その時は今日的な意味に解釈することもできる。エルサレム滅亡の預言が世界の滅亡という終末的出来事として捉えなおす時、今こそが我々にとって神の訪れの時なのである。44節は今日の我々へのメッセージ(警告)なのである。




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