2010年9月13日月曜日

新約聖書原典「ヨハネによる福音書」15章の翻訳(私訳)

ヨハネによる福音書 

15章


1.「わたしはまことのぶどうの木、また、わたしの父は農夫である。2.わたしにつながっている枝で、実を結ばないものは、すべて父がこれを取り除かれる。また、実を結ぶものは、さらに多くの実を結ばせるために、すべて父がこれをせん定なさる。3.あなたがたは、わたしが話した言葉によって、すでに清くなっている。4.わたしにつながっていなさい。わたしも、あなたがたにつながっている。枝がもし、ぶどうの木につながっていなければ、自分からは実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5.わたしはぶどうの木、あなたがたは枝である。わたしにつながっている人は、わたしもまたその人につながっており、その人は多くの実を結ぶ。わたしから離れては、あなたがたは何もすることができないからである。6.だれでもわたしにつながっていなければ、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そしてそれらは集められ、火に投げ込まれて焼かれる。7.もし、あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にとどまっていれば、あなたがたが望むものを求めなさい。そうすれば、かなえられる。8.あなたがたがわたしの弟子となり、多くの実を結ぶことによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
9.父がわたしを愛してくださったように、わたしも、あなたがたを愛した。わたしの愛の内にとどまりなさい。10.わたしが、父の戒めを守り、父の愛の内にとどまっているように、あなたがたが、わたしのこれらの戒めを守るならば、あなたがたはわたしの愛の内にとどまることになろう。11.わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあって、あなたがたの喜びが満たされるようになるためである。
12.わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うように。これがわたしの戒めである。13.人がその友のために自分の命を投げ出すこと、これ以上の大きな愛はない。14.わたしがあなたがたに命じるこれらのことを行うなら、あなたがたはわたしの友である。15.わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。なぜなら、僕は自分の主人が何をしているか知らないからである。しかし、わたしはあなたがたを友と呼んだ。なぜなら、わたしは自分の父から聞いたことをすべて、あなたがたに知らせたからである。16.あなたがたがわたしを選んだのではなく、むしろ、わたしがあなたがたを選んで、あなたがたを任命した。それは、あなたがたが行って実を結び、あなたがたの実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に願うものは何でも、父があなたがたにくださるようになるためである。17.これらのことをあなたがたに命じるのは、あなたがたが互いに愛し合うようになるためである。
18.もし、世があなたがたを憎むようなら、あなたがたより先にわたしを憎んだことを知りなさい。19.あなたがたが世に属するものであったなら、世はあなたがたを自分のことのように愛しただろう。しかし、あなたがたはこの世に属するものではない。むしろ、わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。20.『僕はその主人より、優ってはいない』と、わたしがあなたがたに言った言葉を思い出しなさい。もし、世の者たちがわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するだろう。もし、彼らがわたしの言葉を守ったのなら、あなたがたの言葉をも守るだろう。21.しかし、彼らはわたしの名のゆえに、これらすべてのことをあなたがたに行うだろう。彼らは、わたしを遣わされた方を知らないからである。22.わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかっただろう。しかし今は、自分たちの罪について言いわけができない。23.わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。24.もし、ほかの誰も行わなかった業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかっただろう。しかし今、彼らは(業を)見たにも関わらず、わたしとわたしの父とを憎んでいる。25.しかし、それは、『人々は、理由もなくわたしを憎んだ』と、彼らの律法に書かれてある言葉が成就するためである。

26.わたしが父のみもとから、あなたがたに遣わそうとしている助け主、父のみもとから出て来られる真理の御霊が来られる時、その方は、わたしについて証ししてくださる。27.あなたがたも証しする。あなたがたは始めからわたしと一緒にいたからである」。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●「自然の中で聴く聖書」ヨハネによる福音書 15章


★12節、13節は、ギリシア語文法の  ίνα+接続法で書かれている。命令法では書かれていない。ゆえに「互いに愛し合うこと」(12)、「自分の命を捨てること」(13)と訳すのが原典に一番近い。ただ、「互いに愛し合いなさい」「自分の命を捨てなさい」と訳しかえることも許されるであろう。それがイエスのお与えになった「戒め」(12)だからである。「戒め」は「命令」とも訳すことができるからである。

★27節の動詞「証しする」「一緒にいた」はいずれも現在形で書かれている。ゆえにそのまま訳すと「証しする」は「現に証ししている」と、「一緒にいた」は「現に一緒にいる」と訳さなければならない。ゆえに27節は、『あなたがたは(現に)証ししている。あなたがたは初めからわたしと一緒にいるのだから』となる。「あなたがたも証しする」は、『今、現に証している』現在の行為なのか、『やがて証することになる』将来の行為なのか、あいまいさを残す。26節の「真理の御霊が来られる時、その方はわたしについて証しなさるだろう」は未来形である。そのつながりで解釈すれば、27節は「あなたがたも証しするだろう」である。27節を将来のこととして解釈しているのは、kjvで、and ye shall bear witness,because ye have been with me from the beginning.





0 件のコメント:

コメントを投稿