2010年6月8日火曜日

新約聖書原典「ヨハネによる福音書」11章の翻訳(私訳)

ヨハネによる福音書 

11章


1.さて、ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニア出身のラザロであった。2.このマリアは、主に香油を注ぎ、その両足を自分の髪で拭いた女であった。その兄弟のラザロが病気であった。3.そこで姉妹たちはイエスのところに使いを送って、「主よ、御覧ください。あなたの愛しておられる者が病気です」と言った。4.イエスはこれを聞いて言われた。「この病気は死に至るものではない。ただ、神の栄光のため、神の子がそれによって崇められるためである」。
5.イエスは、マルタとその妹とラザロを愛しておられた。6.「病気です」と聞いてからも、イエスはなお二日間その所に滞在しておられた。7.その後、弟子たちに「またユダヤへ行こう」と言われた。8.弟子たちはイエスに言った。「先生、ついこの前もユダヤ人たちがあなたに石を投げようとしていたのに、またそこへ行かれるのですか」。9.イエスは答えられた。「一日は十二時間あるではないか。昼間歩けば、誰もつまずくことはない。この世の光を見ているからである。10.しかし、夜歩けば誰でもつまずく。その人の内に光がないからである」。
11.これらのことを話された後、イエスは弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」。12.すると、弟子たちはイエスに言った。「主よ、眠っているなら、助かるでしょう」。13.しかし、イエスはラザロの死のことを言われたのであったが、弟子たちは睡眠の眠りのことを言われたのだと思った。14.すると、その時イエスはあからさまに彼らに言われた。「ラザロは死んだのだ。15.わたしがその場にいなかったのは、あなたがたが信じるようになるため、あなたがたのためには良かったのだ。でも、彼のところへ行こう」。16.すると、ディディモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。
17.そこでイエスは行って、墓の中ですでに四日も経っていたラザロをご覧になった。18.さて、ベタニアはエルサレムに近く、そこから三キロほどの所にあった。19.ユダヤから大勢の人たちが、マルタとマリアのところに来ていた。兄弟のことで彼女たちを慰めるためであった。20.そこでマルタは、イエスが来ておられると聞いて迎えに出たが、マリアは家の中で座っていた。21.マルタはイエスに言った。「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。22.[しかし]あなたが神にお願いになることはどんなことでも、神はあなたにかなえてくださると、わたしは今も存じています」。23.イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえるだろう」。24.マルタがイエスに言った。「終わりの日の復活の時によみがえることは存じています」。25.イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。26.また、生きていてわたしを信じる者はみな、いつまでも決して死なない。あなたはこのことを信じるか」。27.マルタがイエスに言った。「はい、主よ。私はあなたが、この世に来ておられる神の子キリストであると信じています」。
28.彼女はこう言って立ち去り、自分の妹マリアを呼んで小声で言った。「先生が来ておられて、あなたを呼んでおられます」。29.マリアはそのことを聞くと、急いで立ち上がってイエスのもとに行った。30.しかしイエスはまだ村には入っておられず、マルタがイエスを出迎えた場所にまだおられた。31.すると、家の中でマリアと一緒にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちが、マリアが急いで立ち上がり出て行ったのを見て、墓で泣くために出かけたのだと思い、彼女について行った。
32.さて、マリアはイエスがおられた場所に来ると、イエスを見てその足元にひれ伏して言った。「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の弟は死ななかったでしょうに」。33.するとイエスは、彼女が泣いており、彼女と一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になって、心に憤りを覚え、ご自分をかきたてて、34.言われた。「ラザロをどこへ葬ったのか」。彼らはイエスに言った。「主よ、来て御覧なさい」。35.イエスは涙を流された。36.するとユダヤ人たちが言った。「ご覧、なんとラザロを愛しておられたことか」。37.しかし、彼らの中のある者たちが言った。「目の見えない人の目を開けたこの人でも、ラザロが死なないようにすることは出来なかったのか」。
38.するとイエスは再び心に憤りを覚え、墓にやって来られた。墓は洞穴になっていて、その上には石が置いてあった。39.イエスは言われた。「石を取り除きなさい」。死んだ者の姉のマルタが、イエスに言った。「主よ、すでに臭くなっています。四日も経っていますから」。40.イエスは彼女に言われた。「わたしはあなたに『もし信じるなら神の栄光を見るだろう』と言ったではないか」。41.そこで人々は石を取り除いた。するとイエスは目を天に向けて言われた。「父よ、わたしの願いをお聞きくださって感謝します。42.わたしは、あなたがいつも、わたしの願いを聞いてくださることを知っています。しかし、わたしが言うのは、周りにいる人々のためです。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるためです」。43.こう言われて、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロ、出てきなさい」。44.すると死んでいた者が、足と手を巻き布で縛られ、顔は包帯で巻かれたまま出てきた。イエスは彼らに言われた。「彼をほどいてやって帰らせなさい」。
45.マリアのところに来たユダヤ人たちの多くは、イエスがなされたことを目のあたりにして、イエスを信じた。46.しかし、彼らの中のある者たちは、ファリサイ派の人たちの所へ行って、イエスが行われたことを彼らに告げた。
47.すると、祭司長たちやファリサイ派の人たちが、サンヘドリンに集まって言った。「この人は多くのしるしを行っているが、我々はどうしたらよいだろうか。48.もし、我々が彼をこのまま許したら、多くの者たちが彼を信じるだろう。そうすればローマ人たちがやって来て、我々のこの地も民族も奪ってしまうだろう」。49.すると、彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが彼らに言った。「あなたがたは、何もわかっていない。50.あなたがたは、ひとりの人が民衆のために死んで、民族全体が滅びない方が、自分たちにとって得だということを考えてもいない」。51.これは、カイアファが自分から言ったのではなく、彼がその年の大祭司であり、イエスが民族のために間もなく死のうとしていたので、こう預言したのである。52.ただ民族のためだけではなく、散らされている神の子らを一つに集めるためでもあった。53.そこでその日から、彼らはイエスを殺そうと考えた。
54.そこでイエスはもうこれ以上、ユダヤ人たちの間を公然と歩くことをなさらず、そこから荒野に近い地方のエフライムと呼ばれる町へ行き、弟子たちと共にそこに滞在された。

55.さて、ユダヤ人たちの過越祭が近づいていた。多くの人々がその地を出て、自分を清めるため、過越祭の前にエルサレムへ上った。56.そこで人々はイエスを探しながら、神殿の庭に立って「あなたはどう思うか。彼はこの祭りには来ないのではなかろうか」と互いに言っていた。57.祭司長たちとファリサイ派の人たちは、イエスを捕らえるために、もし誰かイエスがどこにいるかわかったなら知らせるようにと、命令を出しておいたのである。


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●「自然の中で聴く聖書」ヨハネによる福音書 11章


11 Ταῦτα εἶπεν, καὶ μετὰ τοῦτο λέγει αὐτοῖς· Λάζαρος ὁ φίλος ἡμῶν κεκοίμηται· ἀλλὰ πορεύομαι ἵνα  ἐξυπνίσω αὐτόν.
これらのことを話されて、その後、イエスは弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っているしかし、わたしは彼を起こしに行く」

12 εἶπαν οὖν οἱ μαθηταὶ αὐτῷ· κύριε, εἰ κεκοίμηται σωθήσεται.
すると、弟子たちはイエスに言った。「主よ、眠っているなら、助かるでしょう」

 κεκοίμηται (ケコイメータイ) は、完了、受動、3人称単数。口語、新共同訳ともに、「眠っている」と現在形のように訳している。これは単なる現在を意味するのではなく、出来事は過去に起きたことであるが、今もその状態が続いているという、現在の状態を強調する意味での、「眠っている」である。出来事が既に過去に起きていて、その結果としての現在で、「すでに眠った。その結果、今も眠っている」という意味である。

★33節、38節の「心に憤りを覚え」は両者には原語上、少し意味合いの違いがある。33節の「心」と訳したギリシア語は πνεύμα(プニューマ)で、本来は「霊」「息」を意味し、それが精神の意味にも転用された「心」「思い」であるが、38節の「心」は単に εν εαυτω(エン ヘアウトー)「自分の内に」である。なお、「憤りを覚え」という言い方は、イエスが死と死の背後にあるもの(罪とか悪魔的な存在)への憤りを表されたのかもしれない。



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