2013年4月29日月曜日

新約聖書原典「ルカによる福音書」2章の翻訳(私訳)

ルカによる福音書 

2章


1.その頃、帝国全土の住民を登録せよとの布告が、皇帝アウグストゥスから出された。2.この住民登録は、キリニウスがシリアの総督となって最初のものであった。3.人々はみな住民登録をするために、それぞれ自分の町へ行こうと旅をしていた。4.そこでヨセフもダヴィデの家系の出身でその血筋に属していたので、ガリラヤのナザレの町を出て、ユダヤのベツレヘムと呼ばれるダヴィデの町へ上って行った。5.彼の婚約者で身重であったマリアと一緒に登録するためであった。6.ところが、彼らがその町に滞在しているうちに、マリアは出産の日数が満ちて、7.初めての男の子を出産した。そしてその子を布でくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの居る場所がなかったからである。
8.さてその地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し彼らの羊の群れの見張りをしていた。9.すると主の使いが彼らの傍らに立ち、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に驚き恐れた。10.すると天使が彼らに言った。「恐れるな、見よ、わたしは全ての民に与えられる大きな喜びをあなたがたに告げる。11.今日、あなたがたのために、ダヴィデの町に主キリストであられる救い主がお生まれになった。12.あなたがたは乳飲み子が布に包まれて、飼い葉桶に寝かせてあるのを見るであろう。これがあなたがたに与えられるしるしである」。13.すると突然、その天使と数多くの天の軍勢が一緒になって神を賛美して言った。
14.「いと高きところでは神に栄光があるように、
地の上では御心にかなう人々に平和があるように。」
15.天使たちが彼らを離れて天に去ると、羊飼いたちは互いに「さあ、わたしたちもベツレヘムへ行って、主がわたしたちに知らせてくださったその出来事を見てこよう」と言った。16.そして彼らは急いで行って、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を捜しあてた。17.この出来事を見て羊飼いたちは、この幼子について天使が彼らに語った言葉を人々に知らせた。18.聞いた人々は皆、羊飼いたちから聞かされた話しに驚いた。19.しかしマリアはこれらすべての言葉をしっかり留め、心の中で思い巡らしていた。20.羊飼いたちは見聞きしたことがすべて、天使が彼らに語った通りであったので、神を賛美し、ほめたたえながら帰って行った。
21.さて、八日目の割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。それは幼子が胎内に宿る前に、天使によってそう呼ばれたからである。
22.モーセの律法に従って彼らの清めの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるためにエルサレムに連れて行った。23.それは主の律法に、「すべて最初に生まれる男子は、主に聖なる者と呼ばれるであろう」と書かれてあるように。24.また主の律法に言われていることに従って、『一対のキジ鳩、又は家鳩のひな二羽』を犠牲として捧げるためであった。
25.さて、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しく、神を畏れる人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいて、聖霊が彼の上にあった。26.また聖なる霊によって、「主であられるキリストを見るまでは、死を見ることはない」と御告げを受けていた。27.さて、彼が霊によって神殿の境内に入って行くと、両親が幼子のことで律法の慣習に従って(犠牲を)行おうと幼子イエスを連れて来るところであった。28.するとシメオンは幼子を両腕に抱き、神を賛美して言った。
29.「主よ、今あなたは、お言葉どおり安らかに、
あなたの僕を去らせてくださいます。
30.わたしの目が、
あなたの救いを見たのですから。
31.この救いは、あなたが全ての民のために備えられたもので、
32.異邦人たちに啓示される光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
33.幼子の父と母とは、幼子について語られることに戸惑っていた。34.そこでシメオンは彼らを祝福し、幼子の母マリアに対して言った。「見よ、この子はイスラエルにおいて多くの者たちを倒したり立たせたりするため、また論争のしるしとして任じられています。―35.あなた自身のこころも剣によって貫かれるでしょうー多くの人々の心の思いが明らかにされるためです」。
36.さて、アセル族の出身で、ファヌエルの娘でアンナという女預言者がいた。彼女は非常に年老いていて、乙女時代の後から七年間、夫と一緒に暮らした。37.そして八十四歳になるまで未亡人であった。彼女は神殿を離れず、夜も昼も断食と祈りをもって(神に)仕えていた。38.ちょうど同じ時刻に、アンナも近寄って来て神に感謝をささげ、エルサレムの解放を待ち望むすべての人々に幼子のことを話し聞かせていた。
39.両親と幼子は、主の律法に従ってすべてのことをなし終えると、ガリラヤの自分たちの町ナザレへ帰って行った。
40.幼子は成長して強くなり、知恵に満ち、神の恵みがその上にあった。
41.さて、幼子の両親は、過越祭には毎年エルサレムへ旅をしていた。42.イエスが十二歳になった時も、両親は祭りの慣例に従ってエルサレムへ上った。43.祭りの期間が終わって一行は家路についたが、少年イエスはエルサレムに残ったままで、両親はそれに気付かなかった。44.両親はイエスが旅の一行の中にいると思い一日の道のりを行き、親戚や知人たちの間を捜したが、45.見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムに戻った。46.三日目になって、イエスが神殿の庭で教師たちの真ん中に座って、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。47.イエスの話を聞いている人々は皆、その理解力と受け答えとに非常に驚いていた。48.両親はイエスを見て仰天し、母がイエスに言った。「子よ、どうしてこんなことをしてくれたのですか。ご覧なさい、あなたのお父様も私も心を痛めてあなたを捜していたのです」。49.するとイエスは両親に言われた。「なぜわたしをお捜しになったのですか。わたしが自分の父のところにいるはずだということを、ご存知なかったのですか」。50.しかし両親は、イエスが自分たちに言われた言葉を理解できなかった。51.イエスは両親と一緒に下ってナザレに帰り、彼らに服従しておられた。イエスの母はそれらのことを全て心に留めていた。
52.イエスは神と人々の前に、知恵にも背丈にも恵みにも成長した。





★「すべて最初に生まれる男子は…」(23)
  「生まれる」は、原文の直訳では「胎を開く」。

★29、30節のシメオンの賛美の言葉は聖霊が彼に示した26節の言葉に対応するもの。

ἰδοὺ οὗτος κεῖται εἰς πτῶσιν καὶ ἀνάστασιν πολλῶν ἐν τῷ Ἰσραὴλ καὶ εἰς σημεῖον ἀντιλεγόμενον
 「見よ、この子はイスラエにおいて多くの者たちを倒したり立たせたりするため、また論争のしるしとして任じられています。」34

「論争のしるし」 という表現は「抗争のしるし」「対立のしるし」とも訳せる。それはイエスが来られた重要な意義を暗示する(ルカ12:49~53参照)

ἰδόντες αὐτὸν ἐξεπλάγησαν
 「両親はイエスを見て仰天し…」48

ἐξεπλάγησαν (エックスプラゲーサン・仰天した) という言葉は 47節にある「人々はイエスの知恵や受け答えに驚愕した」という ἐξίσταντο (エクシスタント)より一層強烈な「心がパニックになる程の驚き」を意味する。イエスの両親が三日も捜しまわってやっとイエスを見つけ出した時の心情をよく表している。

οὐκ ᾔδειτε ὅτι ἐν τοῖς τοῦ πατρός μου δεῖ εἶναί με; 49
 「わたしが自分の父のところにいるはずのことをご存知なかったのですか」49.

上記は48節のマリアの質問にたいする返答として語られたイエスの逆質問である。
この一文は δεῖ という一語(~するはずだ、当然~するに決まっているという強調語)が添えられたことによって全体の意味を強めている。少年イエスはこの時すでにご自分の置かれた使命をしっかりと自覚しておられたが故の言葉だったのである。神を「自分の父」と公に言われたのはこの時が最初であった。





 
 

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